2018年3月2日金曜日

般若心経について(その2)

 今回(3月定例)の投稿は、前回の投稿(「般若心経について」:2017.10.02)の続きで、般若心経(以下、心経という)の内容についてです。  
前回の記事の中で、「心経の中から、私が重視しているフレーズを三つ選び、その内容について記してみます(三つのフレーズのうち、後の二つについて の投稿は、別途)」と記しました。以下、続きを投稿します。
 
なお、記事のテーマとは異なりますが、末尾に「ブログ記事が消えた!・・・ 再投稿の」を追記しました。2月初めに気付いたものですが、信じられないようなことが起こりましたので、少し長くなりますが、ご一読をお願いします。  
  
1.はじめに     
前回の記事で「心経の本文262文字の中から、私が重視するフレーズを三つ(下記)を選びました。前回の投稿は、①についてでしたが、今回は、残りの②と③についてです。  
  
  ①照見五蘊皆空 度一切苦厄  ・・・写経・本文の1~2行目、  (前回)  
  ②色即是空 空即是色      ・・・写経・本文の3行目、     (今回)  
  ③能除一切苦 真実不虚    ・・・写経・本文の14行目、  (今回)    
  
2.「色即是空 空即是色」について        
(1)愛読書による「訳」と「解説」     
愛読書*による、「色即是空 空即是色」の訳と解説は、次の通り。  
 *:愛読書:「ボールペン 般若心経 練習帖」(桝野俊明 監修)・・以下同じ    

<訳>   
形あるものは、常に変化しあらゆるものと関わり合っています。      
また、すべて変化し関わり合っていることによって、形あるものが      
存在しています。      
  
<解説>   
世界を成り立たせている真理:「色即是空」   
・目に見えるもの(色)は、常に変化し(無常)、あらゆるものと関わり合い ながら(無我)存在している。これが「色即是空」です。次に、「空即是色」と続き、同じ真理を逆のいいかたで表現します。これは、すべてのものが移り行き、関わり合いながら、存在している「空」によって、私たちの身体や世界(色)がつくられていることを表します。  
  
<私見>      
このフレーズは、般若心経の中でも最も有名なものです。他の解説書には 次のように訳されています(桝野俊明 「心訳 般若心経」より)。  
  
<心訳>   色即是空 空即是色
私たちの身体や存在するもの「色」は、じつは実体のないもの「空」で あって、つねに移り変わることによって、そして、さまざまなものと関わりあっているおかげで、存在しています。また、実体のないもの「空」 が、移り変わることで、存在(色)となってそこに現じているのです  
  
・前回の投稿で、「空」について:「空=実体がない」(直訳的)と「空=無常・無我」(意訳的)と二つの解釈があると記しましたが、上記「心訳」では、これら二つの解釈を組み合わせていて、こちらの方が、愛読書の訳よりわかりやすいと思っています。  
  
3.「能除一切苦 真実不虚」について    
(1)愛読書による「訳」と「解説」      
愛読書による、「能除一切苦 真実不虚」の訳と解説は、次の通り。  
  
<訳>  
(般若の智慧は)すべての苦を取り除くことができます。それは、真実で あり、虚しいものではありません 。  
  
<解説>  
すべての苦を取り除く、般若の智慧  
・私たちの「」*は、自分の欲望を満たしたいのに、それができないところから生まれます。しかし、智慧を完成させると、その「」を取り除くことができます。  
 *:仏教での「苦」とは、心身の苦しみのことではなく、「自分の思い通りにならないこと」  
・どんなに栄華を極めたとしても、反対に、どんなにつらい体験をしたとしても、いっさいは過ぎてゆくものです。この道理がわかったときに、執着から解き放たれます。その時はじめて、苦しみから真の意味で自由になれるのです。  
真実とは、すべてが無常であり無我であることです。なぜならそれが、私たちを生かしているこの世の真理だからです。  
無常無我、つまり「空」の真理を理解してこそ、心穏やかに暮らすことができるのです。
  
<私見>    
心経は、「大般若経・600巻」を262文字に凝縮させたもので、「智慧の宝庫」といわれており、日本の現在の仏教宗派13のうち11宗派で用いられています。  
また、一般には、読経、写経などを通じて古くから親しまれています。  
お釈迦さまの教えが2600年ほど前から、永きにわたり受け継がれていることは、心経がそれなりの「真実」を含んでいるからと考えています。  
  
4.まとめ(愛読書に学ぶ)     
・心経の写経を1日2行のペースで続けていますが、その日の写経に相当する「愛読書」の頁を読んでいます。  
「愛読書」の構成は、心経・経題を含んだ全276文字を31のフレーズに分け、(31日となる)一日分のフレーズごとに、「訳」と「解説」、続いて、桝野師の仏教に因んだ「法話」が掲載されています(写経1日2行は、ほぼ4日分に相当)。 

