2016年12月5日月曜日

あれは、平成24年2月吉日のことだった・・・    ミナヨシ会の案内来る     T.Imagawa

1.これは何でしょう?

桐生グランドホテル前で撮影

答えは、わたらせ鉄道相老駅に私を迎えに来たリムジンバスです。
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2.ミナヨシ会:桐生への小旅行を計画
あれは、平成24年2月吉日のことだった。ミナヨシ会開催の案内がメール添付で送られてきた。多分、Nojiri君からだった。
日時は、5月24日午後2時30分~5時、会場は、桐生グランドホテルだった。

直に、メールで参加の申し込みをした。

それからこの桐生行きの小旅行の計画を始めたのは、4月初旬だった。

4月12日にインターネットで、マイレージを使った特典航空券:JAL110便、大阪(伊丹)9時30分発ー東京(羽田)10時40分を予約した。

その時、出来れば、下記のことも同時と考えた。
1.主目的の桐生でのミナヨシ会に参加する。
2.ミナヨシ会参加の前に母校群馬大学工学部を訪ねる。
3.さいたま県所沢のハートセンターに入院中の弟を見舞う。
4.東京で小学校の同級生に会う。2人のうち1人は50年振り。


上記を1泊2日の間で効率的に実行するにはどのような行程と時間になるか詳細を検討した。
私の最寄り駅、JR石山駅から東京までは、JR新幹線か伊丹発の航空機が考えられた。
料金は同じくらいだけれど、JALのマイレージが使え、乗っている間中富士山の見える航空機を選んだ。
最初は、9時30分発だったが、母校訪問をミナヨシ会開始時間の前に入れたので、最終的に朝7時30分発の飛行機になった。
羽田空港から桐生駅までは、東武鉄道を利用する行程とJR線で高崎駅回りと小山駅回りを「駅から時刻表」、「ekitan」と「NAVITAIME」を使い幾通りも調べた。
その結果、羽田から京浜急行東武浅草駅まで乗り換えなしで1本で行ける東武鉄道を選んだ。
羽田では、何時の電車の何両目に乗って着いた浅草駅のホームをどう移動し、何番の地下出口から出て東武浅草駅までどう歩くか駅構内図や動画見て調べた。
乗り遅れない様、りょうもう号の特急券の券売機の使い方をホームページの写真で調べた。
りょうもう号の東武新桐生駅到着後、駅から群馬大学正門前まで何処行きのバスに乗るのか、また、乗るバスの時間表をプリントアウトし調べた。
群馬大学構内を参観後、群馬大学正門前からJR桐生駅までバスで行き、そこから少しの乗車時間ではあるが「わたらせ鉄道」でJR岩宿駅まで行くコースを選んだ。
JR岩宿駅からホテルまでは、ホテルにメールで送迎を依頼した。
ミナヨシ会の次の日は、弟が入院の所沢ハートセンターまで行かないといけないので、出来るだけさいたま県に近い宿をと旅の宿サイト「じゃらん」で調べ、新前橋のホテルを予約した。
ただ、JR新前橋駅から高崎経て西部所沢駅まで時間がかかるが東京まで行かないといけないかが難しい課題だった。
ところが、JR八高線のJR東飯能駅の構内図を調べた結果、
JR東飯能駅と西部東飯能駅と陸橋でつながっており、東京まで行かなくても良くなり難問題が解決した。
次の朝は、JR新前橋を朝1番の電車でJR新前橋出発し、八高線JR東飯能で乗り換え西部所沢で弟を見舞い、小学校の同級生に指定された待合場所、JR新宿駅南口に4時に着いた。
JRでの帰りは、時間の余裕を見て出来るだけエコにと7時28分発新幹線「ぷらっとこだま・エコノミプラン」のこだま号を選んだ。


