2018年8月13日月曜日

最近描いた絵   (Seiji Toyoshima)

相変わらず、絵を描く生活がメインになっています。地元の絵のクラブ(以下、クラブ)と近くの絵の教室(以下、教室)とそれぞれ月に2回通っています(クラブ、教室では、絵を描いている時間は短いですが、自宅でその 何倍もかけて仕上げています)。今回の投稿は、最近(4月~8月)描いた絵の中から4点を選び掲載しました。          
いずれも何とか描き上げましたが、まだまだだと思っています。「愛読書」の中に「究めれば究めるほどさらに 世界が深まり、次なる学びが続いていく」とあります。
まさにこの心境です。                                               
                                               
<「3通りの描き方」について>                                               
私の現在の絵の描き方は、①透明水彩画(クラブで始めて丁度4年、最もポピュラーな描き方)、②不透明水彩画(約1年)、③アクリル画(約1年)の3通りです。最近は、クラブでは透明水彩(自宅で不透明で仕上げることもある)、教室ではアクリル画になっています。                                               
描き方は、絵具の特性によりそれぞれ特有な描き方があり、頭の切り替えが必要です。                                              
クラブでは、時間との関係で(室内:3時間、野外:長くて5時間)全員が透明水彩画です。また、1年半になる教室(2時間)では、アクリル画を勉強中です。なお、教室では、ほとんどの方が油彩画で、参考になることが多く、刺激を受けています。                                              
                                               
<最近描いた絵4点>                                               
以下、4点の絵の写真を掲載します。なお、5月から、絵ごとに俳句を詠むことにしています。
俳句の参考書に「・・・ふと立ち止まる時間をつくってひと時俳句を詠む・・・」とありました。これで思い出すのは、「愛読書」の中に「当たり前ほど幸せなことはない」、「当たり前の中に幸せを見つけられるようになると人生はこの時間からとても豊かなものへと変わっていきます」と述べられていることです。俳句もその一つと思って勉強していこうと思っています。                                               
                                               
なお、絵を描いた所要時間を記しましたが、写真1を除き、概略の時間です。                                              
                                               
<写真1:「夏野菜」>                                               
クラブの室内で2時間半程度で描きました。最近は透明水彩で短時間で描き上げることに慣れてきました。透明水彩画は、短時間で「修正なし」で描き、いろいろな技法があるので難しいと思っています。透明水彩画は、透明感があり、この点が気に入っています。
 ・透明水彩画:サイズF6(41.0cmx31.8cm)、水彩画用紙      

写真1.「夏野菜」 夏来るトマトなすレタス彩れり
                                           
  <写真2:「満開の桜」>                                               
歩いて5分ほどの公園の桜で、アクリル画です。この公園は、桜が1,000本もあるという桜の名所です。この絵の数本の桜(大木)は、昭和初期に植えられたそうです。このアクリル画は、クラブのスケッチで透明水彩で描いたものや写真をもとにアクリル画として描き直したものです。修正の繰り返しで、所要時間約20時間。色彩では、桜の色と早春の緑が特別で、合った色を見つける(作る)のに苦心しました。
  ・アクリル画:サイズF6(41.0cmx31.8cm)、キャンバスボード

写真2.「桜満開」 満開を誇りたるなり桜かな
 
<写真3:「花菖蒲」>                                               
既投稿(2018.6.14)「花菖蒲が見頃です」の所で、クラブでスケッチしたものや写真をもとに、不透明絵具で描き 直したものです。不透明水彩絵の具は、油彩画やアクリル画のように重ね塗りや修正が容易で、アクリル画に近いと思っています。修正の繰り返しで、所要時間約10時間。                                               
 ・不透明水彩画:サイズF6(41.0cmx31.8cm)、水彩画用紙  

