2022年3月12日土曜日

モスクワ出張の想い出   A.Ishii

私は 83歳 の男性で、辺鄙な山のなかで一人暮らしをしております。 現役時代は
初めてK社に入社して定年まで転職することもなく、最後までK社にお世話になりました。 その現役時代は 前半 2/3 が海外向け建設機械のアフターサービス業務を、後半 1/3 が海外向けプレス機械・板金機械のアフターサービス業務を担当しました。

退職して 20 余年後の現在、後半 1/3 でお世話になった上司の I 氏とは月に2回程メールで、気が合うと言うのか情報交換等しております。ただし、メールでのやり取りはするが、コロナ禍もあり退職後お目にかかったことはありません。

その I 氏からの最近のメールです。
「ウクライナが大変です。私は現役時代、退職後の観光を含めて7回もモスクワへ行っていますが、モスクワのホテルはいつも ウクライナホテル でした。当時は自分で選ぶわけでもなく、ビザを取るとき向こうから指定されるわけで、それ以外のホテルは知りません。 ホテルに関係なくソ連解体後の独立国ウクライナの話ですが、何か他人事のようには思えません」 とありました。

そうだ、私も建設機械のサービス担当時代に2回モスクワに出張したことを思い出しました。一度は大型商談の際、サービス課長としてわが社のサービス・補給部品体制を説明する役目で、重役を含め5人で一週間程、他の一回は建設機械のパワートレイン(トランスミッション、トルクコンバーター、etc)に関するシンポジュウムで工場の技術者と3日程、都合2回の出張をしたのです。その時のホテルがやはり ウクライナホテル でした。
第一回目の出張は冬の極寒の時期、屋外ではまつ毛も凍る程の寒さでした。商談もホテルの中で行われ、外に出る必要もなかったのです。


このウクライナホテルは私の想い出の一つで、モスクワと言えばこの威風堂々とした美しいホテルを思いだします。ロビーを抜けてエレベーター乗り場に行くと、買い物袋を下げた太ったご婦人の姿も見かけました。エレベーターは少し老朽化したように上昇発進時苦しそうな音がしたのを覚えています。部屋の前の左右に真っ直ぐに伸びる長い廊下の端には見張り(?)がいつも座っていました。朝食などを食べる食堂には ソーセージ、ハム、牛乳、たまご、など限られたものしかなく非常に質素でした。
大型商談も決まり、交渉相手のXX公団のお役人たちとの打ち上げパーテイでも料理は大皿に盛ったコールドミールでした。一方かわるがわるスピーチして飲み干し乾杯する酒の強さには驚きで、自室に戻って倒れてしまいました。
大型商談がまとまった時は、ご褒美に ボリショイサーカス に行かせてもらいましたが、世界的に有名なサーカスだけあって、余り広くもない場所で次々にくり出されるショーは誠に素晴らしく、はなやかで十分楽しむことが出来ました。


さて、この2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻はエスカレートして、NATO、その他の国々も大なり小なり巻き込み大変な戦争になっております。TVや新聞の報道では目を覆うばかりの悲惨さです。
ここで、私は ウクライナホテル という名前に違和感を感じ、ネットで調べたところ ウクライナホテル は ラデイソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ と改名されていました。
高さ206メートルのスターリン・ゴシック様式による摩天楼。モスクワのセブンシスターズのひとつである。 1953年から1957年にかけて建築された。重厚なファサード、ウクライナの伝統的な意匠に基ずく内装が特徴的である。玄関、ロビーにはフレスコ画の天井画がある。中央の摩天楼がホテルで周囲の低層棟はアパートとなっている。中央棟の前面には広場があり、この広場には 1974年にウクライナの国民的詩人 タラス・シェフチェンコの像が建てられた。 現在はカールソン・レジドール・ホテルズに加盟し、ラデイソン・ロイヤル・ホテル・モスクワという名称になっている。』 と解説されています。
(注)エレベータに買い物袋をさげて乗るご婦人方はアパートの住人かも?

