2020年2月2日日曜日

私のカメラ(その3)  A.Ishii

昨年撮影した写真を整理してみたところ、総計 1926 枚 撮影したことが分かりました。
撮影は殆ど Auto にして思いつくままに風景を、或る時は忘れ防止の補助資料として、撮影しました。月平均にすると 161枚/月となります。そこで各月 161枚 のなかから 2枚 を厳選(?)して掲載してみました。

「1月」

1月から元気で卓球同好会に出席でき、健康のありがたさをかみしめました。












抜けるような青い空の中に咲いた桜、品種等分かりませんが写真の日付を見ると確かに1月に咲いたものです。何処で撮影したか忘れましたが熱川の温暖な気候の象徴でしょうか?

「2月」

  春を待ちわびる野菜(ほうれん草)。右の畝には春菊と食用菜花を作付してある。


近所の「水神社」の下の川沿いの桜。友人は "河津までさくらを見に行く必要はない"と何時も言う。居ながらにして河津桜を楽しむことができます。

「3月」




















普段は畑仕事で忙しい農家のご婦人方も、今日はおしゃれして絵を熱心に鑑賞。(下田の展覧会で)
















読書の春(?) ・・・・・感銘を受けた本(東伊豆町立図書館蔵)
昭和二十年八月六日の原爆投下で即死した広島市長の父を追うように、二次被爆で亡くなった屋康子。短い生涯の間に遺した日記と書簡などを基に、彼女を取り巻くさまざまな若人たちが、苛酷な明日の命も分からぬ戦時下で体験した悲喜こもごもの日々と、 ... 。

読み始めたら、巻を措(お)く能(あた)わず、一気に読了した。六十四年前に広島の原爆の二次被爆により、わずか十九歳の短かく哀しい生涯を閉じた女高師専攻科(現・お茶の水女子大)の粟屋康子(あわややすこ)さん。


「4月」













ズボンの裾上げに久しぶりにミシンを。視力低下で糸が見えず操作も忘れ悪戦苦闘。

     


白内障手術を前提に伊東の眼科で検査。終わって市役所8階のレストランからの伊東市。

「5月」
なまこ壁の蔵。この次には母屋の方を見たいと思う。下田の業務スーパーのそばで。

トランプ大統領、国賓として来日。一度宮中晩さん会の席に座ってみたい気もする。

「6月」 (4枚)
                                          モノトーンで撮影した稲取漁港。

やー元気? お久しぶり! 情報交換に夢中。だけど危ないよ!! (漁港近くで)

隣の花は本当にきれい。隣の家主は余り来ないのできれいな花を見たことがない。

                          へー・・・・・、風車はこんなになっているんだ!

「7月」
全部掘らないで食べるだけ収穫。茹でて塩を振って・・・ビールで、たまらない。

                                    キャッシュレス決済がやってくる。

「8月」
                                          収穫する幸せ。食べる幸せ。


                                            家庭菜園も人でにぎわう。

「9月」
秋の野菜、なすの味噌炒めを作るんです。右はホワイトシチュウーの仕込みです。

                                                          孤独?

「10月」
                                                     時代の節目


               人間は忙しそうだ。 こっちは暖房完備で気持ちよい・・・よ。

「11月」

「旅立ちへのそなえ」として自分の遺影を決め、SDカードに保存し葬儀屋に直ぐ渡せるようにした。



年賀状作制。印刷方法を忘れて頭をかかえる。このような作業も自分にはむずかしくなってきた。惰性で年賀状交換している方々には、今回で出状を終わらせていただくと丁重に記載した。

「12月」(3枚)
                              クリスマスだ。ケーキだ。ボジョレヌーボだ。


                 眼下の霧
                                
                    自宅の近くで

                  以上で石井の個展を終わります。お疲れさまでした。
        



2020年1月7日火曜日

仁徳天皇陵古墳見学  imasan

皆様 明けましておめでとうございます。

大理石で造られた仁徳天皇陵模型

前書
毎年2回、春と秋、2005年5月スイス・ドイツを旅行した仲間と日帰り旅行をすることにしている。それが続いてもう12年になる。
今年の秋は、世界遺産になった仁徳天皇陵古墳に12月1日(日に行って来た。

仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳、または、大山古墳とも言う)について
国連教育科学文化機関(ユネスコ)第43回世界遺産委員会は、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳(大山古墳、堺市)を含む大阪府南部の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の世界文化遺産への登録を決めた。
古墳群は4世紀から5世紀後半にかけ、大阪府南部の百舌鳥地域(堺市)と古市地域(羽曳野市、藤井寺市)に築造された49基で構成する。

古代日本の政治や文化、建築技術を知る貴重な手掛かりとされる。
墳丘の長さが486メートルで「世界最大級の墳墓」とされる仁徳天皇陵古墳や、同425メートルで国内2位の応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳、羽曳野市)が代表例だ。
墳丘は3段に築成され、左右のくびれ部に造出し(つくりだし)があり、三重の濠がめぐっているが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたもの。

