2022年9月23日金曜日

最近描いた絵(18)Seiji Toyoshima

 少し間が空きましたが、また、いつもの絵の投稿です。最近描いたアクリル画4点(ただし、2点はアクリル画を油彩画として仕上げたもの)を掲載します。

夏は暑さのため、野外スケッチは敬遠して、室内のみで描いています。従って、花の絵が多くなりました。


(1) アクリル画を油彩画に変身

私の絵の描き方の変遷・・・8年前に透明水彩画をスタートしました(最近では透明水彩画はアクリル画の下絵として描く程度)。次に4年前からアクリル画に転向し、絵画教室で習っています。

透明水彩画は、短時間で描け、絵にも魅力がありますが、テクニックがさまざまあり、難しい(私には思うように描けない)。また、一度塗ったら修正が殆どできない。一方、アクリル画は、時間がかかるが手直しができるので、ある意味容易。・・・これがアクリル画へ転向した理由です。

現在は、専らアクリル画ですが、最近「アクリル画として仕上げた後(アクリリル画は水で溶くためすぐ乾燥して手軽に描けるが、油絵は乾燥するまでに数日かかる)その上に油絵具を塗り、油彩画として仕上げる」描き方をする先輩を見受けます。油彩画のメリットは、「色や艶に深みが出る」と言われています。

そこで、今回アクリル画でほぼ仕上げたものをその上に油絵具を塗って仕上げてみました(掲載した、「フランスギク」と「カンツバキ」の2点)。

個人的にはアクリル画は油彩画に近いと思いますが、油彩画として仕上げた方が色や艶が深みを増したように感じています。

今後、場合により油絵具の併用も試みたいと思いますが、当面はアクリル画主体で進めたいと思っています。


(2)腰痛は一進一退です

慢性腰痛は時々よくなりますが、依然として一進一退で続いています。特に朝起きたとき左の腰に痛みを感じます(血行不良が原因との説あり)。ストレッチで体を動かすと段々よくなってきます。なお、日常生活は年相応にOKです。

対策として、鍼治療に数回通いました。少しづつ効果を感じています。また、高齢者のための健康体操(足腰の筋トレ)を週1回ですが(標準は週2回)始めています。翌日筋肉痛が残りますが、足腰がしっかりしてくるように感じています。

これらの対策を続けて、現在週一回15分の散歩を30分に延ばすようにしたいと思っています。


(3)最近描いた絵

① 「公園入口の景色」:写真1.

近くの公園の入り口付近の景色です(手前の奥が広い公園です)。正面の民家のエンジ色の生垣が他とのコントラストがよいと思い、その周辺を描いたものです。この生垣は、「アカメモチ(ベニカナメモチ?)で時々見かけます。春からエンジ色の新芽が出ます(冬は緑色)。

 <写真1.サイズF6,アクリル画>

         写真1.「公園入口の景色」


②「ひまわり」:写真2.

ひまわりは、夏を代表する花の一つで、花言葉は、憧れ、情熱など。花の色は黄色、白のほかに沢山あるようです。


  <写真2.サイズF4,アクリル画>

        写真2.「ひまわり」


③ 「フランスギク」:写真3.

ヨーロッパ原産の花で、普通は庭園で見られますが野生化したものもあるそうです。花言葉は、忍耐、寛容など。この絵は、初めアクリル画として描きましたが、色の具合がすっきりしないので、より滑らか色になるように油絵具で仕上げました。アクリル画より艶が出てきたように感じます。

  <写真3.サイズF4,アクリル画→油彩画>

              写真3.「フランスギク」


④「カンツバキ」:写真4.

