簡便法による掛軸作り
コロナ禍で恒例の展示会が今年も中止となり、掛軸作りも興味半減ですが、最近かな文字の書に挑戦しており、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一部をかな文字で書してみました。これを簡便法で掛け軸に仕立ててみましたので投稿します。
ごまかしの掛軸作りですが、掛軸作りのための「裂地(きれじ)、柔糊(やわのり)、裏打ち紙」等の入手にも苦労しています(東京まで直接買いに行けないので)。通常のものは宅急便で取り寄せが出来ますが、裂地は柄や模様などの品決めが出来ないので苦労しています。
今回は既存の掛軸の文字の部分を削除して、カナ文字の別の書を張り付ける方法(ごまかしの方法)で製作しました。
1.既存の掛軸です。あまり出来が良くないので、この掛軸の中味を犠牲にします。2.文字の部分を削除します。文字以外の部分を流用します。3.島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一部をかな文字で書し、裏打ちをしてしわの無い状態 にします。通常の裏打ち作業と同じ。
4.2.の状態(文字部分を削除した状態)のものに、新しく表装したもの(3)を裏面に張り付けます。糊が十分乾燥したら文字の部分とその周囲を「宇田紙:少し厚手の裏打ち紙」で裏打ちして補強します。これは通常の「総裏打ち」と同じ。よく乾燥したら「数珠摺り」
(掛け軸の表面が折れ曲がらないように「数珠」で左右に擦り表面を柔らかくする。)
落款印を押して出来上がりです。以上のような方法で別物の掛軸が出来上がりました。この方法だと裂地、軸棒などを省略できるので安上がりです。
格調高い素晴らしい掛け軸拝見いたしました。何気なく見ておりました我が国伝統芸術の一つですが、先人がより一層作品が引き立つように、そしていつまでもその格調高い「書」が歳月を経てもその輝きを失わないように工夫し、引き継がれてきた手法は、このように説明いただいてはじめて、簡単なものではないと理解できますし、精魂込めて作られたことがよくわかります。伝統芸能の後継者がどんどん減ってきているのと同様に、掛け軸愛好者も少なくなってなってきているものと推察します。
返信削除伝統を守るためにも、これからも素敵な掛け軸を制作ご披露くださることを願っております。
安楽岡弘久
さすがに教育に携わった方のコメントです。もともと表装を始めた動機は自分の書いた「書」をしわの無いように裏打ちをして、見栄良くするためですが、更に格調高くするには掛け軸にして「飾る」のが良い方法です。今回は簡便法で仕立てましたが、時間とお金をかけてきれいな掛軸を作りたいと思っています。それには「書」もしくは「絵」などの中味が優れていないとだめなので一層精進をしたいと思っています。
削除お軸に関する素晴らしい投稿拝見いたしました。
返信削除1)掛け軸の作り方
過去に詳しい作り方の投稿を拝見しており、あらあらの事は理解しておりました。今回は既存の物を再利用する方法であり、なるほどこんなことも出来るのかと感心し、掛け軸を作る大変さが良く分かりました。
2)書の内容について
過去に拝見した書はいずれも私にはハードルが高く、一部内容を理解出来ず消化不良のこともありました。今回はなじみ深く感じましたが、正確を記す意味で詩を調べますと Wikipedia で次ぎの様になっておりました。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉によしなし
しろがねの衾の岡部
日に溶けて淡雪流る
さて、ここで掛け軸の書と比較しますと、一部書き方を変えてあります。一例として「藉く」がひらがなになり、野尻さんの意思を感じます。一方 You Tube で鮫島有美子さんの「千曲川旅情の歌」の歌声に聞き入り、藤村が見た景色を想像しました。このような事を調べて、野尻さんの掛け軸を見ますと、ものすごい重みを持って心が瑞々しくゆさぶられます。野尻さんの長年かけて培われた書の道、尊敬しております。
昔の偉人は「自分の信念」を表現して、掛軸等にして後世に残していますが、自分にはそんなおおそれたことは出来ないので、先人の残したもので気に入った「語句」や「詩」などを自分なりに表現して、掛軸にしています。中身はともかく、きれいに表装できた時は
削除それなりに満足しています。今回の「千曲川旅情の歌」は学生の頃より暗唱してとても好きな「詩」を昔の「かな文字」で表現しています。昔のかな文字は「同じイロハでも数通りの表現が有り、文字にした時のつながりで、昔の「かな」文字を使って表現しています。これまでは「漢字」の「書」が多かったのですが、最近「かな文字」を使って表現したくなり、この詩の一部ですが自分なりに表現してみました。
