2016年10月3日月曜日

現役時代のイラン駐在員生活

私はある建設機械メーカに就職し、1974年(S49)1月から約4年間アフターサービス担当としてイランの首都テヘランに駐在した。当時イランは豊富なオイルダラーにより大量の機械を購入した。そのため私の仕事は繁忙を極めた。イランには一部アルメニア系の人たちがビジネスの主導権をにぎり、凄腕を発揮し、豪邸で豊かな生活をしていた。しかし一般的には地方の人々は地味な生活であった。国土の殆どが砂漠で暑く、埃っぽく、交通は車に頼るしかなかった。この環境に慣れるのに少し時間がかかった。家族は半年後に来たが、大変不便な生活をさせたと今も思っている。

 
イランはアフガニスタン、パキスタン、及びイラクに挟まれ、北はカスピ海と東はペルシャ湾に面している。多くのユーザ訪問で私は殆どの地方都市に行った。パキスタン国境、あるいはバクダッドまで150kmの地点の客先も訪問したりして並のイラン人より地理に詳しくなった。
 
出張の時はこのような風景の中を、車で砂埃を上げながら何時間も走った。対向車が来るとすれ違う時お互いの砂埃で一瞬前が見えなくなる。最初はとてつもなく恐ろしかったが段々慣れてくるから不思議だ。
 

パキスタン国境のザーヘダーンへ出張したが、夜遅く客先に到着した。暗くて周辺の状況もわからないままに宿舎に泊めてもらったが、朝起きたらこのような景色であった。この時は本当に地の果てに来たような気がした。
 

別の地方のユーザ訪問時の記念撮影。この土地は乾きって、日本とは全く異なる。
 
会社の紹介映画の内容を更新するために出張の撮影隊を現地に案内し、撮影に関わったイランの方々との記念撮影。これはお気に入りの一枚である。製品機械のアフターサービスだけでなく、このようなアテンド業務もお構いなしに舞い込んできた。(右から3人目)

当時の首都テヘランの比較的山の手の街並み。あちこちで建設ラッシュであった。一方下町のバザールの方はがらりと雰囲気が異なり人混みで賑わっていた。ネットで調べると現在のテヘランは素晴らしい近代都市に変貌している。
 
現役時代の一時期を記憶をたどり書いてみました。楽しいことは少なく苦しいことの方が多かった様な気がします。しかし忘れ去るには惜しい体験でした。首都テヘランにも当時は日本食レストランなどありません。かろうじて韓国料理店が一軒あり、私たちは短期出張者を比較的日本料理に近い韓国料理店に案内するのが常でした。
 
ある時出張者3人とその韓国料理店で食事をしていたら、頭の上で ”何だ、石井じゃないか!”と声がしたので ”何だ!とはなんだ” と思い顔を上げると、そこには ミナヨシ会員の Horie 君が人の好さそうな表情で立っていたのです。こんなところで出会うなんて本当に驚きました。彼は確か 〇〇重工 に就職して、短期出張で来たと言ってましたがあまり話もできずに別れた。 日本から遠く離れた中東の或る国の、ある都市の、或る料理店で偶然にも昔の級友に出会う。 このような確率の低い偶然の出会い、を仏教の言葉では何というのだろうか?
 
右が Horie 君。「ミナヨシ会の仲間たち」を見てもらいたくて電話したら、PCもスマホもやってないみたいだった。イランで出会った話もしたが、その時は血液検査の結果が何か思わしくなく少し浮かない口調であった。体調に留意していつかこの「ミナヨシ会の仲間たち」を見て欲しい。

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これは私の体験の一部と思い出です。あのイランにもう一度
行ってみたい気もするが、それももう叶わない。(石井)************************************************************************************************
                             
 

14 件のコメント:

  1. イランと言う異国への案内有難う。
    忙しいうえに、大変暑かった思います。でも、若さで頑張ったのですね。
    それにしてもHorie君に会うとは奇遇ですね。
    私もパキスタンに出張したこともあり、懐かしい土の色です。

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  2. 石井さんの体験はすごいものですね。4年間もの長い期間、遠い異国の地で過ごすのは並大抵のことではないでしょう。私もアメリカ生活2年半ほどですが、一番苦労したのは食事です。やはり口に合うのは中華料理でした。帰国の度に、アジの干物をたくさん買い込んで冷凍庫に保存しながら、食べた思い出が有ります、野尻

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  3. 素晴らしい記事をありがとう。構成、文章、写真がよくできていると感心したところです。さぞ、厳しい体験をされたことと想像します。
    Horie君との出会いは、珍しいですね。まさに「千載一隅」ですか(少しニュアンスがが違うようですが) 仏教では、「縁」という言葉が浮かびました。

