2016年7月30日土曜日

至誠(1)  下田の弁天島   

7月の末に下田の病院に行くことになった。早朝熱川から下田に向かったが道路が空いていて思いのほか早く着きそうだった。そこで、吉田松陰(敬称略)で有名な弁天島に途中で寄ってみることにした。私は吉田松陰に関する本を(恥ずかしながら)読んだこともないので残念ながら詳しくは説明できない。仕方がないので写真で簡単に弁天島の紹介をします。(ミナヨシ会員:石井)



弁天島全景

下田湾の一番左に位置する柿崎にある島であるが、島と言うよりは松に覆われた岩であった。その大きさは想像に反して本当に小さな島でした。












踏海の朝

吉田松陰と金子重輔の像で、海の方を指さし、志に燃えて吉田松陰が金子重輔に話しかけている様であった。その高ぶった声が聞こえてきそうである。

踏海の朝 とはうまい表現であると感心もした。









踏海企ての跡

密航を企て、この弁天島から小さな伝馬船で沖を目指して漕ぎ出したのだ。絵で見ると相当な荒波であり、二人は決死の覚悟だったと思われる。












現在の下田の海

特に今朝は静かな海面であったし、天候もよかった。遠くには後々に造られた防波堤が見える。米国船はいったいどのあたりに停泊したのだろうか?












島の海側

テニスコート半分くらいの平らな場所があった。想像するに二人はこのあたりから伝馬船を漕ぎ出したのか? 暗闇の中で櫓をこぐ音が聞こえてきそうである。














密航の機会を伺いながらこの祠に身をひそめたのであろうか!二人の胸中は?













吉田松陰と金子重輔が密航を企てた場所、弁天島を簡単に紹介いたしました。さらにもっと詳しく下田における吉田松陰の足跡を知りたい方はホームページがありますのでそちらを参照してください。なおそのHPに出てくる場所は私が高校までを過ごしたところの近くです。いつか訪ねてみようと思います。  以上

「吉田松陰 下田のホームページ」          ← クリックしてください。

















2 件のコメント:

  1. 「誠」は良い言葉ですね。現役のころ社訓の中に「誠」があり、入社以来、叩き込まれました。「至誠・・」と言えば、先の野尻さんの投稿(書)にありましたね。「至誠通天」は、座右の銘として多くの方に親しまれているようです。下田の史跡巡りも投稿写真と下田ホームページでできました。ありがとうございました。

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  2. 踏海の朝と言う言葉、印象的ですね。当時が浮かびますね。
    文と解説の配置が上手く、読みやすいですね。

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