2018年7月29日日曜日

祇園祭ー2    imasan

山鉾巡行・・つづき


17日に祇園祭に行って、その日のブログに、1番目に巡行の長刀鉾の写真を掲載した。
今日は、それ以降の2番目からの鉾の写真を掲載する。

2.蟷螂山
2番目に来たのは、蟷螂山である。蟷螂(とうろう)はカマキリである。

 京都観光協会のホームページの説明を転記させていただく。
南北朝時代、足利軍に挑んで戦死した四条隆資の戦いぶりが中国の故事「蟷螂の斧」のようであったことから、 四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。



御所車の上の蟷螂(とうろう=カマキリ)が、屋根の上で動くのである。
からくりで足と羽が動く。
羽が動くのにびっくりである。

それを見て、観客から歓声が上がる。


前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。













3.霰天神山
3番目に来たのは、霰天神山である。

永正年間、京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、 そのとき一寸二分の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。

山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。

前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。






左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。














4.油天神山
4番目に来たのは、油天神山である。
古くから町内に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路にあるところから油天神山とも呼ばれる。 正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿には天神像を安置する。

前懸は雲龍文様の繻子地錦。
胴懸は19世紀のカザフ絨毯、見送は毛綴の宮廷宴遊図であったが平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織を、前懸は平成6年に龍図錦織を新調。



胴懸は左右共に前田青邨原画で、平成12年・13年新調の紅白梅を用いる。
欄縁は、前部だけ凹形に切り込んだ社殿をはっきり見せたもので、天保4年(1833)製作の牛と梅の錺金具がついている。
5.函谷鉾

5番目に来たのは、函谷鉾である。
写真には、向こう側で皆がカメラを鉾に向けて撮ろうとしている姿が見える。
撮るのも前に人がいたりで大変である。



鉾の名は中国の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事による。 
鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。


屋根裏の金地著彩鶏鴉図は今尾景年(18451924)の筆。

前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。



















水引は山鹿清華作の手織群鶏図。



胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。












見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(183043)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。


















6.孟宗山
6番目に来たのは、孟宗山である。


筍山ともいい、御神体は病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘り当てた姿をあらわしている。



唐人衣装に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立つ。



欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(18441895)の下絵。




平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」は、平成20年、21年に新調された。


手前は夜景のラクダのキャラバン絵で、反対側は日中のラクダのキャラバン絵絵。












見送はかつて雲龍文様の綴錦を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図のものが用いられている。

この地味な墨画の見送は、極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩をはなっている。

竹内栖鳳は関西画壇の重鎮である。









7.綾傘鉾
7番目に来たのは、綾傘鉾である。

山鉾の古い形態を残す傘鉾のひとつ。赤いの下お稚児さんの手を引いての行列。

大きな傘と、赤熊をかぶり棒をもった者が鉦、 太鼓、笛にあわせて踊る棒振り囃子の行列。















傘につける垂りは人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」と平成4年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」がある。


6 件のコメント:

  1. 夫々の鉾に物語があるんですね。2番鉾の蟷螂山に興味を覚えました。羽と足が動くからくりがどんな機構になっているのか、当時の工学に関心をもちました。2番鉾から7番鉾まで、写真ですと心行くまでジックリと見れますが、実物を見学している人は通過するまでの時間内ですから、余韻みたいな別の感動も付加されるのでしょうね。そして、暑い最中に自分の目指すポジションを探したり、カメラを構えたりした雰囲気やら環境で自然と感動も高ぶってくると思います。とにかくダイナミックさが立体的な感情にしていると思います。私達は、スタティックな見方をしていますが、それでも感動していますから・・・・

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    1. 祇園祭りの鉾は、鉾の名前に由来があります。からくりは、この蟷螂山だけですね。
      大津祭りの曳山は13基全部にからくり人形があります。
      祇園祭りの鉾は、書いておられるようにダイナミックですね。
      前懸、胴懸、見送りなどの懸物が古く海外で作らせたものや有名画家の手になる豪華で見事なものです。でも、動きながら、太陽に光ったりでうまく撮り切れていないものがあります。次々と来るので飽きさせないです。

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  2. どの鉾も意味があるようですが、前回の記事で先頭を行く「長刀鉾(なぎなたほこ)」について調べてみました。「鉾先に大長刀をつけているので、この名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪を払うものとして使われた」、「鉾先にかざす長刀は晴れていれば夏の太陽を反射してきらりと輝きます」、長刀鉾はビルを超えるほどの高さがあるようで、写真を見ても力強さを感じました。「疫病邪悪」を払うという古からの「願い」が込められているものと感じました。

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    1. 疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭の御霊会が祇園祭の起源ということなので、「疫病邪悪」を払う祈願が込められていますね。
      鉾の高さは高く、それが鉾を大きく、煌びやかに見せています。遠くから眺めるのも格別です。
      また、NHK関西のニュ-スでしか見ていませんが、当日、決められた場所で行う長刀鉾の稚児の舞も見事なものです。

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  3. 祇園祭りのスケールの大きさに圧倒される感じです。次から次へとやってくる鉾もそれぞれ故事にのっとり深い意味がある事が分かりました。鉾の豪華絢爛さと鉾ごとに変わる人々の衣装も大変立派なお揃いで見ごたえがあります。これだけのお祭りを組織的に整然と行う方々のご苦労が分かる気がします。私には絶対に見る機会がなかった祇園祭りの投稿をを感謝します。これだけの内容の投稿は大変だったと思います。(A.Ishii)

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    1. 読んでいただき有難うございます。どの写真を載せるか、ちゃんと取れているか選定に手間がかかります。それと写真を変えたり修正すると空白が大きくなったり、完全な修正が出来ませんね。

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