コロナと言う逆境に会うと、皆さんそれぞれ工夫されるものです。
返信削除貴君も材料の入手が出来ず、既に作られた掛軸を使うことを思いつかれたのですね。
工夫を実行する楽しさもあります。
翻って見れば、洋画は描いた絵を額縁に入れ飾り、時にはその絵を他の絵に換えることも出来ます。こう考えれば特異なことでもありません。
掛軸は額縁とは違いますが、その作り方を習得されていたから出来たことで、応用が利いたのです。自然の流れです。
漢字ばかりの所でなくかな書きの書まで勉強されこの様に書かれたのですね。
柔らかな味がありますね。
どのくらいの太さの筆で書かれたか気になります。難しさもあると思います。
出来上がって、ご家族の皆さんにも見て貰って、満足しながられておられることでしょう。
コメントありがとうございます。今回の環境で、一番困ったことは、いつも東京の巣鴨にある「マスミ」という掛軸等の材料を扱う専門店へ行くのをためらった結果です。一度はネットで選んでみましたが、うまく中味とマッチングせず、自分で裂地を見て選ぶことの重要性を痛感させられました。早くコロナが収束してくれることを願っています。
削除使った筆はちょっと太めの小筆です。文字の流れを大切に表現するために「筆にたっぷりと墨を含ませて」書いてみました。掛け軸は1年を通して「その季節に合う」中味のものを飾って楽しんでいます。時々女房殿から「硬すぎる」とかの文句を頂きながら
床の間に飾っています。
久し振りの作品に見惚れています。コロナ禍で材料調達で難儀しての作品と聞いて感心しています。今迄の漢字の書と異なりかな文字の書もしなやかで見応えがありますよ。文字を書くと言う力と表装すると言う力、二つの力が併わさっての作品なので作り甲斐も一入でしょうか。昔、韓国で購入した掛け軸を一年位掛けていたところ、虫に食われて裂地がボロボロになって棄てたことがあります。糊に虫が湧いた様です。お使いの柔糊は防虫されていますか?
返信削除余談ですが、昭和35年桐生から夜行列車で早朝に小諸に着き、小諸城跡、藤村詩碑、千曲川を散策しながら5.7.5のリズムの美しい詩を諳んじていた自分を思い出しました。遥か遠い昔のシーンです。imasanと一緒に3日間蓼科山、白樺湖を訪れました。
若き頃、貴兄が小諸で「好きな藤村の詩」を吟じていた時の情景が目に浮かびます。材料の調達に苦労した様子は[imasann」へのコメットで述べた通りです。
削除古い掛け軸をボロボロにしてしまったとのことですが、肝心の文字、または絵の部分が残っていれば、修復することも可能でした。私も「親父の遺品」で「南洲」と書かれた素晴らしい「大きな掛軸」があり、至る所が破れたり、折れ曲がったりしたものがあり
ました。表装の道場へ通っていた時なので、先生に手ほどきを受けながら「修復」したことが有ります。肝心の「書」の部分が残っていれば修復も可能です。
投稿お疲れ様でした。かな文字を含んだ書も趣があってよいものですね。素晴らしい出来栄えとお見受け致します。
返信削除「小諸」と言えば、懐かしい思い出が二つあります。
1)故 茂木君(以下、M君)と小諸経由蓼科山へ
4年生の9月の休みにM君に連れられて、一泊二日で蓼科山へ行きました。 小諸市→白樺湖(バスで約3時間)→車山・散策→湖畔のバンガロー泊→翌日、蓼科山(2,530m)へ登山
後にも先にもない貴重な登山になりました。今更ながら、M君に感謝しています。
2)親戚数名で小諸へ
10数年前親戚数名で小諸付近を旅行しました。
高崎での親戚の結婚式の後、小諸市→高峰高原ホテル泊(浅間山が近くに見えました)→翌日、小諸城址・懐古園、広い園内を散策。入口の立派な大手門に感心しました。また、遠くに(下方)に千曲川が見えました。
この時、藤村の、「藤村詩鈔」を売店で買いました。この中に「千曲川旅情の歌」も載っています。その中の「その二」に「昨日またかくてあり 今日もかくてありなむ この命なにも齷齪(あくせく) 明日のみ思いわづらふ」が目に留まりました。私の昨今の心境のようだと思い、共感しました。
M君と小諸方面へ旅をされたとのこと、今更ながら学生時代の思い出が蘇ってきますね。M君も山や旅が好きだったと記憶しています。小生も最近(数年前ですが)姉、妻の弟夫婦、私達と一緒に「世界遺産の富岡製糸場」を見学した時に、小諸まで足を延ばして城址公園などを散策したのを思い出します。島崎藤村は私もすきな詩人のひとりで、学生時代によく暗記した記憶が有ります。コメントありがとうございます。
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