2020年1月7日火曜日

仁徳天皇陵古墳見学  imasan

皆様 明けましておめでとうございます。

大理石で造られた仁徳天皇陵模型

前書
毎年2回、春と秋、2005年5月スイス・ドイツを旅行した仲間と日帰り旅行をすることにしている。それが続いてもう12年になる。
今年の秋は、世界遺産になった仁徳天皇陵古墳に12月1日(日に行って来た。

仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳、または、大山古墳とも言う)について
国連教育科学文化機関(ユネスコ)第43回世界遺産委員会は、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳(大山古墳、堺市)を含む大阪府南部の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の世界文化遺産への登録を決めた。
古墳群は4世紀から5世紀後半にかけ、大阪府南部の百舌鳥地域(堺市)と古市地域(羽曳野市、藤井寺市)に築造された49基で構成する。

古代日本の政治や文化、建築技術を知る貴重な手掛かりとされる。
墳丘の長さが486メートルで「世界最大級の墳墓」とされる仁徳天皇陵古墳や、同425メートルで国内2位の応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳、羽曳野市)が代表例だ。
墳丘は3段に築成され、左右のくびれ部に造出し(つくりだし)があり、三重の濠がめぐっているが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたもの。

日帰り旅行行程
関西各地に住んでいる仲間たちは、それぞれの自宅から集合場所の[JR百舌鳥駅」に向かう。 大津市南郷に住む私は、JR石山駅から新快速でJR大阪駅に行き、大阪駅からは関空快速で阪和線のJR三国ケ丘駅で降り、普通に乗り換えて、仁徳天皇陵のあるJR百舌鳥駅で皆さんと合流した。1時間30分で行けた。また、日曜日で通勤客が少なく、全行程で座れた。
今回は、忘年会も兼ねており、時間のかかる仁徳天皇陵古墳と周辺の古墳群の散策はやめ、仁徳天皇陵と隣接する大仙公園内の堺市博物館内の展示で仁徳天皇陵古墳を学ぶことにした。
見学後にシャトルバスで堺駅に行き、堺市役所の最上階21階から仁徳天皇陵を見下ろす。その後、駅に戻り、南海電車で新今宮駅に行き、歩いて忘年会の会場、フグ料理の「づぼらや」で行く。終わって解散する。

仁徳天皇陵参拝
駅から仁徳天皇陵古墳まで歩いて行く。


左側は大仙公園。右手に行くと仁徳天皇陵がある。



中には入れないので、皆さん、入口正面鳥居前で礼拝する

ボランティアガイドの説明
仁徳天皇陵内部入れず外観しか見れないので、仁徳天皇陵前で待機しているボランティアガイドの説明を聞いた。



上空からの写真を見せて、前方後円墳の成り立ち、歴史、規模、発掘調査で出てきたものなどの説明を受けた。
前方部を南に向けた墳丘は全長約486メートル、後円部径約249メートル、高さ約34.8メートル、前方部幅約307メートル、高さ約33.9メートルの大きさ。
エジプトのピラミッドより規模で大きい。
もともとは、100基近くあったが、土地開発で少なくなってきたという。


復元された五色塚古墳の写真、これで当時の古墳の形が理解できる。

大仙公園と博物館
仁徳天皇陵に隣接する大仙公園内がある。


古墳近くに古墳名の公園や博物館があり周りが整備されている。

堺市博物館見学
仁徳天皇陵前の道路を挟んで向かい側の大仙公園内に堺市博物館がある。


仁徳天皇陵は、外部は木々に覆われ、また、内部も入れないので見ることが出来ない。
それで、隣接する博物館で古墳の歴史を学んだり、発掘されたものを見て学べるようになっている。

古墳関係の展示
それぞれの古墳で発掘された陶器や埋葬品などが展示されている。



須恵器のはじまりとして水甕など多くの展示がある。


前方後円墳の円形部分の頂部の下に埋められている石棺。内部は空だったとのこと。
明治5年(1872)、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿などが出土した。


棺の横に置かれていた錆びた甲冑。


甲冑を身に着けてみるコーナがある。頭に載せてみると相当重い。

墳丘の構成


墳丘の側面は、盛り土が崩れないように、表面を拳大の石が並べている。
ただ、現在は、鳥が運んだ植物の種が成長し、木々で覆われ森となっている。


墳丘の稜線に並べられていた円筒埴輪。一番右は朝顔型。

境関係の展示
戦国時代、堺で製造された鉄砲などが展示されている。珍しい大型の鉄砲。
大砲も置かれていた。



堺の町を書いた絵図、そのた外国で書かれた当時の日本国地図など多くの展示があった。

VR映像体験

博物館内でVR映像体験が出来る。今回は肉眼だけの映像見学。
上空から見たら全容が良くわかるが、見れないので映像で体験するようになっている。
映像を見ると天皇陵の成り立ち構造がより詳しく理解出来る。