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  4. 素晴らしい体験談、親しみの情をもって読ませていただきました。自分は、現地駐在の経験はありませんが、海外諸国を短期出張する経験をしましたので、空気が感じ取れます。(5年パスポート5冊、10年パスポート2冊取得)
    特に、昭和40年代は現地に日本食のレストランがある国は極めて珍しい状況でした。
    現地の日本人ために、土産は米とか海苔、梅干しなどでした。いまは、週刊誌などの方が喜ばれる様です。水は如何でしたか?日本ほど水に恵まれた国はありませんね。

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    1. コメントありがとうございます。水はイランはおおむねOK,パキスタンではやられました。大島さんのパスポート取得は驚き。ものすごい海外出張経験ですね。私はその後オーストラリアに4年弱駐在し、日本にいるときは短期出張をしましたが、パスポートは大島さんの半分です。機会がありましたら大島さんの体験談伺いたいものです。私はシドニーからパプアニューギニアに出張しましが、機上からのゴールドコーストの珊瑚礁は美しく息をのみました。もう一度見たいが、それも今となっては叶いません。(ちょっと思い出しました。)

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    2. 回数は結構多いのですが、結果の整理状態が悪いので困る時があります。今年プライベートでインドに行きましたが、ビザ申請時に、以前インドを訪れた者は、訪れた年月日、都市名、宿泊ホテル名とビザの写しを提出などと言われて、慌てました。オーストラリアはエアーズロックにのぼりました。機会がありましたら、数々の失敗談を披露いたしましょう。

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    3. 大島さんのきめ細かい海外経験を知り驚きました。エアーズロックもすごい。私は登れませんでした。今年のインドも何か深いお考えの旅行ではないでしょうか? 是非体験談お願いしま・・・す!

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    4. 過去4回仕事で訪印しました。当時ボンベイ市(現ムンバイ市)に所在するタンドンという会社です。フロッピーディスクドライブの特許を沢山持つけれど、製造技術力が低くく宝の持ち腐れ状態の会社でした。そこへ技術力の売り込みです。Bombay周辺は見て回りましたが、世界遺産である歴史的なところを見なかったのが心残りで、今年久し振りに訪れた次第です。深い意味はありません。

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    5. 大島さんは生産技術の分野を歩まれたようですね。そうですか、業務出張時は世界遺産の名所を見逃した。そして今回ゆっくり、その地を訪れた。そういう意味があったのですね!よくわかりました。

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  5. 話のついでに、私は、1969年パキスタンのムルタンに据付指導に行き、1カ月1人で滞在しました。砂漠の中の街で、カラチからの飛行機は熱で舞い上がる砂塵で3日3度着陸出来ず、ラホールからタクシーで砂漠の道を窓を閉め切り6時間かけて行きました。未経験の43度の暑さの日には参りました。でも、美味しいマンゴーを食後のデザートに食べました。前の年の1968年は、インドに1人で行き、1か月滞在、西洋タオルが汗で絞れる工場内の暑さでした。歩道でライ病患者が普通に横になっていました。石井君同様に元気でしたね。

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    1. imasanも企業戦士として凄い経験を積んでいるんですね。砂漠の道を6時間、車中は蒸し風呂状態で往生したでしょうね。未だカークーラーを備えた車は、東南アジアでは殆ど無かった時代ですから。インドでは、スズキだけが冷やせて人気がありましたね。リキシャ(トクトク)が主流でしたから。

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    2. その時の車は、全くクーラ無しでした。砂漠からの熱気を避ける為に窓を閉めて走りました。でも、パキスタンのムルタンでは、凄い暑さの中でサッカーしているのには驚きました。町の人の足は、車でなく馬車でした。インドのカルカッタでは、国産のタクシーばかりで、ドアが壊れてない車も多かったです。テスターは、電球にコードを付けたものを使用していました。形は違っても何でもありました。人の力を感じました。

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    3. imasanのパキスタン&インドの体験談はものすごい迫力で、本当によく頑張りましたね。ご苦労様でした。美味しいマンゴー食べられてよかったです。私は羊の脳を食べたが不味かった。イランでもジープの窓を閉めて、体に水をかけて、次のGSは200Km先だな、と燃料計をにらみながら運転したのをimasanの体験談からまた思い出しました。

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    4. 石井君の体に水をかけて車を運転など、4年間の頑張りは大変なものですね。また、貴重な将来への体験だったでしょう。
      何でも出来る若さを感じます。

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