2019年1月22日火曜日

「日本平夢テラス」に行ってきました (Seiji Toyoshima)

1月5日に、当地で最近よく報道されている「日本平夢テラス」に行ってきました。 
以下、資料を参考にした説明と当日撮った写真を記事にしてみました。なお、当日は、残念なことに富士山の頂 上付近は、雲で覆われていて素晴らしい富士山の姿は見られませんでした。 
 

1.富士山一望!日本平山頂に「日本平夢テラス」オープン   

     
(1)「日本平夢テラス」について  
2018年11月3日、静岡市清水区の日本平山頂(標高約300m)に展望施設「日本平夢テラス」が誕生。 
テラスは、展望施設(3階建て)と展望回廊(1周約200m)、約1200m2の庭で構成されていて、各展望施設は、いずれも正八角形の外観で県産材をメインに造られています。
テラスからは、富士山や清水港をはじめとする360度の大パノラマが広がり、感動すること間違いなしといわれています。富士山、駿河湾、三保半島、伊豆半島、南アルプスなどを見ることができます。 
11月3日にオープン以来、連日来場者でにぎわい、11月末には来場者が10万人に達しました。 
 
(2)日本平について      
・日本平は、国の名勝であり、日本観光地百選コンクールで1位を獲得したことがあるほどの景勝地。日本夜景遺産にも認定されています。 
・日本平は裾野が広い丘陵地(広がりは半径3km弱)で、周辺には、久能山東照宮*、美術館、動物園、大学、Jリーグのサッカー場、ゴルフ場などがあり、JR静岡駅からタクシーで約25分、JR清水駅から約20分の所です。 
因みに自宅からは、車で約15分、車で年に2,3回、徒歩(約1時間)では過去に3回くらいで行ったことがあります。 
丘陵地には、お茶畑やミカン畑が多く、畑の間から見る富士山や駿河湾は良い眺めです。      
また、よく散歩で行く、近くの船越堤公園も日本平の裾野の先端といえます。 
 
  *:日本平山頂のすぐ近くに「久能山東照宮」があります。
                  晩年、 駿府に隠居していた家康公は没後(1616年) 久能山に
                  葬られ、 翌年日光に改葬されました。 



2.施設の全景と展望回廊からの眺め   


(1) 施設の全景(写真1.)
展望施設と展望回廊とも八角形のデザインが印象的な建物に仕上がっており、静岡産のヒノキやスギをふんだんに使い、自然景観と調和を重視した造りになっています。
この施設の設計は、新国立競技場を設計した世界的な建築家・隈研吾さんによるもの。
なお、中央の塔は、従来からあるテレビ塔です。
この写真は、当日撮ったものではなく、資料によります。

(2)日本平から見た富士山(写真2.) 
当日は、富士山の頂上付近は雲で隠れていたため、晴れた日の富士山の姿を資料から載せました。
日本平頂上から見た(北東の方角)、清水市街地、清水港、駿河湾、富士山です。

(3)施設から見た富士山(写真3.)


展望施設からの富士山を見る。来場者でにぎわっていました。

(4)施設から見た富士山と駿河湾(写真4.)
富士山、駿河湾、清水港、いつ見ても感動します。絶景です。

5)施設から見た三保半島(写真5.)

南の方角で、中央の緑色に見える松林が三保の松原です。手前、中央付近に私が長年勤めていた
工場が見えます。さらに手前側に(見えませんが)Jリーグのサッカー場があります。
このサッカー場は自宅から自転車で15分くらいの所で、以前数回見に行きましたが、
今は専らテレビ観戦です。


(6)施設からの静岡市街地(写真6.)
施設の北の方角になります。
静岡市街地(中心地)と南アルプス方面(雲がかかっています)