「百舌鳥古墳群・時を越えて」と題して百舌鳥古墳群の説明を映像で見る。




3世紀に中国大陸の魏の国から倭国へ古墳造りが伝来する。
関西では、前方後円墳が築造される。それが日本各地に広まっていった。



エジプトのクフ王のピラミッドと中国の始皇帝陵との大きさの比較である。
比較することで、いかに大きいかが解る。


濠を掘って、その土を墳丘造成に使う。1日2000人、延べ680万人もの人が、15年と8か月を要したとする試算がある。


盛り土の流失を防ぎために、こぶし大の葺石で側面を石で覆った。


盛り土の稜線には円形埴輪が2万数千個並べられた。


造り出し部には、鎧兜が並べられ、大王の弔い儀式が行われた。


出来た当時は、この様な外観だった。



円形の頂部の下には、石室が埋められ、その中に石棺が置かれてている。


石棺の周りに副葬品の甲冑がが置かれている。



大王が亡くなると石棺に葬られ、その上に埴輪が並べられる。


仁徳天皇陵の周りにも古墳が散在する。
以上で博物館の見学を終わる。

堺市役所展望階からの見学
博物館を見学の後に、バスで堺市役所に向かう。
最上階21階の展望階から仁徳天皇陵を斜め上から眺めるためです。


見晴らしの良い展望階。
地上80mの市役所最上階で、360度の展望が楽しめる回廊式ロビーです。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)をはじめ歴史を秘めた堺のまちが眼下に広がり、遠くは六甲山、あべのハルカス、生駒・金剛山等が見渡せます。


前方の森が仁徳天皇陵である。



忘年会
南海電車の堺東駅から新今宮駅に行き、歩いて忘年会の会場、フグ料理の「づぼらや」で行く。


鍋料理、てっちりの材料。(ふぐ料理)
私は、初めてだったが大阪近辺方たちは、小さいころから親に連れられ来ているとのことだった。大阪庶民の特別な料理といったところか。


飲んで香ばしいう「ひれ酒」です。

終わって解散。

2019年12月22日日曜日

最近描いた絵(6) Seiji Toyoshima

最近描いた絵:3点(10月~12月に完成したアクリル画)を掲載致します。

1.絵についての最近の心境 

いくつかの趣味を続けていますが、絵描きの時間が圧倒的に長いという状況です。ところで、「般若心経」の中に、訳で「究まるところのない無上の悟りを得て・・」いう文言があります。その解説では、「究めれば究めるほどさらに世界が深まり、次なる学びが続いていくのが無上の悟りです」とあります。私も絵を始めてから5年半にもなります。描き方の基礎的な要領は覚えてきたと思っていますが、奥が深く依然として試行錯誤が続いていて、レベルアップを図っていく必要があります。前記の般若心経の文言のように、次々と新しい世界が開けてくるのを楽しみたいという心境です。   

2.最近の絵の描き方(二つの描き方)

地元の「スケッチ倶楽部」(透明水彩画)が5年半、「絵画教室」(アクリル画)が約3年となります。透明水彩画とアクリル画では、完成までの時間が大きく異なっています。私の場合、透明水彩画は倶楽部で描いた後、自宅での不透明水彩絵の具を使っての加筆を含めて、長くても10時間くらいです。一方、アクリル画(水を使いますが、描き方、仕上がりとも油彩画に近い)の方は、教室で2時間、その後自宅で描きますが、まだ習熟していない面もあり、色を塗り重ねて修正を繰り返すため、20時間から長いもので60時間もかかっています。二つの描き方は、それぞれ良い面があり、当分この二刀流が続くと思います。なお、アクリル画の方が重厚さ、クリアーさがあり、作品の展示には、アクリル画を使っています。

3.今回掲載した絵

以下は今回の絵:3点:の簡単な説明と写真です。

(1)写真1.「林の中の小さな滝」、(アクリル画、サイズF8)
この景色は、富士宮市の県立の養鱒場近くの林の中だそうです。絵画教室の先生が撮影された写真をもとに描きました。複雑な景色ですが挑戦しました。描くべきパーツが多く、多彩なため、修正の繰り返しで完成までの時間が累計60時間もかかりました(期間は、約1.5か月)。なお、次の写真2.および写真3.の所要時間は各20時間くらいです。

写真1.「林の中の小さな滝」



(2)写真2.「菊の花」(アクリル画、サイズF6)
兄のブログに掲載されていた写真をもとに描きました。
菊の花の色と並べ方、籠の形に興味を惹かれました。花と籠は外観が光線の当たり具合で微妙に異なり、何回も修正して仕上げました。背景は、思い付きです。
写真2.「菊の花」



(3)写真3.「紅葉の道」、(アクリル画、サイズF6)
自宅から車で20分くらいの所に、県立の美術館、図書館、大学が並んでいます。先日、美術館で県主催の油彩画、水彩画などの作品展あり鑑賞してきました。皆、大きなサイズ(縦横2mくらい)の絵で大作ばかりでした。帰りに図書館近くの道の周囲の木々がきれいに紅葉していましたので、この景色を写真に撮り描きました。
なお、絵の中の人物は、他の絵を参照してぼんやりと描きました。
写真3.「紅葉の道」