最終的な行程は下記となった。
最寄りのJR石山駅→JR新大阪駅ー空港バス→伊丹空港ーJAL→羽田空港ー京浜急行→浅草→東武浅草ーりょうもう号→新桐生ーおりひめバス→群馬大学小門前ー群馬大学構内散策ー群馬大学小門前→JR桐生駅ーわたらせ渓谷鉄道→相老駅ーリムジンバス→桐生グランドホテル・ミナヨシ会ーリムジンバス→JR岩屋駅→JR新前橋ーホテル泊
新前橋→JR高崎駅ー八高線→JR東飯能ー西部飯能→西部所沢ー所沢ハートセンターー西武所沢→西武池袋ーJR池袋→JR新宿駅ー同級生と再会
ーJR新宿駅→JR東京駅ー新幹線こだま号→JR京都駅ーJR琵琶湖線→JR石山駅
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 3.ホテルについて会ったミナヨシ会の仲間たち
リムジンバスから降りて、到着したホテルのドアを開けて中に入り、大嶋様と歓談した後に、椅子に座って待っておられる皆様方に話しかけながら写真を撮っていった。
前もってNojiri様に名札をとお願いして付けてもらっていたので、直ぐに名前とお顔を確認出来た。


ミナヨシ会の皆様その1


ミナヨシ会の皆様その2


ミナヨシ会の皆様その3


ミナヨシ会の皆様その4


ミナヨシ会の皆様その5
皆様の写真はこれだけで、この後のミナヨシ会パーティでの皆様のスピーシをビデオカメラに撮ったのですが、家のノートパソコンに保存した後、パソコンのハードディスクが壊れて、残念ですがお見せ出来なくなりました。この時のミナヨシ会での皆様の1人づつのスピーチは、お勤めをされてきた会社での実り多い興味あるお話が殆どでした。
私は、定年後の話だけだったので、次は、私もと思ってネタを用意して26年の伊東でのミナヨシ会に出席しましたが、皆様、会社の話は全くされませんでした。
結局、私のネタも紹介せず仕舞いでした。
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4.東京から新桐生へ、バスで群馬大学工学部へ
JAL104で伊丹を7時30分に出発すると、羽田に8時35分に着く。羽田から東武鉄道に乗る乗換案内時間をNAVITIMEで調べると、京浜急行で都営浅草駅に9時31分に着く。
ここから9時40分発の東武鉄道の特急りょうもう7号に乗るように選択されて出てくる。
都営浅草駅の地下出口から階段を上がって地上に出て、東武鉄道のある松屋デパートまで9分で歩かなくてはならない。NAVITIMEでは、電車の前方車両に乗るようになっている。
果たして9分で乗れるのか、可能か、インターネットで色々調べた。
読むと道筋がかなり複雑のように書かれている。子供連れの方には、浅草に着く前に押上駅で銀座線に乗り換えると階段が無く容易で、浅草駅についても銀座線は降りて前方に進むだけで東武浅草駅に着くと書いてある。でも乗り換えたら間に合わない。

また、特急券を自動機でどう買うのかも東武のHPの写真見ながら直ぐ出来るように憶える必要がある。実際はどうだったかであるが、3分ほどでチケットを買わないといけない状態だった。
ただ、新桐生に到着しても、バスを30分待たねばならず、次のりょうもう9号を選択した。
また、特急券は、何時調べても空きがあった。

今回は、調べた時間通りで全て順調にいった。


浅草から東武鉄道の新桐生行きのりょうもう号に乗り、電車はスタートした。
暫くして、窓から東京スカイツリーが見えるとアナウンスがあった。
そうだ、この電車は、東京スカイツリーを通過するのだ。

先月15日に、この東京スカイツリーまで浅草から歩いてきた。
不思議なことに、1ヶ月後に同じ所を電車の窓から見ることになった。

駅を通過する前は左手に、通過した後は右手に東京スカイツリーが見えた。
15分ほど経過してから2分ほど遅れているとのアナウンスがった。
車掌が近くを通ったので、再度聞くと、2駅ほどでか、駆け込み乗車があり5分遅れているという。
遅れたらバスに間に合わないので、遅れないようにスピードを上げて欲しいと言った。
すると、スピードは決められた速度があり、上げられないと言う。
それでは困ると言っておいた。
新桐生近くに来ると、ダイヤは遅れを取り戻し、正常な時間になっていた。