写真3.「花菖蒲」 花菖蒲妻の丹精ここに咲けり
         
<写真4:「クロガネモチ」>                                               
毎土曜日の早朝に1時間程度、花菖蒲の畑の草取りをしていますが、その途中、公園の池の所を通ります。 ある日、丁度池の水辺の「クロガネモチ」(高さ約20mの大木)の白い幹(資料では、「木肌は灰白色」)が水面に白く映り、際立っていました。これを主題にして描きたいと思ったわけです。                                              
描き方については、教室の先生にポイントを教えて頂きました。                                            
特に、水面に木々が映っている姿を描くのが難しいと思いました。                                              
なお、クロガネモチ(黒金黐)の名前の由来は、「苦労しないで金持ちになる」といわれており、縁起の良い木とされています。修正の繰り返しで、所要時間約30時間。
 ・アクリル画:サイズF6(41.0cmx31.8cm)、キャンバス(布地)      

写真4.「クロガネモチ」 青葉濃し水面に映る白き幹

2018年8月7日火曜日

祇園祭ー3      imasan


山鉾巡行・・つづき
7番目の綾傘鉾が去って8番目の白楽天山が来る。
8.白楽天山
唐の詩人白楽天が道林禅師に仏法の大意を問う姿である。
道林禅師は手に数珠と払子を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶり笏を持って立っている。
前懸は文化5年新調された紺地雲龍文様刺繍裂と、万延元年(1860)蟷螂山より買受けた毛綴の三点継もある。
毛織は、トロイ城陥落のときアイネイアスが父を救出する図の優品である。





白楽天山はヨーロッパのタペストリーを懸物を複数使用し飾っているのが特徴です。
前懸は鶏鉾や鯉山のものと同じく、ギリシャの叙事詩「イーリアス」の中のトロイ陥落を一場面をあらわしています。
胴懸、水引、そして見送りはフランスから購入したタペストリーで、他に染織作家山鹿清華の「北京万寿山図」手織錦の見送もあります。


白楽天山の御神体の一つ・道林禅師は、松の木の上で生活していたといわれていて、その高さはカササギの巣と同じかなりの高さだったそうです。





当日は、警官も多く出ていて、向こう側に渡りたい人には、地下道を利用するように指導していた。



9.鶏鉾

天下がよく治まり訴訟用の太鼓に苔が生え鶏が宿ったという中国の故事の心をうつしたものという。 鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味をあらわすといわれる。



天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(17521811)、松村景文(17791843)など四条派画家の下絵になるものである。前懸のペルシャ絨毯。







胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて用いる。


見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。この見送は、16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。











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10.太子山

聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、 他の山が真木に松を立てているのに対して、この山は杉を立てている。 









前懸は緋羅紗地に阿房宮の刺繍。

















胴懸は金地孔雀唐草図のインド刺繍、見送は平成15年新調の波濤に飛龍文様錦織を用いる。














11.伯牙山
 

琴破山」ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。人形は手に斧を持ち前に琴が置かれている。人形には「金勝亭賽偃子」の墨書銘があり、天明以降の作と考えられている。

前懸には上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」をかけその下に龍文様の錦を用い、さらに人物図の押絵切付の水引によって飾っている。
胴懸は花卉尾長鳥文様の綴錦で、見送には「柳絲軒」在銘の仙人図刺繍を用いている。蝶型の角金具は珍しい意匠である。






12.芦刈山
謡曲「芦刈」に基づく。故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。

御神体(人形)の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装。





胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。欄縁の彫金飛雁の錺金具は明治36年(1903)川辺華挙の下絵で藤原観教作。旧胴懸の「鶴亀蜀紅文絲錦裂」(江戸時代)をはじめ、「獅子蜀紅文繻珍小袖」(古い見送など貴重な染織品を多く残している





現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)。











次は、月鉾


13.月鉾

 

天下がよく治まり訴訟用の太鼓に苔が生え鶏が宿ったという中国の故事の心をうつしたものという。 鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味をあらわすといわれる。

天水引は下河辺玉鉉、下水引は松村呉春(17521811)、松村景文(17791843)など四条派画家の下絵になるものである。前懸のペルシャ絨毯。



天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は天保6年(1835)に町内の住人岩城九右衛門の筆。破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。
軒桁貝尽しの錺金具は松村景文(17791843)の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高のものである。
天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。


前懸、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いており、北面の「中東蓮花葉文様」は平成22年(2010)に、南面の「幾何菱文様」は平成23年(2011)に復元新調された。












