2019年2月16日に胃の調子が悪いことから胃の内視鏡検査を受けた。その結果、自己免疫性胃炎と診断された。ビタミン12が不足し胃の抗体が自分の胃壁を攻撃すると言う。それで、ピロリ菌の検査や血液検査を受けた。
最終的に、治療はビタミン12を毎日2錠飲むことだった。次回の内視鏡検査は1年後となった。ただ、ビタミン12が正常値に入るなどしたためか検査が延び延びになった。
昨年9月、3か月毎に診察を受けている担当医に内視鏡検査をして欲しいと申し出た。ところが、コロナの時期だからやらない方が良いだろうと言われ、話は終わった。
それが、12月10日の診察時、担当医の方から内視鏡検査をしましょうと言いだした。東大の先生が自己免疫性胃炎患者の胃壁のサンプルが欲しいと言うことだった。病院の方針転換もあったのか、頼んでいない腸の内視鏡が4年前なのでこちらを先にやろうと言いだした。他に血液検査などして欲しい検査はないかという。経営上の問題かとも思ったが、一方で怖い気もした。
腸の内視鏡は、1泊2日で1月5日に受け、小さなポリープ3個を切除した。
後回しとなった胃の内視鏡検査は2月12日に受けた。その結果、腫瘍が見つかった。先生も私も思ってもみなかった、それも、丸形でなく異形で大きかった。後の病理検査で明らかになったが、がんと診断された。
それからバリューㇺでの胃の検査、造影剤を使ってのCT検査、最後に、内視鏡手術担当医と担当医による超音波内視鏡検査をに受けた。結果は、内視鏡での手術は出来ず、腹鏡下での外科手術と言われた。また、年齢が気になると言われた。
結果を受けて、友人や家族から、もっと大きな病院で手術を受けてはどうかと言う心配や助言が何度となくあった。それで、滋賀県、京都府の病院の手術の実績、がん指定病院かなど調べた。
がんを患った親戚、友人の助言から京都府立医大は、3人の医師が連携し手術治療に当たると説明を受けた。しかし、遠いことが難点で県内の病院を調べることにした。
私が調べて選んだ大津日赤や滋賀医科大学付属病院などでは、年間60件ほどの胃の手術実績がホームページに記載されていた。また、両院とも滋賀県のがん専門連携病院である。また、該当する消化器も消化器内科と消化器外科に分かれ、更に、上部(食道や胃)と下部(腸や脾臓、肝臓)にも別れており、それぞれ専門医がいる。この違いは大きい。
検査を受けた病院では、消化器科も外科も臓器による区分はなく、腸などの下部の手術がメインと判断した。実績も病院のホームページを調べたが出てこなかった。
言いにくいが、直ぐに担当医に会い、上記2つの病院のどちらかで手術をしたいと申し出た。担当医は、滋賀医科大学付属病院の内科の教授を知っているので、ここにして欲しいと言われ了解した。直ぐに電話をされ、後日、紹介状を書いてもらうことになった。
翌日電話があり、3月4日に予約した午後に紹介状を取りに来るよう電話で連絡があった。余りの早い動きに驚いた。ありがたいとも思った。
3月4日、初めて滋賀医科大学付属病院を受診した。面会したのは、消化器外科のトップの教授だった。先生から、自己免疫性胃炎でビタミン12不足、がんは幽門側にあると絵を描かれ、まず、転移を調べるためにPETの検査をすると言われた。お腹を見せないと言われ触診を受けた。痛いかと言われ全く痛くないと答えた。立ち上がったら、全摘と聞いているかと言われた。余りな事に言葉を失った。実際の担当医を決められ。指示に従うことになった。
先の病院の判断で、新たな病院がそのまま手術をすることに疑問を抱いた。先の病院で、私は胃の3分の1、家内は3分の2と聞いているので何故全摘かと訝った。
全摘は、今後の生活に支障がある。
それで、新たな病院に電話をし、先日会った教授に「胃は全摘でなく3分の1を切除と聞いている」と受付に伝言を頼んだ。すると消化器外科の看護師を呼んで来るから待って下さいと言う。電話口に出て来た看護師さんに上記を伝えた。すると「自分の意思を先生にはっきり伝えて下さいね」と何度となく言って貰った。「カルテに3分の1にして欲しいと書いておく先生にも伝える。連絡したら来ますか」と言うので行きますと答えた。この様な患者に寄り添った看護師さんが居らることに驚くとともに勇気が出て来た。