この様に長い歴史の過程では 友好の感情 が 憎しみの感情 に変わっていき、相手国の名前を使わない様にホテル名まで変更することになるのだろうか? 今回の戦争が勃発する根底には過去の長い歴史的ないろいろな経緯があることは理解できます。
しかし、寒空のもとにウクライナの老人、婦人、子供、幼児、など罪なき人々を逃避行に追いやり、長い年月をかけて作り上げた街並みや美しい建造物を破壊して何の意味があろうか?  一刻も早くこの戦争を終わらせてほしい と多くの人々が胸の張り裂ける思いで見守り、祈っているのです。 私がモスクワに出張した時のような穏やかな時代に戻って欲しい。 (以上)



赤の広場(1)

モスクワ川(冬は凍る)

ウクライナホテルの近くの街並み

赤の広場(2)

赤の広場(3)

****終り**** 



10 件のコメント:

  1. 現役時代を思い出しながら「モスクワ出張の思い出」を楽しく読みました。モスクワと言えば私には大変苦い思い出が有ります。初めて海外出張の帰りに、パリからモスクワ経由で日本に帰る途中、給油後モスクワ空港を飛び立って間もなく、飛行機のエンジントラブルでモスクワの空港に引き返し、空港内で一晩夜明かしをした思い出が有ります。初めての海外出張で、この様なトラブルに遭遇するとは思いもよりませんでした。航空会社は「エールフランス」でそれ以来エールフランスには絶対に乗らないと決めました。今度のロシアとウクライナの戦争で、ヨーロッパ便がロシアの上空を飛べなくなったので、ヨーロッパへ行かれる方はさぞ不便でしょうね。私も何度もヨーロッパ(ドイツ)へ出張したので、思いやられます。貴兄の記事面白く読みました。私事で失礼しました。

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    1. 初めての海外出張は誰でも緊張すると思います。特に飛行機のトラブルは私が最も恐れるものですが、エンジントラブルと云われたらパニックになりそうです。空港に引き返してあの殺風景なモスクワの空港で一夜を明かされたとは大変な事でしたね。現在はどうか分かりませんが、それぞれの国の国際空港は国の顔みたいなもので格差があり、大げさに言えば国力を表しているのではないでしょうか? 私は日本の空港は素晴らしいと思いますが、多くの国に出張されて豊富な経験をお持ちの野尻さんにはどう写りますでしょうか?
      今回の戦争で行われている経済制裁はじわじわと多くの人に悪影響をあたえはじめますが、一刻も早く終わってくれることを祈るのみです。

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  2. 私は、ロシアには行ったことはありませんが、建物形と空の色で、何となくロシアを感じさせます。写真、上手く撮れていますね。これを見ながら懐かしく思い出されたのでしょう。

    現役時代、仕事で行かれたその時は、食事はかなり質素だったのですね。
    今は、営業停止の停止のマクドナルド店が850店あると言う様に、食事事情は、相当良くなってきているのでしよう。

    素朴な感じですが、お酒に強いロシア人は、体力がありそうですね。
    ロシアは、長い経済制裁で、戦前の日本やドイツの様に、追い詰められたような感じを持ったのかもしれません。

    さて、労働者の味方に立ち、人を開放すべき共産国家が戦争を始めるとは、「ウクライナの女性が、今の時代に戦争をするとは…」と言っていた様に時代錯誤ですね。
    書いておられる様に、ニュースで見ていて胸が張り裂けるような破壊と暴力の戦争が早く終わって欲しいです。でも、ウクライナがロシアの意のままにされるのは、我慢出来ません。

    ロシアの音楽と言えば、チャイコフスキ-のピアノコンチェルトが頭に浮かびます。
    レーニンの時代は良かったのですが、スターリンの時代に入ると、体制に合わない音楽家や芸術家は迫害されました。