心経は智慧の宝庫といわれるように、一字一句に奥深い意味があり、教えられる内容が多く、「愛読書」の解説を読みながら理解を深めようとしています。  
また、「法話」は、「禅語」を引用するものなど、伝統的な仏教の教えが述べられていて、どれも有意義なもので、学ぶべき点が多いと思っています。  
  
ニ回にわたって、個人的に重視しているフレーズを取り上げましたが、このほか にも学ぶべき内容が多く、今後も愛読書を繰り返し読んでいこうと思っています。  
  
  

 <お知らせ>(ブログ記事が消えた!・再投稿の件)   

(1)2月上旬に「不表示」を発見!      

2月上旬に私の過去のブログ記事3件(下記)が「不表示」になっていることに気付きました。なお、不表示」は、「削除」によるものです。  
  
2017.2.2投稿「水彩画(その3)」、②2017.2.20投稿「般若心経の写経」、      
2017.6.2投稿「水彩画(その4)」      
  
早速、ImasanさんとIshiiさんに調べていただきましたが、消えた原因は不明で、「削除後、90日以内なら復元可能」とのことでした(時すでに遅し)。    

(2)不表示の状況      

私は、投稿後に(しばらくして)記事を「印刷」し、保存しています。そのうちの、2017.8.19に印刷した、2017.6.2投稿「水彩画(その4)」の印刷したものをみると、 この記事の冒頭のページにある「ブログアーカイブ」(既投稿記事を保存する フォルダ)に、上記(①~③表示されています!!(写真1)。  
  
また、例として、遡って2017.1.17投稿のNojiri さんの記事のアーカイブをみますと、上記①~③不表示となっています(①~③の不表示は、過去に遡って全記 事のアーカイブに適用されていることが確認されます)(写真2。  
  
写真1.から、3件とも少なくとも 2017.8.19 までは表示されていて、これ以降 に同時?に除され、不表示になったものと推定されます。

(3)削除の原因は?      

削除の原因として、2017.8.19 以降に、私の何らかの操作ミス(削除はダッシュボード上で簡単にできる操作で、2016年に一度使ったことはよく覚えています))で削除してしまったことが一つ考えられます。  
しかし、意図的に削除したという覚えはなく、他にも原因があるのか、よくわかりません。  
なお、削除の操作ができるのは、本人と管理者(オーナーの特権)だけになります(他の投稿者の方は、削除できないという仕組みになっています)。  
  

(4)不表示3件の再投稿(復元)      

不表示3件については、投稿記事を印刷したものや、原稿と画像はPCに保存していますので、3月から順次、再投稿(復元)する予定にしています。  
ただし、皆さんから頂きましたコメントは、復元できず、申し訳ありません。          
  
  

写真1.投稿日:2017.6.2「水彩画(その4)」、印刷日:2017.8.19

         

写真2.投稿日:2017.1.17(Nojiriさん)、印刷日:2018.2.26

  

10 件のコメント:

  1. 般若心経についてのご投稿拝見いたしました。私も勤めていた学校が仏教系で、釈尊降誕会とか盂蘭盆会などの行事の時に僧侶が般若心経を読経しますので、親しみがあります。そんな経緯で、仏壇に毎朝小さな声で読経します。マンネリ化してあまり功徳がないように思います。その点写経は、一字一句心を込めて書いてゆくのでその意味が心にしみこむのではないでしょうか。記事を一読させていただき、新鮮な解釈を読んで、また新しい気持ちで心経に向かえると思います。次を楽しみにしております。

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    1. 「愛読書」には、読経について次のように記されています。
      「無心になってお経を唱えよう。頭を空っぽにして、ただ無心に唱えるのです」。
      私の毎日のルーチンとしての心経の読経は、朝の座禅、写経、寝る前のストレッチそれぞれの前に唱えています(ブツブツと)。時々途中で雑念が浮かび、無心になることは難しいです。絵のクラブで、絵を描き始める前に「心経」を唱えるという方がおられます。素晴らしい絵を描いていますが、何か功徳があるのかと思っています。

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  2. 豊島さんの「般若心経」の解説 興味深く読みました。前回に続いて、今回の解説も大変解りやすく、内容もよく理解出来ました。貴兄に刺激されて お寺で頂いた「仏前勤行集」の中の「般若心経」を暗誦し、写経も行っています。ほぼ全文を暗誦し、写経もお手本を見ずに全文を書き記すことが出来るようになりました。(時々間違えるときもありますが)
    「不表示」の件:よく理解できませんが、小生の投稿した「趣味の木工作品」については、2017年1月の投稿に載っていますが、消えたのでしょうか?

