2019年5月10日金曜日

写真撮影と思い出のカメラ ‥‥ Y.Kanou


「写真撮影をやってみよう・・・デジタルフォト教室へ」

小学生の頃から、カメラには興味があったのですが、撮影することには、あまり興味がありませんでした。
しかし、ひまなこともあって、2年前に突如、写真撮影をやってみようと思い、市民講座の「デジタルフォト教室」に通い始めました。今年で3年目になりますが、なかなか撮影の腕前は上がりません。

「作品発表会に出品」

教室では毎年1月に、受講者の作品発表会をやっているのですが、昨年と今年の発表会に出品した作品を、添付してみます。

一つは一昨年の12月に撮影した鹿島港の写真で、もう一つは昨年の11月に撮影した山茶花の写真です。

鹿児島港
山茶花
「最近撮影の作品

また、最近撮った写真3枚(新緑、ツツジ、チューリップ)も添付します。どれも家の近くで撮影したもので、まだこの程度の写真を撮るのが、精一杯です。


新緑

ツツジ
チューリップ
「デジタル一眼レフと高倍率のズームレンズ」

使用したカメラは、デジタル一眼レフで、レンズは主に高倍率のズームレンズを使いました。高倍率のズームレンズというと、まじめに撮影に取り組んでいる人からは、批判されるかも知れませんが、教室の先生(プロの写真家)も使っておられますし、また、先生はスマホでもよく撮っておられます。

要は撮った写真が重要であって、撮る道具は何でもありでいい、と思っています。

写真撮影もやってみると、なかなか面白いことが分かりまして、結構楽しんでいます。

「思い出のカメラ」

愛用のカメラ
話は変わりますが、カメラが写っている写真の、前列3台のカメラは、1954年頃に、一般向けとして販売されていた、代表的な3種類のカメラです。

当時は自分のカメラ熱が、かなり高くなっておりまして、カメラ雑誌に掲載されている、こういうカメラをうっとりとながめ、いつかこういうカメラを、手に入れたいと思っていました。

御存じの方も多いと思いますが、写真の一番左のカメラは、35mmレンジファインダーカメラで、その右はスプリングカメラ(蛇腹カメラ)、そして三番目は二眼レフです。

レンジファインダーカメラ

この中で、最も人気があり高価だったのは、レンジファインダーカメラでした。当時田舎の中学生だった自分も、いかにも精密機械という感じの、レンジファインダーカメラが、とても魅力的だったのですが、手に入ったのは、おもちゃに毛の生えた程度の、中古のスプリングカメラでした。

二眼レフ

二眼レフは部活の先生が持っておられ、よく撮って頂きました。また中学生時代は、フィルムの現像やプリントは、バスに乗って、町の写真屋さんへ頼みに行かなければならなかったので、本から情報を得て、自分でやっておりました。特に現像液の中で、フィルムや印画紙に像が表れてくる瞬間の感動が、今でも忘れられません。

一眼レフ

また、ちょっと時代は下がりますが、後ろのカメラは、1973年頃に家族の写真を撮るために購入した一眼レフですが、会社でも使用していまして、いろいろ珍しい体験をした、始めての海外出張にも、持って行きました。

古いカメラを購入


5年くらい前に、今でもこのような古いカメラが流通していることを知り、思わず念願のレンジファインダーカメラを衝動買いしてから、手放したりまた違うカメラを買ったりしています。 実際には、ほとんど撮影には使っていないので、全部手放しても問題ないのですが、これらのカメラを見ていると、その時代の学校のこと、友達のこと、故郷の風景や近所の人々のことなど、いろいろなことが思い出されて、どうしても全部手放すことはできません。

カメラへの愛着

今年、中学校の同窓会が開かれる予定があります。 最後の同窓会になるだろうと思いますので、古いカメラを持って行って、同級生の写真を沢山撮ってやろう、と思ったりしますが、やっぱり実際に持って行くのは、デジタルカメラになるだろうと思います。とにかく技術の進歩はすばらしく、写真を撮ることに関しては、圧倒的に便利になっているからです。

これらの古いカメラは、見ているだけで、過去のいろいろなシーンが浮かんできますので、撮影しなくても、手元にあるだけで充分です。

2019年5月1日水曜日

「はんゆう展」その2 (A.Ishii)

3月末「はんゆう展」その1を投稿しました。その中でモダンアートの部分も紹介しました。モダンアートと言うと、理解できない、よく分からない、何を言いたいのだろう、何を描いたのだろう、という批評で終わるのが一般的です。ところがこのモダンアートに関することが思わぬ方向に進展したのです。