車掌にこのようなことを言ったりする自分は、関西人になったと思った。
館林を過ぎた辺りだろうか、金色に輝く畑が見えた。麦畑と思う。
東部浅草駅から新桐生でおりひめバスに乗り群大へ
桐生市ホームページを調べたら「おりひめバス 路線図と時刻表」が出てきた。
おりひめバス 時刻表とりょうもう号の到着時間をにらめっこしたら、東武鉄道の特急りょうもう9号が新桐生に着いて7分後に新桐生駅を出発するバスがあることが分かった。丁度良い。
地方都市ではどこでもあるように東武バスから市が運営するおりひめバスバスに変わっていた。
でも、電車が遅れたら代替えとしてタクシーを利用するしかない。
幸いにも遅れていた電車は、車掌か運転手が気張ったのか?幸い定刻に到着した。

改札で、駅員にバスは何処かと尋ねると、右手奥に停まっているという。
急いでバスまで行くと運転手が、まだ時間があるので、向こうの乗り場でお待ち下さいと言う。もう、大丈夫、全てが予定通りに行った。

多くの人の乗り降りがある。バスは年輩の方々の無くてはならない良き足だと分かる。
歌に出てくる渡良瀬川を渡って、JR桐生駅前を回って、昔歩いた市内を通るが、50年前の面影はない。
変わって当たり前、時間経過は昔を偲ばせない。

バスは、学校の門前に着いた。
帰りのバスを確かめて、母校の門を入る。
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5.群馬大学工学部構内散策

期待に胸膨らませて正門を入る。
左側が移し替えられた建物、右側が現在の校舎と一番下が現在の寮
左側写真1番上が、母校の現在の門。写真2番目が、現在の門を入って直ぐ右に移し替えられた以前の門、と講堂。


昔の建物を移し替えずにそのままに何故しておかなかったのだろう。
今はない池のあった面影の大きな部分が、「国登録有形文化財」として、隅っこに追いやられている感じで、50年近く経て全てが変わったと現在の門を入って直ぐに感じた。

サッカー部に入っていつも練習をしていたグランドも駐車場に変わっていた。
古い木造の学生寮の建家もなくなり、校舎が建てられ、離れたところに立て替えられていた。

思い出に耽る場所は、先の講堂ぐらいだろう。
全てが、新しい場所になり、長居をせずにこの場を後にした。

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6.おりひめバスでJR桐生駅へ、わたらせ鉄道に乗り相老駅へ
同窓会は、東武鉄道の相老駅から徒歩5分、JR岩宿駅から車で10分、相老駅、岩宿駅でバス出迎えと同窓会の案内状に書いてある。

桐生駅窓口で、両駅にどう行くか聞くと、わたらせ鉄道では相老駅、JR両毛線では岩宿駅へ行くとの答えだった。
桐生グランドホテルへはどちらが近いかと聞いたら、暫く調べていたが諦めて、交番で聞いてくれと言う。全く愛想がない。
駅から近く、時間的にも早い渡瀬渓谷を走る列車、わたらせ鉄道を選んだ。
 
左一番上が桐生駅構内、乗ってきた電車と迎えのリムジンバス

桐生駅構内は、列車を待つ高校生で一杯だった。長く待っていたからか今も思い出す。
ローカル線は、学生と車のないお年寄りには欠かせない大事な乗り物なのだ。

わたらせ鉄道は、元々、足尾銅山へ行く足尾鉄道であった。それが国有化されたが、昭和63年1月に、JRからわたらせ渓谷鐵道株式会社になった。トロッコ列車も走っている。

列車の出発前に電車内からホテルに電話をし、相老駅でのピックアップを頼んだ。
桐生から2つ目の相老駅に着いて、駅前で待っていると、写真のような大きなバスで迎えに来たのにはビックリした。
乗ったのは、私だけだった。

電話をしないでも迎えに来ると岩宿駅で思っていた仲間の1は、全く来ないので、タクシーで来たと言っていた。
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話は長く続きますが、皆様が興味を示されるかどうかどこまで書くか、今日はここまでとします。

10 件のコメント:

  1. 今川様
    一気に読んでしまいました。緻密に計画した予定を次々にクリアしてゆく状況はは、臨場感、切迫感に満ちていて、ハラハラしたり、興味津々でしたが、私にはとてもできないと思いました。もしあれだけの距離を、多くの交通機関を経由してかなりの目的を盛り込んだ計画は、私だったら初めからあきらめてしまうでしょう。あの全容を完全にクリアーされたことに、まず敬服します。今川さんがITを駆使できるのも、もっともなるかなと思います。ちょっとした日本横断?というスケールの中で、懐かしい思い出を図らずも共有できましたことを感謝いたします。