このカンツバキ(寒椿)は、サザンカとツバキの交配種だそうです。開花は、12月~2月で花の直径は7~9cmほど。花言葉は、謙譲、愛嬌など。この絵は、初めアクリル画で描きましたが、背景のボケた様子が上手くいかないため、油絵具を上から塗り油彩画として仕上げました。


   <写真4.サイズF4,アクリル画→油彩画>

              写真4.「カンツバキ」

2022年9月11日日曜日

墓じまい…お寺が無くなるなんて! imasan

 これは、私が、今年1番、自分の精力を最大限に使った案件でした。私的なことで、掲載しようかどうかと惑いました。

「前書き」

福井県越前市(旧名武生市)に我が家のお墓があった。6年ほど前に住職が亡くなられ、その後を息子である別の寺の住職が面倒を見るようになった。

越前市にあるお寺

3年前にお寺にある位牌を整理するから来る様にとの手紙が来て、引き取りに行ったが、見つからなかった。その際、墓じまいをしたらどうかと打診があった。母親の23回忌が済んだらしましょうと答えた。また、息子からこのお寺の面倒を見るのはやりたくない、いやいややっているとの話だった。

「菩提寺の解散」

昨年初め、檀家の代表から、お金の使い道が不明朗なので、檀家でお寺の面倒を見て行くことになったと手紙が来た。良かったと思った。ただ、檀家12軒と少なく、大変だなーと思っていた。

ところが、昨年10月に入り、住職代理(息子)からお寺を解散するとの檀家と住職代理の間で交わした契約書が送られて来た。また、お墓の移動をするようにとの書面も添付されていた。檀家代表は、お寺から除籍していた。何があったかは、分からない。

「墓じまいの決断と通知」

年が明けてもお寺から何の連絡もないので、こちらから墓じまいをするとの手紙を送った。

「墓じまいについて調査」

また、墓じまいについて調べ始めた。インターネットで以前に調べ、良さそうに思え3年前にカタログを貰っていた業者に見積もりを依頼した。

見積もりには、現地での確認が必要とのことで、時日を要した。18万ぐらいと思っていたが、32万円ほどだった。お墓の面積で見積額が違うと言う答えだった。見積もりと同時に「墓じまいの流れ」・手順書が送られてきた。まず第一にお役所(越前市役所)との手続きが必要なことが分かった。

「改装申請書」

墓じまいは、お墓を撤去して更地に戻すことであるが、それでは済まず、「改葬」申請と許可が必要だった。「改葬」とは、すでに埋葬されている遺体や遺骨を、所定の手続きを踏んで、現在のお墓以外のお墓、永代供養墓、納骨壇など別の形態のお墓に移動させることです。改葬の手続きは、墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)第2章に定められており、自分の家の墓であっても自由に遺骨を持ち出すことはできない。

兎にも角にも、お骨の移動先が決まらないと墓じまいは出来ないのです。改葬申請書には、移動先のお寺からお骨を受け入れると言う承諾書をもらい添付し提出する必要があります。

「受け入れ先のお寺」

これまで、自分には後継ぎがいないことから新たなお墓は作らないことに決めていた。それで、永代供養墓をどこにするかと言うことを調べて来た。

結論は、家内の両親のお骨が納められている京都の西本願寺の大谷廟と日本のどの宗派も受け入れる大阪の四天王寺の2つを選んだ。小学校の担任の先生が、入っておられる一心寺もあるが、最近、改葬による納骨は受け付けなくなった。

「菩提寺へ電話」

お寺からは無しのつぶてで、思い余ってこちらから代理住職のお寺に電話した。電話口で、お寺の取り壊しについて、市と県の許可を得て、手続きは、90%済んでいるとのことだった。代理住職が住職を務めるお寺に移動する家と墓じまいされる家と両方があり、5軒ほどが済ませているとのこと。

墓じまいの場合、移動先のお寺を探すのも大変だろうから永代供養墓を立てることにしており、檀家と話合い積み立てをしている、3年先になるがそこに入れてはどうか、お骨は預かると提案された。とりあえず、話合いに行くことにした。墓じまいでは、いやでも、お寺の管理者との話し合いが欠かせない。

