最近耳が少し遠くなり、視力も落ちて来た。更に、階段を降りるときふらついたり急に手が震えたりすることが時々起きるようになりました。こうなると気になるのが身辺整理です。ここに転居した際の荷物も触れることもなく倉庫に少しあるのです。こんなことで自分なりに不要品の整理を少しずつですが進めております。
一度も使ったことがない食器や、着る機会もない衣類とか分類しています。
こんな具合にしてゴミ集積場に少しづつ運んでいます。
先日地下倉庫にあった、今まで開けたことがないダンボール箱を開けてみたら、母親が残した写真類がありました。今まで写真はすべて電子化してPCに保存したはずなのに、こんなとこにアルバム2冊に私の小さい時から社会人になってからの写真も混在してありました。その中に、自分のアルバムには無い次の写真2枚を発見したのです。
思い切って捨てる断捨離が必要と考えています。
返信削除今回のこちらに地震で被害は全くなかったのですが、無造作に積み上げてあったものが床に落ちました。棚や、台の上のもの捨てた方が良いと痛感しました。
貴君は、それをやってますね。やれそうでやれないことです。
物に愛着を持つのも善し悪しですね。持ち物のほとんどがゴミです。
貴君と同じように、お腹の出たのが治りません。食意地が貼っています。
食べるのを減らすのが、難しいですね。まずは、おやつから・・・。
断捨離と肥満対策、両方とも何とかやり遂げたいですね! おやつを減らします。(A.Ishii)
返信削除懐かしい写真に暫しタイムスリップです。その節は大変お世話になりました。特に、御母堂様には得も言われぬ御厄介をおかけ致しました。当時、静岡に就職するなど考えも及ばず、ましてや静岡に定住するなど夢想だにしていませんでした。従って、大学生のうちに静岡に行っておこうという動機でした。昭和36年4月1日、2日と2泊させて頂きました。写真は4月2日に撮ったものです。下田の漁港から船外機付きの小舟で荒海の中、波勝崎まで行きまた。松崎まで行く予定でしたが、船頭さんが「三角波が大きくて無理」と言われて歩きました。その時の一コマです。マーガレットが咲き誇り、美しい棚田が今でも鮮明に思い浮かびます。松崎からはバスで下田へ往きました。4月3日は、朝食を御馳走になって石井様とわかれ、天城トンネル、八丁池、浄蓮の滝を巡って、修善寺温泉の三正閣に泊まりました。翌日三津の水族館に寄って桐生に帰りました。その後、社員旅行などで下田に何度か行きましたが、石井様のお宅は無くなって様変わりでした。本当にお世話になりました。良い思い出が作られました。
返信削除大島さん、詳細記述いただき当時の行程が良く分かりました。松崎まで行き、その日一旦下田に戻ったのですね。そして翌日は天城、修善寺方面に向かわれたと言うことですか!昭和36年4月の事でしたか。よくこれだけ克明に覚えておられるのに感心しました。それに反し、私は松崎で叔母経営のレストランにチラット立ち寄ったとか、お別れの朝下田海上保安庁の方に散歩したようなことをかすかに思い出しました。その後社員旅行で下田へ。拙宅の所在地まで行っていただいた等知る由もなく、今伺って大変感激しております。当時の楽しく、貴重な時間を共有させていただき本当にありがとうございます。(A.Ishii)
返信削除懐かしい写真をありがとうございました。その節は大変お世話になりました。この旅のことは時々思い出し、感謝しています。古いアルバムをみましたら、この旅の写真が30枚もありました。行程は、大島さんのコメントの通りです。丁度、3年に進級する前の春休みでしたね。掲載の写真は、波勝崎です。波勝崎の景観と荒波の中を進んだ小型船のことはよく覚えています。この4名が、今はブログ仲間とは「ご縁」ですね。今後もよろしくお願いします。
返信削除身辺整理・断捨離で見つけた写真から昔の想い出話しになってしまいました。それにしても皆さんは昔の事をよく覚えておられて感心します。3年に進級する前の春休みなら何をするにも最高のタイミングだったかも。下田から天城➡修善寺への後半の旅は、小説「伊豆の踊子」のコースを逆行したみたいで楽しかったでしょう。云われてみれば写真の4人がこのブログ通し情報交換できるのも本当に偶然で、ブログが上手く機能してますね。こちらこそ宜しくお願いします。(A.Ishii)
返信削除1日目、伊東から一碧湖を経て下田へ、石井君の家へ泊めてもらった。次日の朝ご飯の時だったか、石井君から「戦後間もなく食べるものがなく、落ち穂を拾って食べたと言われたこと」は忘れない。
返信削除2日目、下田から子浦へ行き、船で伊浜へ行く、大波でうねりの山谷で上下に揺れ、石井君が履物をぬぐと書いてある。平気だったのは大嶋君、舳先に座っていたと記憶する。
伊浜ー波勝崎へ、石井君のお母さんが作ったおにぎりを食べる。燻製が美味しかったお母さんに感謝と書いてある。雲見で富士山を見て、岩地、松崎を経て下田へ、石井君宅泊。
3日目、石井君宅にお別れして、八丁池を通り天城峠越えして、浮蓮の滝を経て修善寺温泉へ、三正閣泊。¥700と書いてある。4日目、三津で富士を眺め水族館へ、沼津駅から帰途に就く。石井君には大変お世話になりました。とても良い思い出です。
imasanのコメント読むと体がぞくぞくします。3人の方の記述を突き合わせるといっぺんに霧が晴れたようです。落穂云々と余計な事言ったもの、お許し下さい。実は私水泳が苦手で、あの船は地獄でした。それで万一に備え靴までぬいだのでしょう。子浦漁港には何十年間行った事もありませんがもう一度行ってみたい気がします。修善寺温泉 三正閣 ¥700- と言うのも面白く、こんな時代にも我々は存在したのかと不思議な気がします。詳細な記述本当にありがとうございます。(A.Ishii)
返信削除三正閣が一泊700円ということは、7日分の食費に相当します。当時、啓真寮で朝昼晩3食が1日100円でしたから。因みに三津の水族館の入館料が大人1人40円でした。
削除石井さん宅で2泊させて頂き、経済的には大変救われました。豊島さんの言うように
奇しくもブログで繋がりました。でなければ、懐かしい写真に出会うチャンスも無かったでしょう。