    ボリショイサーカスは、見ものだったでしょう。良かったですね。
    良い思い出を大切にしてください。


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    1. 遠い昔に2度出張しただけの表面的なモスクワの印象と、ウクライナについては全く知識がなかったのですが、今回の戦争を機にロシアそして特にウクライナに大きな関心を持つようになりました。自国のホテルに相手国の名前を引用したりして、昔のソビエト連邦時代はお互いに良い関係だったのでしょう。ロシアといえばおっしゃるとおり偉大な音楽家たちを誇りウクライナは絵画等の芸術に優れ、ウクライナホテルの資料を読むと、それらがうまく融合していたのではないでしょうか? 池上彰さんの解説や、私が日本に住む理由(ウクライナ人カテリーナさん)の番組からほんのちょっとウクライナのことが分かってきました。寒空のもと必死に非難される人々の姿をみて、事情は異なるが「命のビザ(杉原千畝さん)」のことを思いだしました。今回の戦争を終わらせるには本当に勇気ある人が出てこないと駄目なのでしょうか?

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  3. モスクワに出張されたのはいつ頃でしたか?
    私が最初にモスクワに出張したのは昭和40年代の後半でした。その頃は直行便が無く、アンカレッジ経由でフランクフルトまで行きトランジットして、チェコスロバキア(当時の国名)へ行きました。1泊してアエロフロートでシェレメチボ空港に着き、初めてモスクワで泊まるのがウクライナホテルと知りました。当時のソ連は入国するまではホテル名は秘密でした。ホテル内の各階には門番がいて、挙動や出入りをチェックしており、外に出れば兵士や警官が有象無象していて加えて赤い腕章をした民兵がはびこり息苦しい毎日でした。プマシンインポート(輸入公団)との技術商談も、今思えば良い経験を積んだと思っています。ウクライナホテルはソ連の外務省の建物と良く似た造りです。同格のモスクワホテルがありましたが、今は撤去されて跡形もありません。

    肝心のコメントを忘れて思い出話で申し訳ございません。(まだまだ一杯語りたいことがありますが・・・・)
    ロシアや中国は情報を統制して国民に真実を隠蔽するだけでなく、全くなかったことを捏造して国民に何が正義かという判断をミスリードしている怖い国です。国民も限られた情報しか得られないなら誤認識するのは致し方無いと思います。

    世界の大多数の国家が何が正義かと理解していても、強国が武力で他国を侵略したらまかり通ってしまうことに悲憤を感じています。ウクライナの国民の悲惨な苦痛疲弊を救う手立てはないのでしょうか。

    第3次世界大戦を避けるためにウクライナを見殺しにするのは、直接侵略されていない国のエゴイストじゃあないかと考えるのは極端ですか。その覚悟があればギリギリのところロシアと対峙出来るんじゃあないかと思うのは甘いですか。

    毎日忸怩たる思いでTVを見ています。

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    1. 私のモスクワ出張は昭和52~53年くらいです。大嶋さんの方が少し早く行かれたと思います。いただいたコメントから大嶋さんの豊富な知識としっかりした記憶力に驚きました。モスクワ空港での通関の時の係員の冷たい目つきが印象的でした。さて今回の戦争ではウクライナに多くの国から同情が集まっているのは事実でしょう。私がひそかに思っていたことは、ロシアの一般の人々(国民)がどのような行動をされるかということです。日本に住んでおられるロシアの方々は肩身が狭い思いではないでしょうか? ある意味では被害者です。今のところ一般のロシア国民は静かで音なしの構えに見えます。一握りの人たちが怖くて声を出せないのでしょうか?勇気ある人が出てきて欲しいものです。大嶋さんのおっしゃる本当に怖い国ですね。

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  4. 投稿ありがとうございました。海外出張の様子、興味深く読みました。

    私の海外出張といえば、会社の仕事で、合計30日くらいです(アメリカ、東南アジア)。中でも、40年ほど前になりますが、業界のツアーでアメリカへ行った(2週間滞在)のをよく覚えています。各メーカーから一名、総勢15名ほどで、主要都市の試験所、部品メーカー、実際の設備、全米の製品展示会などを見学しました。半分は、名所の見物で楽しい旅でした。