これが、今後の新たな道を開いた。
電話切って暫くすると再度電話があり「今から来れますか?先生が会ってくれる」と言う。3月11日のことである。
病院に行き担当医と合った。看護師さんに言われた様にこちらの思いを伝えた。先生からは、「全摘だと段々と痩せて行くと言う。また、病理の専門家から自己免疫性について聞いてきた」と言う。用紙に胃の絵を描かれ2分に1をとったとして、「がんになりやすと言う残りの胃壁がどうなのか知りたい」と言われた。4月初めに手術をしたいと言う先生の決断は早く、3月15日に内視鏡で調べてもらうことになった。
これが、一つの大きな流れの変化を呼んだ。
3月15日までの間に、PETによるがんが転移していないか検査があった。この検査で思ったより何故かかなり疲れた。結果は他への転移はなかった。
3月15日、消化器内科の助教授による胃がんの内視鏡検査を受けた。疲れているので、出来るだけ簡単にと言ったら、外科の先生から良く見る様に言われていると答えられた。麻酔なしの検査は長きにわたった。医療用の青い染料を何度も入れられ散布された。他の内視鏡部屋から沢山の若い医者達が画像を見に寄って来た。
終わって直ぐに医師から説明があった。
「以前より腫瘍が小さくなっている。内視鏡で取れたら良い。前の時の広がりが減っている。深い感じが無くて、深さを調べるためにEUSをしたい。」
EUS内視鏡検査を受けることを了承。30分休んで始めると言う。
疲れてはいたが、検査を受けた。その結果について先生(助教授)から詳しい説明があった。
「そんなにめちゃくちゃ悪くない。超音波で深い所まで行っていない。内視鏡でとってみて、それから手術の二段構えとしたい。ESD・粘膜下層剥離術でとる。」
続けて、下記の詳しい説明があった。
「見せてもらってとれない腫瘍ではない。難しい所、根深いととれない。ここであれば良いでしょう。」「一週間入院。3月末ぐらいで段取りしましょう。」
ここから専門的な説明がされた。
「早期がん。潰瘍はない。大きさ3cmまで。分化型。リンパ節転移OK。」それから手術の詳しい説明がされた。「腫瘍の周りにメスで穴を明けマーキングする。腫瘍の下に薬剤を注入し切り取る部分を浮かせる。メスで切り取る。切り取られた部分の血管からの出血を止める。胃にへこみが出来る。」
以上説明されたら、早速、この手術を受けますかと聞かれた。願ってもないことで受けると答え手術承諾の用紙にサインをした。あーっという間だった。
これで、外科手術は当面なくなった。
3月24日にPCR検査、25日に入院、26日にESD手術を受けた。東ちづるさんと同じ手術だった。術後に施術医から切り取った4cm×6cmの楕円のがんを見せてもらった。
ただ、手術中に傷口から感染し10日間苦熱に悩まされた。熱が下がった11日目の4月4日に退院した。ただ、再度の手術が必要か心配もあった。
4月12日、病理検査の結果が出て診察に病院を訪れた。
先生から検査の結果、「リンパにも転移がなく、問題なくがんは切除された」と言うことでした。良かった! 後で話されたが、先生も一抹の心配をしておられと言うことである。
勿論、前記看護師さんに会ってお礼を言って帰途についた。
今回は、何人かの人々、友人、看護師さん、先生の助言と判断のお陰と、納得いくまで調べた自分の意志で幸運にも難局を切り抜けたと強く思った。それで、皆様の参考にでもなればと、この記事を書いた次第です。
imasanらしいね、納得のゆくまで調べて貰ったおかげで、大げさな手術をしなくてすんでよかったですね。我々も既に高齢者ですから、体に負担がかかる手術は避けた方が良いと思います。もし自分が貴兄のような状況になったら、多分手術をしないと思う。そのまま命尽きるまで楽しく好きなことをして過ごすだろうと思います。私は若い時に胃の手術をして、こんな思いは二度としたくないとその時思いました。まだ若かったので通常の生活が出来るまでになりましたが、今この年齢では絶対に嫌だと思います。大手術でなくてよかったですね!!