この先の河原町四条で、辻回しがあるので、動いては止まる。

その際、車方が車止めをする。

鉾の下にも人がいる。










月鉾には、若い引手が大勢いた。

ベテランに聞いたら、京都銀行の新入社員だった。

辻回しでは、使い物にならないと言っていた。
綱の一番端は、ベテランの青年が握っていた。








ベテランの警備係。

月鉾は、12~13トンあり一番重いと説明してくれた。







2018年7月29日日曜日

祇園祭ー2    imasan

山鉾巡行・・つづき


17日に祇園祭に行って、その日のブログに、1番目に巡行の長刀鉾の写真を掲載した。
今日は、それ以降の2番目からの鉾の写真を掲載する。

2.蟷螂山
2番目に来たのは、蟷螂山である。蟷螂(とうろう)はカマキリである。

 京都観光協会のホームページの説明を転記させていただく。
南北朝時代、足利軍に挑んで戦死した四条隆資の戦いぶりが中国の故事「蟷螂の斧」のようであったことから、 四条家の御所車に蟷螂を乗せて巡行したのがはじまりといわれる。



御所車の上の蟷螂(とうろう=カマキリ)が、屋根の上で動くのである。
からくりで足と羽が動く。
羽が動くのにびっくりである。

それを見て、観客から歓声が上がる。


前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などがある。













3.霰天神山
3番目に来たのは、霰天神山である。

永正年間、京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、 そのとき一寸二分の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。

山の上には欄縁にそって朱塗り極彩色の廻廊をめぐらし、中央に唐破風春日造の神殿を安置する。

前懸は16世紀にベルギーで製作された「イーリアス」物語を描いた毛綴を用いているが(平成21年復元新調)、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。






左右の胴懸は上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は「紅地雲龍宝尽図」(平成21年新調)が用いられている。














4.油天神山
4番目に来たのは、油天神山である。
古くから町内に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路にあるところから油天神山とも呼ばれる。 正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿には天神像を安置する。

前懸は雲龍文様の繻子地錦。
胴懸は19世紀のカザフ絨毯、見送は毛綴の宮廷宴遊図であったが平成2年梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織を、前懸は平成6年に龍図錦織を新調。



胴懸は左右共に前田青邨原画で、平成12年・13年新調の紅白梅を用いる。
欄縁は、前部だけ凹形に切り込んだ社殿をはっきり見せたもので、天保4年(1833)製作の牛と梅の錺金具がついている。
5.函谷鉾

5番目に来たのは、函谷鉾である。
写真には、向こう側で皆がカメラを鉾に向けて撮ろうとしている姿が見える。
撮るのも前に人がいたりで大変である。



鉾の名は中国の孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事による。 
鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。


屋根裏の金地著彩鶏鴉図は今尾景年(18451924)の筆。

前懸は、旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調している。



















水引は山鹿清華作の手織群鶏図。



胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚である。












見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(183043)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調した。


















6.孟宗山
6番目に来たのは、孟宗山である。


筍山ともいい、御神体は病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘り当てた姿をあらわしている。



唐人衣装に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついで立つ。



欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(18441895)の下絵。




平山郁夫筆の胴懸「砂漠らくだ行(日)」「砂漠らくだ行(月)」は、平成20年、21年に新調された。


手前は夜景のラクダのキャラバン絵で、反対側は日中のラクダのキャラバン絵絵。












見送はかつて雲龍文様の綴錦を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画竹林図のものが用いられている。

この地味な墨画の見送は、極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩をはなっている。

竹内栖鳳は関西画壇の重鎮である。









7.綾傘鉾
7番目に来たのは、綾傘鉾である。

山鉾の古い形態を残す傘鉾のひとつ。赤いの下お稚児さんの手を引いての行列。

大きな傘と、赤熊をかぶり棒をもった者が鉦、 太鼓、笛にあわせて踊る棒振り囃子の行列。















傘につける垂りは人間国宝の染織家森口華弘の友禅「四季の花」と平成4年に町在有志の寄贈になる綴錦「飛天の図」がある。