近所の知人、村木さんも「はんゆう展」をご覧になり、あのモダンアートを出展している杉江先生の色彩感覚は素晴らしい。杉江先生にお会いしてお話を聞きたいので紹介して欲しいとのこと。この村木さんは長年絵の勉強をして、いまでも写実的な絵を描いておられます。私は芸術的なことは分からないが、制作の行程を知りたいと思い、村木さんと下田市吉佐美にある杉江先生の版画アトリエを訪ねました。以上が経緯(いきさつ)です。

(1)概要
先生の版画は謄写版でした。我々が小学生の頃はテストは藁半紙に謄写版で刷った手書きの問題を配布されました。蝋紙に鉄筆で字を書くとその文字はインクを通し下に敷いた藁半紙に写る仕掛けです。ある時期からその非効率なやり方は現代的な方法に変わり、謄写版の機械と蝋紙等は廃棄される羽目になったのです。先生はその機械と専用の紙を引き取り、利用して版画を始めました。長い年月を掛け試行錯誤の末に今の作品が制作されるようになったのです。

(2)具体的な方法
イ)下絵を描いておく

*ケント紙の上に絵具で下絵を描く。
*4枚の下絵は似ているようだがそれぞれ
 異なる。
*下絵はそれぞれ全く同じ位置に描かれる。
*説明のために4枚用意したが1枚でOK。








ロ)蝋紙を乗せる

*丸く、くり抜いた蝋紙を乗せる。
*目的は白い余白にこれから乗せる黒い
 絵具が付着しないように保護するため。
*これもきちんと位置決めする。









ハ)元絵を乗せる

*絵具を通す紙(例:コーヒーフィルター)
 にニスなどで描いたものを乗せる。
*元絵は自分のイメージするものを描いた
 大事なものである。
*時にはクレパスを併用することもある。
*位置決めは慎重にする。







ニ)黒絵具をローラーで塗る

*黒絵具をローラーで全体に塗る。
*ローラーは絵具を付けて少し空転すると
 上手く塗れる。 
*今回は色は黒であった。









ホ)刷り上がり

*以上で最も簡単な作品が完成した。
*絵具が乾燥するには5~6時間かかる。











以上は説明のため簡単な1行程をみせてもらった。この様な作業を何回も重ねて作品にしでゆくのである。1作品に元絵を何枚も用意する場合もある。元絵を描く技法も大変なもので、ニスを垂らす、クレパスを利用する、歯ブラシに付けた絵具を飛ばす、絵具を指でこする、其の他いろいろある様です。今回はA4サイズで実演してもらったが、展覧会に出品するもので大きなものは 98cm X 130cm になる。従い小さな謄写版では刷れないので大きな謄写版機を自分で作ったそうである。(写真がなく残念)


(3)他の作品例

この作品で何回くらい色を重ねただろうか? 何だか気が遠くなりそうである。  


(4)同じ方法をとる芸術家











同じく似た方法の有名な版画家として2冊の作品集を見せてもらいました。右の作品集の作者はFUKITA FUMIAKI(吹田文明)と言う方で、まだお元気とのこと。しかしこの様な版画手法の人は稀で、日本では自分と吹田先生くらいとのこと。杉江先生の技法を継承する人は?との質問に「継承者はいない」と杉江先生は少し寂しそうでした。


(5)偶然の出来事(全く偶然)
連れの村木さんと帰宅したのは夕方でした。その晩、録画しておいた「開運!何でも鑑定団」を見ていたら最後の部分に、その吹田文明先生が出演していたではないですか!私は食入る様に何回も見ました。大変立派な経歴の方でした。それではその動画を(拡大画面で)ご覧ください。



(6)杉江先生の代表的作品
   2010年からの モダンアート 展 会員出品作品 を見てみよう。(クリックする)

     
                       (左上のをクリックすれば戻る)

毎年 絵画 彫刻 版画 写真 デザイン スペースアート に分類されて展示される
モダンアート展への出品作品です。私の友人,imasanが「理屈は必要でなく、見る人が感じたまま」でよいのが抽象画であると言いました。余り難しく考えないで見ていただけたらよいのでしょう。


(7)まとめ
「はんゆう展」を見に行き、そのまま終わるはずであったのが、近所の知人の村木さんの熱意によって杉江先生のアトリエまで訪ねてしまいました。そして偉大な 吹田文明先生 も知ることになったのです。今後は抽象的な版画、広くは芸術作品を見る自分の目が多少なりとも変わるのではないかと思います。
           一緒にアトリエをたずねた 村木さん(左)と杉江先生です。
                     (おわり)