7番目の綾傘鉾が去って8番目の白楽天山が来る。
8.白楽天山
唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う姿である。
道林禅師は手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶり笏を持って立っている。
前懸は文化5年新調された紺地雲龍文様刺繍裂と、万延元年(1860)蟷螂山より買受けた毛綴の三点継もある。毛織は、トロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図の優品である。
白楽天山はヨーロッパのタペストリーを懸物を複数使用し飾っているのが特徴です。
前懸は鶏鉾や鯉山のものと同じく、ギリシャの叙事詩「イーリアス」の中のトロイ陥落を一場面をあらわしています。
胴懸、水引、そして見送りはフランスから購入したタペストリーで、他に染織作家山鹿清華の「北京万寿山図」手織錦の見送もあります。
白楽天山の御神体の一つ・道林禅師は、松の木の上で生活していたといわれていて、その高さはカササギの巣と同じかなりの高さだったそうです。
当日は、警官も多く出ていて、向こう側に渡りたい人には、地下道を利用するように指導していた。
9.鶏鉾
天下がよく治まり訴訟用の太鼓に苔が生え鶏が宿ったという中国の故事の心をうつしたものという。 鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味をあらわすといわれる。
天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(1752~1811)、松村景文(1779~1843)など四条派画家の下絵になるものである。前懸のペルシャ絨毯。
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。
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10.太子山
聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、 他の山が真木に松を立てているのに対して、この山は杉を立てている。
前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍。
11.伯牙山
「琴破山」ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。人形は手に斧を持ち前に琴が置かれている。人形には「金勝亭賽偃子」の墨書銘があり、天明以降の作と考えられている。
前懸には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」をかけその下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引によって飾っている。
胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦で、見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。蝶型の角金具は珍しい意匠である。
12.芦刈山
謡曲「芦刈」に基づく。故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。
御神体(人形)の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装。
現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)。
次は、月鉾
天下がよく治まり訴訟用の太鼓に苔が生え鶏が宿ったという中国の故事の心をうつしたものという。 鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味をあらわすといわれる。
天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(1752~1811)、松村景文(1779~1843)など四条派画家の下絵になるものである。前懸のペルシャ絨毯。
天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は天保6年(1835)に町内の住人岩城九右衛門の筆。破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。
軒桁貝尽しの錺金具は松村景文(1779~1843)の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高のものである。
天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。
前懸、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いており、北面の「中東蓮花葉文様」は平成22年(2010)に、南面の「幾何菱文様」は平成23年(2011)に復元新調された。
この先の河原町四条で、辻回しがあるので、動いては止まる。
その際、車方が車止めをする。
鉾の下にも人がいる。
月鉾には、若い引手が大勢いた。
ベテランに聞いたら、京都銀行の新入社員だった。
辻回しでは、使い物にならないと言っていた。
綱の一番端は、ベテランの青年が握っていた。
ベテランの警備係。
月鉾は、12~13トンあり一番重いと説明してくれた。