越前市には、小学校の同級生がおり、今はコロナで活動休止中だが、しっかり者の同窓会の幹事の女性2人と事前に相談することにした。

「越前市へ・行動予定」

武生駅に到着すると、同級生2人が車で迎えに来ていた。どこかで食事と言うと隣の駅近くの温泉施設の食堂に案内された。

当家のお墓

今日の予定は、お墓に寄ってから代理住職のお寺に行き、その後、市役所で改葬申請書を貰い、書類の内容について説明を聞くこと。また、地元の石材店で墓じまいの見積もりをしてもらうことを伝えた。

「小学校同級生の友人と相談」

友人、女性2人との食事の席で、事の次第を告げると、住職提案の永代供養墓にお骨を収めること、また、お墓を移動することにも猛反対だった。この先、私が居らなくなったら、誰もお墓に来る人も無いし、お寺との付き合いも煩わしい。問題を先送りするだけだと。

この様に、友人2人にお尻を叩かれたが、これが良かった。

「お寺との話し合い」及び「閉眼供養」

食事後、お寺に行き代理住職と話をし、3年先にはどうなっているか分からない、電話で提案された永代供養墓への納骨は止め、墓じまいするとをしっかりと伝えた。

ついでに、住職と共にお墓に行き、工事前のお墓の魂抜き(閉眼供養)をしてもらった。

「越前市役所へ・改葬申請について相談」

その後、越前市役所に行き、改葬申請書について担当から説明を受け、申請用紙を貰った。申請には、改葬申請書、埋蔵証明書、受け入れ証明書の3つの書類の提出が必要。

a.改葬申請書には、改葬する先祖の名前、住所、命日、年齢などを記入したリストの提出が必要。

b.埋蔵証明書には、お墓にどの方が、何年、何月,何日に埋葬されたかの証明をお寺から貰い提出。

c.受け入れ証明書には、新たにお骨を受け入れるお寺の発行する受け入れ承諾書の提出が必要。

つでに、当地では、どこの石材店で墓じまいをされているか聞いた。お店の名前を教えてもらった。

「墓じまい業者訪問・見積もり依頼」

市役所を後にして、同級生の車で教えてもらった石材店に行くことにした。その石材店は、運よく、友人が、お墓の修理を依頼したお店であることが分かり、直ぐに連れて行ってもらえた。ただ、お店の主人が留守で、奥様にお墓の写真を渡し見積もりを依頼した。

ご主人との電話連絡で、明日の朝に見積もりを渡せるとの回答を得た。友人のお孫さんと知り合いということで、なるべく安くしてもらう様に頼んで頂けることになった。

当日は、温泉施設「湯楽里」に泊まって、明日朝、見積もりを取りに行くことにした。

「墓じまい工事依頼」

翌朝、電話で確認すると10時頃には、見積もりが出来るとのことだった。友人が迎えに来てくれ、まず、お墓に行って骨壺数を確認した。

石材店に行き、見積もりを見て驚いた。20万円だった。ただ、特別に安くしたので内緒にとのことだった。また、お骨は、骨壺から出して乾かすという丁寧ぶりに感心した。骨壺は、3つにしてもらうことにした。

墓じまいを正式にお願いすることにした。ただ、改装申請書を提出し改葬許可書が送られて来た後、工事開始となる。

「残された今後の作業

この先にやるべき事は、改葬先のお寺を決めること。これが1番大事である。そのお寺から改葬承諾書を発行してもらい、それを改装申請書に添付し越前市役所に送り、改葬許可書を得る。

許可を得たことを石材店に連絡し、墓じまいの工事をしてもらう。工事が終わり次第、お骨を引き取りに行く。

引き取ったお骨と改葬許可書を持参することでお寺に納骨が出来る。何とも時間のかかる仕事だ。

「改葬先の決定

越前で宿泊中に、納骨先の候補の1つである西本願寺の担当窓口に電話をした。まず、西本願寺系列のどのお寺か聞かれた。そのお寺の檀家であるという証明書の提出が必要と言われ、納骨出来ないと判断した。