日帰り旅行行程
関西各地に住んでいる仲間たちは、それぞれの自宅から集合場所の[JR百舌鳥駅」に向かう。 大津市南郷に住む私は、JR石山駅から新快速でJR大阪駅に行き、大阪駅からは関空快速で阪和線のJR三国ケ丘駅で降り、普通に乗り換えて、仁徳天皇陵のあるJR百舌鳥駅で皆さんと合流した。1時間30分で行けた。また、日曜日で通勤客が少なく、全行程で座れた。
今回は、忘年会も兼ねており、時間のかかる仁徳天皇陵古墳と周辺の古墳群の散策はやめ、仁徳天皇陵と隣接する大仙公園内の堺市博物館内の展示で仁徳天皇陵古墳を学ぶことにした。
見学後にシャトルバスで堺駅に行き、堺市役所の最上階21階から仁徳天皇陵を見下ろす。その後、駅に戻り、南海電車で新今宮駅に行き、歩いて忘年会の会場、フグ料理の「づぼらや」で行く。終わって解散する。

仁徳天皇陵参拝
駅から仁徳天皇陵古墳まで歩いて行く。


左側は大仙公園。右手に行くと仁徳天皇陵がある。



中には入れないので、皆さん、入口正面鳥居前で礼拝する

ボランティアガイドの説明
仁徳天皇陵内部入れず外観しか見れないので、仁徳天皇陵前で待機しているボランティアガイドの説明を聞いた。



上空からの写真を見せて、前方後円墳の成り立ち、歴史、規模、発掘調査で出てきたものなどの説明を受けた。
前方部を南に向けた墳丘は全長約486メートル、後円部径約249メートル、高さ約34.8メートル、前方部幅約307メートル、高さ約33.9メートルの大きさ。
エジプトのピラミッドより規模で大きい。
もともとは、100基近くあったが、土地開発で少なくなってきたという。


復元された五色塚古墳の写真、これで当時の古墳の形が理解できる。

大仙公園と博物館
仁徳天皇陵に隣接する大仙公園内がある。


古墳近くに古墳名の公園や博物館があり周りが整備されている。

堺市博物館見学
仁徳天皇陵前の道路を挟んで向かい側の大仙公園内に堺市博物館がある。


仁徳天皇陵は、外部は木々に覆われ、また、内部も入れないので見ることが出来ない。
それで、隣接する博物館で古墳の歴史を学んだり、発掘されたものを見て学べるようになっている。

古墳関係の展示
それぞれの古墳で発掘された陶器や埋葬品などが展示されている。



須恵器のはじまりとして水甕など多くの展示がある。


前方後円墳の円形部分の頂部の下に埋められている石棺。内部は空だったとのこと。
明治5年(1872)、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿などが出土した。


棺の横に置かれていた錆びた甲冑。


甲冑を身に着けてみるコーナがある。頭に載せてみると相当重い。

墳丘の構成


墳丘の側面は、盛り土が崩れないように、表面を拳大の石が並べている。
ただ、現在は、鳥が運んだ植物の種が成長し、木々で覆われ森となっている。


墳丘の稜線に並べられていた円筒埴輪。一番右は朝顔型。

境関係の展示
戦国時代、堺で製造された鉄砲などが展示されている。珍しい大型の鉄砲。
大砲も置かれていた。



堺の町を書いた絵図、そのた外国で書かれた当時の日本国地図など多くの展示があった。

VR映像体験

博物館内でVR映像体験が出来る。今回は肉眼だけの映像見学。
上空から見たら全容が良くわかるが、見れないので映像で体験するようになっている。
映像を見ると天皇陵の成り立ち構造がより詳しく理解出来る。


「百舌鳥古墳群・時を越えて」と題して百舌鳥古墳群の説明を映像で見る。




3世紀に中国大陸の魏の国から倭国へ古墳造りが伝来する。
関西では、前方後円墳が築造される。それが日本各地に広まっていった。



エジプトのクフ王のピラミッドと中国の始皇帝陵との大きさの比較である。
比較することで、いかに大きいかが解る。


濠を掘って、その土を墳丘造成に使う。1日2000人、延べ680万人もの人が、15年と8か月を要したとする試算がある。


盛り土の流失を防ぎために、こぶし大の葺石で側面を石で覆った。


盛り土の稜線には円形埴輪が2万数千個並べられた。


造り出し部には、鎧兜が並べられ、大王の弔い儀式が行われた。


出来た当時は、この様な外観だった。



円形の頂部の下には、石室が埋められ、その中に石棺が置かれてている。


石棺の周りに副葬品の甲冑がが置かれている。



大王が亡くなると石棺に葬られ、その上に埴輪が並べられる。


仁徳天皇陵の周りにも古墳が散在する。
以上で博物館の見学を終わる。

堺市役所展望階からの見学
博物館を見学の後に、バスで堺市役所に向かう。
最上階21階の展望階から仁徳天皇陵を斜め上から眺めるためです。


見晴らしの良い展望階。
地上80mの市役所最上階で、360度の展望が楽しめる回廊式ロビーです。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)をはじめ歴史を秘めた堺のまちが眼下に広がり、遠くは六甲山、あべのハルカス、生駒・金剛山等が見渡せます。


前方の森が仁徳天皇陵である。



忘年会
南海電車の堺東駅から新今宮駅に行き、歩いて忘年会の会場、フグ料理の「づぼらや」で行く。


鍋料理、てっちりの材料。(ふぐ料理)
私は、初めてだったが大阪近辺方たちは、小さいころから親に連れられ来ているとのことだった。大阪庶民の特別な料理といったところか。


飲んで香ばしいう「ひれ酒」です。

終わって解散。