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    1. 安楽岡様 個人的な面白くもない文章を興味を持って読んで頂き心から感謝です。弟は心不全で倒れ見舞いに行く必要がありましたし、行方不明者だった私が、小学校の同級生の一人が私の名前で検索し、特許が出てきて住所が分かり、今回、関東在住の一人とは50年ぶりに会うことが出来ました。また、ミナヨシ会の皆様とは7年ぶりの再会で、思い出深い小旅行でした。
      友達の皆様には、感謝の気持ちで一杯です。有難うございました。

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  2. 今川様 4年前のミナヨシ会の集いを懐かしく思い出しています。遠方から参加されてさぞ大変なことと察していましたが、相当にして用意周到に事前準備されていたんですね。流石、今川さんと改めて敬意を表します。あの時、病気療養中の弟さんに合うので新前橋で泊まると話されていました。そして、伊東でのミナヨシ会では寂しそうにお別れしたと語っていました。色々のことを乗り越えて今があるのですが、今川様の様に前向きのプラス志向の日常に刺激されて励みになっています。
    母校も旧講堂を残して、当時を偲ぶ片鱗は微塵も残っていませんね。本当に寂しい限りです。当時を共有できるのは、最早ミナヨシ会の仲間たちだけです。薮塚温泉の次は、西方に留意して東京か横浜辺りが計画されると良いですね。幹事さん宜しくお願い致します。
    昨日出来た事が今日できない。今日出来ることが明日できるとは限らない。「老い」
    の日々とは、そんなに未経験の繰り返しと悟っています。

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    1. 大島様 読んで頂き有難うございます。今月の定例投稿です。
      参加は、いつも遠くからですが、旅行を計画するのも楽しいものです。
      伊東でのミナヨシ会では、車で拾って頂き、白糸の滝や富士宮神社でのB級グルメなどお陰さまで途中を楽しみました。
      次回は、飛行機で行き1泊するかもしれません。
      仰る通り、今日出来る片づけることが、1年出来ないでそのままです。
      悲しいかな老いですね。受け入れることですね。

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  3. 良い旅行記ですね。写真も多くよい記念になると思います。西の方面から行くと東京から桐生まで記事にあるように3つのルートがありますね。私も一応調べてみますが、埼玉出身なので思い出の多い、高崎線を選びます。車窓から広い関東平野や遠くに見える両毛三山を見て昔を偲びます。在学中、榛名山、妙義山には各1回、赤城山には、赤城競歩やスケートなど3回ほど行きました。それぞれ記憶がよみがえってきました。懐かしいですね。

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    1. 豊島様 読んで頂き有難うございます。桐生まで、最初は高崎線からと思っていましたが、普通電車で行くと両毛線など電車の接続が良くなく諦めました。一方、東武りょうもう号は快適でした。
      事前に練習し毎年走った赤城山競歩は、20kmまでは楽でしたが、最後の登りがしんどかったです。また、皆さんと行った冬のスケートは楽しかったですね。良い青春の思い出です。

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  4. imasan何ですか、この投稿記事!只々驚き感心しました。ミナヨシ会同窓会と他の目的も兼ねた旅行の計画・実施、すごいです。しっかり読ませてもらいましたが、4年以上前のことをこれだけ克明に記述できるとは、改めてimasanのすごさを見た感じです。風景、学校、皆さんの写真ありがとう。特に人物写真はとても懐かしく拝見しました。しかしimasanの写真が見当たらず残念です。次回の続きも楽しみにしております。

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    1. 石井様 読んで頂き有難うございます。貴君には皆さんの写真を見て貰おうと思って最初に載せました。真下君、高橋様、細谷様など写っていますね。明るかったロビーは今も脳裏によみがえります。
      行く前に、ルートや乗車時間など調べたファイルを見ながら書きました。

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  5. imasanの記述もさることながら、これに対する皆さんのコメントは更に色々な思い出の種を掘り起こしてくださいました。imasan、皆さんありがとうございます。次回のミナヨシ会が今から楽しみですね。

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    1. 野尻様の書かれたように、コメントで昔の話に花が咲きます。
      時々、投稿してください。
      掛け軸の文言に皆さん引き寄せられます。

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