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    1. ・「写経もお手本を見ずに・・・」には、恐れ入りました。私は、書道の意味もあり、お手本を下に敷いて書いています。
      ・「愛読書」から引用します。「写経とは、一字一仏、一文字書くことは、一体の仏様を彫るのと同じで、一文字一文字が大変ありがたいという意味があります」。また、「頭を整理し、心をシンプルにしてくれるのが、写経の大きな功徳なのです」。私は、一日2行ずつほぼ毎日続けていますが、上記のことを時々思い出して、心掛けようとしています。
      ・野尻さんの投稿を引用させていただいたのは、私の不表示の前月の例を確認したかったわけです。私の3件以外は、すべて「表示」されています。ご安心ください。

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  3. 豊島様、般若心経の主要部分の説明有難うございます。色即是空、空即是色について、私が読んでいる本には、「形あるものは無に等しい。無なるものが、もろもろのものを形づくっている」と説明されています。だから、全て無だと理解しています。また、続けて下さいね。
    さて、投稿が消えた点、ブログのアーカイブからも消え、ソースを見てもそっくり消えていて追跡出来ませんでした。(投稿記事の上でマウスを右クリックすると、メニューの中にソースの表示と言う項目が出てきます。それをクリックするとソースであるHTML文が表示されます。)野尻様の「趣味の木工作品」は消えていません。
    これからは、ワードかメモ帳に原稿を書いて、それを投稿記事画面に貼り付けて投稿すれば原本は残るので、このようにしようと言うことにしています。

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    1. 「空」については、これからも機会あるごとに考えようとしていますが、今のところ「空=無常・無我」と捉えるのが、役に立っています。ある人が「空」とは、「あるとも言えず、ないとも言えず、幻のようなものだ」と言っていたのを覚えています。
      「空には、様々な解釈がありますね。
      ブログ不表示の件については、お世話になり、ありがとうございました。

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  4. 何回か法事の時に「般若心経」を読経しただけの私です。それがToyoshimaさんを見倣おうと一念発起して愛読書「ボールペン 般若心経 練習帳」を購入して写経も始めました。ところが怠慢な性格からか、一週間で頓挫してしまいました。これが私の実体です。理路整然と解説いただいているのに、さて現実の生活に当てはめると・・・などと考えると残念ながら理解出来なくなりコメントも書けずにごめんなさい。Toyoshimaさんは勿論ですが、コメントされる方々が物凄く勉強されておられることに敬意を表します。
    ブログ記事不表示 問題は私の実力ではハードルが高すぎて解明できません。しかし、これは大きな問題を投げかけられたと思っております。(A.Ishii)

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    1. 「愛読書」によりますと、『観音様は、深い「智慧」と「慈悲」で私たちを救ってくださる仏様です』、また、観音様には二つの訳があり、「智慧」を説くときは「観自在菩薩」、「慈悲」を説くときは「観世音菩薩」と言ういとあります。さて、石井さんの前回の投稿「フライパンとミシン」拝見したとき、石井さんの生活に「慈悲の心」を感じました。私も心経の「智慧」のほかに、慈悲に心掛けねばと思っているところです。

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  5. 般若心経に相当精通していることに感服しています。豊島さんの解説で分かる様に「色即是空」と、それに続く「空即是色」の対句は、まことに深遠な真理を示しています。すべては
    「諸行無常」であり、「諸法無我」と説いています。つまり、この世のすべては生成し、死滅している変化を繰り返しています。それが、「色」と「空」の真理と理解しました。この真理を掴んだとき、本当の悟りが開け、その真理に立ったとき、苦悩のイバラの道の人生から、本当の幸福の道に導かれることになる。仏教の根本となる「諸行無常」が歌われている弘法大師空海の作と言われる「いろは歌」を紹介いたします。
       諸行無常/色は匂へど散りぬるを   是生滅法/我が世誰れぞ常ならむ
       生滅滅已/有為の奥山今日超えて   寂滅為楽/浅き夢見じ酔ひもせず
    〔解説}
      諸々につくられたもの、あらゆる存在、現象は永遠のものでなく、流転し変化する。
      これは生じて滅びるものである。この生滅の状態にとらわれない境地に至れば、そこに は、真の安らぎの世界がある。

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    1. 素晴らしいコメントで感心しました。文章も上手ですね。以前の「空」についてのコメントにも感心しました。仏教を相当勉強されておられるように拝察します。
      我が家には、家内が絵手紙風に書いた「いろは歌」の小さな額が掲げててあります。
      漢字でこうなるのですね。よくわかります。ありがとうございました。

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