(7)施設からの伊豆半島(写真7.)
施設の東の方角になります。
伊豆半島の南端がかすんで見えます。先端は波勝崎でしょうか。雲がきれいでした。



3.その他

展望施設を見た後、すぐ近くの「日本平ホテル」で昼食(和食のコース料理)を家族で食べました。料理の中で静岡の「金目鯛」(一尾丸ごと煮つけ)が特に美味でした。
食堂から見る富士山も素晴らしく、この景色を見ながらの食事は格別でした。
なお、写真は「日本平ホテル」の正面(北側)の外観で、この南側からは富士山、駿河湾がよく見えます。


13 件のコメント:

  1. 豊島様
    富士山の近くが羨ましいです。
    私の夢は、富士山の見えるところに住みたかった。
    パット見てとりあえずのコメントです。

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    1. 富士山を見たとき、次の歌を思い出しました。
       文部省唱歌「ふじの山」(明治43年刊行)
       「1.あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして 
          かみなりさまを下にきく ふじは日本一の山」
          
      手前みそにますが、この日本平からの富士山(特に冠雪した)が、最高と思っています。
           

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  2. 素晴らしい写真と懇切丁寧な解説付き投稿ありがとうございます。地図とNETで自分なりに調べさせていただきました。①同じ静岡県でなんでこんなに文化の濃淡があるのか?私の住処は本当に僻地であり、東海道筋が羨ましい限りです。②日本平と静岡市(清水区)の延長線上に富士山があり、その景色は素晴らしい。③H製作所清水事業所は港の近くにあり、中央に道があり恐ろしく大きな工場で驚きです。そして右に視線を移動すると三保の松原がありました。④日本平ホテルはゴルフコースを背にして富士山を望む名門ホテルであることが分かります。⑤日本平夢テラスの近くに「赤い靴母子像」がありますが、その女の子”きみ”さんは米国人宣教師に引き取られたが9歳で日本で亡くなった。きみさんの母親はそのことを知らず、自分の子供は米国に渡り暮らしていると信じていたようです。悲しい話ですが横浜の山下公園の赤い靴との関係が今一はっきりしません。以上の様に貴投稿をもとに調べると沢山の事(細かいことは省略)が分かりました。本当に素晴らしい所にお住まいですね。(A.Ishi)

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    1. よく調べましたね。私の勤めていた工場は土地面積10万坪、入社当時は社員約2000名でした。野口雨情の童謡「赤い靴」でも有名な、赤い靴を履いたの女の子(きみちゃん)は、明治35年に日本平麓の村で生まれたそうです。ここから、長い物語がありますが、きみちゃんの生誕地近くということで、日本平の一角に「母子像」が建設されました(昭和61年除幕)。「赤い靴を履いた4歳の女の子が、青い目の異人さんに手を引かれて、横浜の港から、アメリカへ行った」という、新聞社への投稿があり(実はアメリカへ行っていなかった)、これをもとに横浜の公園にも少女像が造られたとのことです。
      日本平へ行った時は、いつもこの母子像をしばらく見ています。

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  3. 迎春に相応しいブログを詠みました。「一富士二鷹三茄子」と言われる様に富士山を眺めると癒されれますね。今年は、雨が少なく強風に曝されることが多いのか、雪肌が削られて地肌がまだら模様に顕われている容姿が多いですね。私は、静岡県富士山世界遺産センターに行ってきました。70歳以上は無料です。
    ところで、我々世代は、初期故障や偶発故障よりも摩耗故障期間に該当するようになって、身体のどこそこに不具合を生じている様です。そのことを理解して今ある時間を楽しく有意義にすごしましょう!

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    1. 「摩耗故障期間」とは、懐かしい言葉ですね。ここ1,2年特にその時期に入ったと実感しています。機械や装置のように「メンテナンス」を怠らなければ、人も寿命を延ばすことができると思っています。適切なメンテナンスに心掛けようと思っています。

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  4. 2019年1月24日:我が家の近くからも富士山は眺められますが、近くで見る富士山は”素晴らしい”の一語に尽きます。伊豆国際CCへゴルフに行くときに、修善寺近辺で見る富士山もすばらしい!! 御殿場のアウトレットモールへ行くと、帰りに箱根を回って帰りますが、この途中からの富士山の眺めもすばらしいと思います。しかしもっと近くの日本平からの富士さあは、もっと素晴らしいでしょうね。機会が有ったら行って見たいと思います。すばらしい景色をありがとう!!