返信削除若かったら何の恐れもなく、手術していたことでしょう。
削除貴君も若い時に、胃の手術をされたのですね。
若くない今、胃の全摘と聞いた時に、今、貴君の言われる様にそのままにしておこうとも思いました。
また、朝抜きの検査が5回もあり4kg痩せて、手術で身体が持たないのではないかと死も意識する様になりました。
それを救ってくれたのが看護師さんの強い言葉でした。
私の周りは、いずれゴミになるオーディオにレコードやCDだらけ、ここで果てたら家内が大いに困るだろうな。今は死ねないと思いました。
本当に5時間もっかる胃の大手術をしなくて良かったです。
安全第一と言う見識と医術とを持った先生に巡り合ったからです。
この先生方には、感謝しかありません。
退院した今、若い頃と違って、2か月間運動をしなかったので10分も歩くと疲れます。
筋力をもどすのも大変で、半年はかかりそうです。
ほっとして、自分の思いを記録しました。
とにかくベストの選択をしていい結果が出たことは何よりです。その看護師さんはもちろん女性だと思いますが、とにかく女性は、いざとなるとすごいですね。今回も貴兄の状況や担当医の性格なども直感的に判断して強い的確な言葉が出たのかもしれませんね。私の弟が昨年三月に77歳でなくなりましたが、末期の胃がんでしたが,開腹手術後まもなくなくなりました。それまでは、普通に行動できてました。亡くなるにしてもそのままにしておいた方がもう少し生きられたような気もします。コロナにはまだまだ油断できませんが、適切なウォーキングなどして早く良くなってください。 安楽岡弘久
返信削除私を励ましてくれた看護師さんは、女性の方です。
削除弟さん、残念でしたね。内視鏡検査で早期発見が出来ていたら良かったですね。
胃がんは、お医者さんが、何度となくお腹を手で押さえても痛くなく、普通に生活が出来ていて気付くのが難しいですね。
私の場合、僅か2年でがんが出来ました。ただ、吐き気とか貧血がありました。
ピロリ菌が原因となることが多いので、この除去を若い時にしておけば良かったです。
ご指摘の様にこれから体力回復です。3か月はかかりそうです。
imasanの闘病記を一気に読みました。病気とのすざましい戦いがひしひしと伝わってきて本当に感動しました。次に時間軸上に、その時々の出来事を書きながら読み返しました。ことの始まりは2019/2/16の内視鏡検査ですね。途中少しはっきりしないところがあったのですが、全部で検査や治療、診察等18回も受けて最終病理検査結果OKを勝ち取られました。もっとも厄介な病気「がん」と対峙して、自分でも勉強し納得できる方法で治療をうけられた、その姿勢と努力そして強靭な精神力に敬意を表します。本当に感動しました。2020/9/20 には仲間でオンライントークをしましたがimasan には苦しい初期段階であったでしょう。しかしその苦しみも見せず楽しそうでした。本当にimasanの精神力に驚きます。私には真似の出来ないことです。全快おめでとうございます。
返信削除石井様、詳細に読んで頂き恐縮です。有難うございます。
返信削除私の現在があるのは、以下のことからでしょう。
担当の外科の女医さんが、「胃壁がどんな状態なのか詳しく知りたい」と言うお医者さんとしての探求心が流れを変える大きな起点になりました。不思議なものです。
詳細描きませんでしたが、2019・2・16の内視鏡検査の後は、自己免疫性胃炎に違いないか色々検査を受けました。
ただ、私には、もう一つ気がかりがりました。十二指腸に粘膜下腫瘍がありました。
一般的に良性ですが、別の病院で同じ腫瘍があると診断されたゴルフ仲間は、先生の勧めで腫瘍を切除したら小さながんがあったと聞きました。それで、早く内視鏡検査をと思っていました。
でも、がんも腫瘍も痛みがないので、それほどとは思ていませんでした。
今回は、医者や看護師さんなど皆さんのお陰で何とかここまで来れたと感謝しています。