四天王寺

改葬先は、四天王寺にすることにした。

「改葬申し込みと承諾書入手

自宅に戻り2日後、改葬許可を得るために、過去帳から改葬者のリストを作成、保健証、印鑑を持って大阪の四天王寺を訪れた。これまで、何度となく電話で確認し納骨手続きを担当する所は、境内にある六時堂と聞いていた。新快速で大阪に行き、環状線で天王寺で降りて、四天王寺に歩いて行った。いつもは大勢の参拝者で賑わっているが、今はコロナの時期で、境内は閑散としていた。

境内中央にある六時堂に行き受付で、改葬納骨したいと申し出た。改葬される方は、どなたですかと聞かれたので、曾祖父、曾祖母、父親、母親、叔父の5人の名前などを書いたリストを手渡した。この中の代表者名前で納骨をと言ったら、納骨される皆さんの名前を書くべきと叱られた。この5人の名前で、納骨承諾書を発行してもらえた。

これでご先祖の永大の住処を得られた。聖徳太子創建の由緒あるお寺が、我が家の新たな菩提寺だ。これで良かったと思った。

「改葬申請書を越前市役所に発送」

家に戻り、早速、改葬申請書を書き、納骨承諾書を同封し越前市役所に郵送した。郵送が規約で、改葬許可書を送ってもらう返信用封筒を同封した。

「改葬許可書入手と石材店に工事依頼」

それから、待つこと10日ほどで改葬許可書が届いた。直ぐに石材店にメールで知らせた。工事は、2日ほどで終わるが、お骨の乾燥に数日かかるとのことだった。

「越前市へ・お骨の引き取り」

先方の工事都合日もあり、お骨を引き取りに行ったのは、改葬許可書が届いてから20日後だった。墓じまいの工事業者・石材店には、お骨を乾かすなど丁寧な対応に、感謝の気持ちを伝えた。見積もり通りの費用だつた。

今回も、また、同級生のお世話になった。越前市を3度訪れ、その他の同級生とも会うことが出来、ミニ同窓会をした感じだ。同級生の皆様には、感謝してもしきれない。

「四天王寺へ納骨と諸手続き」

自宅にお骨を引き取り、3日経ってから納骨に、大阪天王寺にある四天王寺を再度訪れた。前回の手続き時に受け付けを担当した女性に今回も担当してもらい、覚えていておられ丁寧な対応をして頂いた。

契約確認書に従って、1つ1づつ内容を確認しながら進められた。お骨は、乾かして来られましたかと聞かれたので、乾かしましたと答えた。越前市の石材屋さんのお陰である。先に、戒名で納骨が良いと言われ、俗名、戒名、命日などを事前に書いて行ったので、手続きはスムーズだった。

納骨費用は、1霊当たり1万円で、他より安く庶民のお寺と言える。納骨で書いた5人の戒名を記入した、小さな過去帳を筆書きで作成された。

また、骨壺には5人の戒名を筆書きしたお札作成され、仏前に置かれれ前に私の手を3つの骨壺の上に貼った。最後に、お骨を拝んでお別れし、六時堂の仏前に他のお骨と共に並べて置かれた。今は、コロナでお堂の中に入れないので、お堂の前に立ちお坊さんの読経に合わせてお経を唱えた。この後、骨壺は、墓地に隣接する建屋に安置され、いつでも拝みに行ける。

この様に手のかかる手続きのために、待ち時間含め2時間を要したが、それなりの充足感があった。

お骨は、今年の11月15日に行われる、納骨総祭法要後に合祀墓に収められる。

「墓じまいを終えた心境」

何とか、先祖の落ち着き場所を探すことが出来た。新たな永代の菩提寺が出来一息ついた。

大阪は感染者が多い、お参りしたいので、早くコロナが収束して欲しい。

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はがき絵1枚掲載