    さて、新型コロナが収束しないうちに、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、毎日、TVや新聞の報道があり、その悲惨な様子を知るにつけ、心が痛くなります。なぜこのような戦争が起こるのか不可思議です。一刻も早い、平和な日々が訪れるよう祈っています。

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    1. 「なぜこのような戦争が起こるのか不可思議です」とおっしゃいますが、私も全く同感です。弱い者をいじめ、長い年月をかけて造り上げた美しい街並みや建築物を一瞬にして破壊する不可思議。本当に不可思議です。私がこの投稿で言いたかったことは単なる思い出ではありません。自国の最高のホテル名に相手国名を付けたり優れた芸術や技術を取り入れて友好的と思われた二つの民族が憎しみ合うことになる不可思議を云いたかったのです。なぜこうなるのか不思議です。XX領土問題もまた話し合いましょうと言っても何処までも平行線でしょう。期待などできません。コロナ問題も解決しないうちにこの様な戦争が起きる。本当に地球上が穏やかである時代が来るのは何時でしょうか?疑問ばかりです。

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  5. 泊まったホテルの名前がウクライナホテルとは、驚きでした。

    当方、若い時に植えた庭の木々が、デカくなって剪定に苦労しております。庭師に頼めばかなりの出費になりますので自分でやります。

    ところで、ウクライナ問題は、TVを見ているのが辛くなるくらい一般の人たちが気の毒です。すでに2,500人ほどが亡くなっているようです。しかし、残虐な殺戮のスケール(マシュー・ホワイト著)を見ると、第二次世界大戦(6600万人)、チンギスハン(4000万人)、毛沢東(4000万人)、スターリン(2000万人)、アメリカの征服(1500万人)・・・・などとなっています。スケールが違います。フランス革命でも150万人が革命軍の手で虐殺されているそうです。特に西洋では、「人命を賭してでも実現しなければならない正義がある」というのが根幹にあるという説もあります。我々日本人は、どちらかというと、「殺人を犯してまで実現すべき正義などない」と考えているのではないでしょうか。ホワイト氏が、著書で紹介している日本での虐殺は唯一「島原の乱」のみで、2万人の男性信者と1万7千人の女性と子供の信者が殺され、生き残ったのはわずか105人でした。この内容は「国土が日本人の謎を解く」(大石久和著)から引用しました。

    この著者は最後に、「わが国土の自然条件、つまり地理的条件や気象条件、さらに位置的条件によって、世界中の他の国民や民族と相当異なる経験をしてきたのが我々日本人であることがわかった」と述べています。

    いま日本国民は、世界でも最も危険な地域に住んでいるといっても過言ではないと思います。現憲法には真逆のことが謳われているような気がします。政府には頑張ってもらいたいですね。
    石井さんには、貴重な体験談をありがとうございました。いろいろ考えるきっかけになりました。

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    1. マシュウー・ホワイト氏は聞いたこともない、全く知らない人。取りあえずネットで調べてみたら、カナダのカウンターテナーとのこと。 今度はカウンターテナーとは何か分からない。更に調べると「西洋音楽における成人男性歌手のパートの一つ。」とのこと。全くの音痴の私は不消化のままです。HYさんは難しい本を読むのですね。常日頃勉強をされておられる様子、ただ感心するばかりです。HYさんのコメントを読みながらボンヤリとつぎのことを考えました。
      1)戦争は死者の数で論じられるか? Yes でもあり No でもある様な気がする。
      2)日本には武士の魂・誇りがあり、辱めには命を懸けて戦った。
      3)日本は島国。国境線を一歩跨げば他所の国とは地勢が異なる。いざこざになりにくい。それでは第二次世界大戦は何故起きた?
      いずれにせよ戦争はなぜするのか? Tさんも言われていますが不可思議である。
      HYさん、庭木の剪定は無理しないでください。コメント何時も有難うございます。

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