この投稿(まさに記録)から、勇気と感動を受け取りました。
返信削除ありがとうございます。
実は、本ブログやimasanのブログ(Ameba)をよく見ていますが、Amebaでは、2月15日以降投稿が見られず、気にしていたところです。本投稿を見てひとまず安心しました(amebaも見ました)。
大変なことが起こっていたのですね。しかし、「良かった!」に実感がこもっています。
手術が成功して本当によかったですね。
病気を最小限に抑えた、成功例と思います。まるでドキュメンタリーを見ているようですが、主役は勿論imasan (探究心と精神力が素晴らしい)ですが、助演は看護師さん(決定的な助言)、またスタッフは優秀な先進医療の方々。退院されるとき、助言をいただいた看護師さんにお礼を言われたところには、感動しました。
この投稿記事は、多くの示唆に富んでいます。記憶にとどめ、参考にさせていただきます。
・特に参考にしたい点は、imasan の病気に対する取り組み方です。
また、探せば素晴らしい先進医療があることもわかりました。
・最近は、「人事を尽くして天命を待つ」ということわざを時々思い出します。
この「人事を尽くす」のお手本のしたいと思います。
・「私たちの身体は、仏様やご先祖様からの大切な預かりもの」といわれます。imasanは、身体を大切にすることを人一倍実践されておられます。感心しています。お手本にして頑張りたいと思います。
事実を書いただけなのに、勇気と感動を感じて頂くとは嬉しいことです。
削除何度か、Amebaにブログを書こうと思ってもどしても書けませんでした。
最後の病理検査の結果をもって記録しておこうと思いました。
入院してみて、完全看護を受けている方がかなりおられうことも分かりました。
私の隣の方は、自分で動けず、寝返りからオムツの交換まで昼夜を問わず看護師が対応していました。本当に献身的でした。
私も手術時に傷口からばい菌が入り、高熱で悩まされましたが、コールすればすぐ来てくれて、頭を冷やすものや解熱剤を何度となく持ってきてくれました。
商売で言えば、顧客満足そのものでした。
また、手術した先生も、退院するまで、毎日、様子を見に来てくれました。
患者の立場に立つ病院と理解しました。これが、私の話を聞いてくれたのもこの様な病院だからと思いました。
手術直前、般若心経のぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー ・・・と唱えていました。「人事を尽くして天命を待つ」ですね。
imasanが物凄い闘病生活を過ごしていた様子が強烈に伝わってきました。この様な中で、冷静な判断力と強靭な精神力でこの難局を乗り切り無事に退院できたことは何にも代え難い喜びです。本当に良かったですね。imasanのポジティブに闘う様子から勇気と感動を戴きました。有難うございました。コメントが遅れたのは、実は、imasannの様にしっかりとした科学的な根拠に基づいていないのですが、3月10日頃より食が進まず身体の所どころに薬疹ができ始めました。そこで、何十年も飲み続けていた薬を10日位止めたところ、薬疹が消えて食も少しずつ回復してきたのでですが、筋肉がげっそりと落ちて骨と皮で歩くのも覚束ない有様です。少しづつ歩くリハビリをやるつもりでいます。お互いに筋肉復帰で頑張りましょう。
返信削除大嶋様が、スマホのラインを見られた形跡がなく、どうしてと心配しておりました。
返信削除数日前から、電話をしようかと思っていました。
食欲なく大変だったのですね。
でも、薬疹が消えて良かったですね。
私も腕と足の筋肉が無くなって、今、体力回復を目指しています。
退院後2週間は、お肉などの脂肪のあるものは控える様にとの指示があり、中々体力が付きません。
6か月かけて体力を回復しようと思っていますが、1年かかると言う人もいます。
お互いに転んだりして怪我をしない様に、徐々に、歩くことから頑張りましょうね。