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    1. imasanのコメントへの返信にも記しましたが、やはり「富士は日本一の山」ですね。
      最近では、外国の大型客船が、清水港にも寄港することが多く見られます。富士山が有力な目玉となっているようです。

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  5. まず写真によって、風光明媚にして雄大なパノラマが映し出されていることに驚嘆し、このような地域にお住いのみなさんを羨ましく思います。石井さんが僻地とか言っておられますが、今猛烈なからっ風が吹いている上州の我々からするとピンときません。住んでいる環境で一生のうちにその思考や幸福感などに大きな差が出てくるように思います。つい愚痴が出てしまいました。
    しかしこういうレポートを拝見していると、その爽快感を共感できることもまた事実です。ありがとうございました。

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    1. コメントありがとうございました。私が生まれ育った所は、埼玉の西部、周りを低い山に囲まれた盆地でしたが、妻は、埼玉のほぼ中央で育ちました。結婚後こちらに住んで、関東平野のような広い景色が懐かしいと時々言っていましたが、時がたつにつれ、富士山が一番素晴らしいと言うようになっています。富士山は、特別と思いますが、そらぞれの所でそれなりによい所があると思っています。

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  6. 石井さんの「横浜の山下公園の赤い靴との関係云々」に対して、豊島さんがコメントしていたので落着しているのですが、新聞記事を目にしたので余計なことだと思いながら、そのまま転記しました。
    以下新聞掲載文:静岡市・日本平山頂の「日本平夢テラス」は、オープン2カ月で入場者の年間目標(30万人)を突破した。展望回廊への坂の途中に「赤い靴母子像」がある。台座に(・・異人さんにつれられて行っちゃった)と、童謡の歌詞1番。右側の母は和装でしゃがみ、向き合った左側の女布児は洋服姿。離別の場面であろう。歌詞2番に出てくるのは横浜港なのに、なぜここに、この像があるか、経緯は碑文にある。母子は明治末期の清水出身。母「かよ」は夫らに従い、北海道で社会主義の拠点となる農場づくりを目指す。厳寒の荒野の開拓に3歳児は連れていけないと、女児「きみ」は米国人宣教師に預けられた。「赤い靴」(野口雨情作詞、本居長世作曲)は1922年発表。雨情は札幌でかよ夫妻と交流があり、かよの身の上話に着想を得たとされる。名曲誕生の"秘話”は発表の半世紀後、北海道のテレビ局の追跡番組や製作者の著書で知られるようになった。歌のモデルとされるきみは結核で渡米できず、東京の孤児院で9歳で亡くなっていた。かよは最後まできみは米国に渡ったと信じていたという。日本平の母子像はこの”ドラマ”をよりどころに86年建立された。きみは宣教師に預けられなかったなどとする異説がある。女優五大路子さんは昨秋、主宰する劇団の公演でかよを演じた。「現代こそ、赤い靴の歌に秘められた母子が思い合う心を響かせたい」とあいさつ文に。1月27日は雨情の命日。謎めいた詩と哀愁のメロデイーが織りなす情感は、来歴を知らなくても心に響く。 

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    1. Toyoshimaさん、大島さん、「赤い靴母子像」に関する詳細な説明をいただきありがとうございます。お陰様でよく理解出来ましたが、知れば知るほど悲しい長い経緯があることも分かりました。母が子を思う愛情の深さに感動しました。(A.Ishii)

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    2. 詳しいコメントありがとうございました。文中の女優五大路子さんのあいさつ文、「現代こそ、赤い靴の歌に秘められた母子が思い合う心を響かせたい」に感動しました。
      最近の事件のニュースで、親が子を殺害したという、信じられないような報道に接し、なぜこのような悲しい事件が起こるにか、考えてもわかりません。「赤い靴母子像」に象徴されるような普遍的な「母子の愛情」が欠如しているわけですね。時代の流れでしょうか?

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