<作品展示>
写真1.は、去る11月の交流館(公民館)の文化祭に出しました。写真3.は、1月に市立病院の待合室の壁に展示する予定です(この展示は倶楽部として毎回8点で、メンバーを2グループに分け、3か月間隔で更新しています)。


2019年12月12日木曜日

リニア見学センターを見学しました    野尻貞夫

令和元年12月7日(土)群馬大学工業会東京連合支部主催の「リニア見学センター見学」のバスツアーが開催されました。総勢44名の参加者で、バス1台で山梨県の同センターを見学し、その後、盛田甲州ワイナリーで食事とワイナリー工場見学をして懇親を深めました。

実際の走行試験は現在実施されておりませんが試験車両が展示されており、内部を見学することが出来ます。

今は走行試験は行われていないので」画像でのみ体験できます。
磁気浮上して走行する体験が出来るコーナーもあり、体験待ちの列です。

写真を撮って来なかったので、カタログの写真を載せました。超伝導の仕組みはネットで見た方が詳しく解説されています。今回の見学は、、いつものバスツアーに比べて、高齢のご夫婦も参加され、皆さん興味をお持ちになられているのだと実感しました。ちなみに最高齢者は昭和19E卒の98歳の方でした。
提供する話題があまり無いので、つまらぬ投稿になりましたが、群大工業会の活動も少しづつ活性化しているように思います。特に東京連合支部では電気工学出身の若者が参加されていて刺激を受けています。機械工学出身者が若返らないのが残念です。38Mでは私と野村君が参加しました。38Cの津野智明氏も参加されて、卒業以来初めてお会いし、学生時代の楽しかった思い出話に花が咲きました。

2019年11月27日水曜日

アンデイ ウオーホル  A.Ishii

皆さん覚えておられるでしょうか?私が2019-5-1付けで「はんゆう展」 その2を投稿しました。
私の親戚の杉江先生のモダンアート版画アトリエ訪問の様子を報告したのが投稿の内容です。


imasan がこの投稿にすぐ下記のコメントをされました。
「 版画は、シルクスクリーン方法の一種ですね。一般的に、描いた絵、形や輪郭の方に絵具を通すの
ですが、今回は、絵や形の方をロウで封をして、背景に絵の具をスクリーンで通す方法ですね。シル
クスクリーン方法での版画絵は、アメリカのアンディウオホールが有名で、マリリンモンローの顔を
いろんな色で大量生産しました。


A.Ishiiの返信
「imasan,あなたはどうしてそんなに色々なことを知っているのでしょうか! 本当にびっくりします
が、裏返すと私があまりにも物事を知らなさ過ぎると言うことになるのでしょうか?いとも簡単に
シルクスクリーン方法、アンディウオホール、マリリンモンロー、の言葉がポンポンと出てくるのに
は本当に驚きです。確か杉江先生も”シルクを使う人もいる”とか言ってましたが、予備知識もない私
は聞き流してしまいました。おっしゃる通り楽天市場などで調べると、Andy Warholはマリリンモン
ローをたくさん刷って(コピーが分かりませんが)販売していることがわかりました。imasanが版画
のことをこんなに深く知っているということは、過去に版画に携わった経験があるのでしょうか?
そうとしか思えないのですが。」


以上は前置きです。
さて、先だって(2019-11-23)に放映された「開運!なんでも鑑定団(再)」を見ていたら、このアンディウオーホルのことがかなり詳しく放映されていました。この興味深い内容を皆さん(特にimasan)に見て頂きたく投稿します。



簡単に言えば「imasanが言っていたアンディウオーホルのことが鑑定団に出ていたよ」ということです 。 以上


2019年11月23日土曜日

音声入力のすすめ  A.Ishii 

私が所属する自治会の同好会の一つにパソコン同好会があります。先月の同好会で音声入力をする方法を
教えて貰ったので試してみました。私にとっては大変有効であったのでその状況を投稿いたします。私が
にしているのは文章をベタ打ちする場合に限定してのことです。


キーボードから入力する能力を判定するのに「ワープロ検定試験」あります。
速度採点基準、10分間でつぎの文字数以上の入力を合格とする。
             初段・・・・・・・800文字以上
             1級・・・・・・・700  ”
             準1級・・・・・・600  ”
             2級・・・・・・・500  ”
             準2級・・・・・・400  ”

「1」使用アプリ
Googleドライブ ➡ マイドライブ▼ ➡ Googleドキュメント▶ ➡ ツール ➡ 音声入力 
➡ マイクの絵が出るのでマイクをクリック(赤になる)して声で入力する。

「2」模擬試験実施結果
注)C:練習すればもっと速くなる. F:もっと頑張れるレベル
 
このように短い文章の入力では非常にばらつきが出るが、ざっくりとした計算でも音声入力は私の場合
3倍も速いということがわかりました。 音声入力を使えば私でも900文字を10分間に入力することが
でき、これは初段に相当します。ちなみにキーボード入力では332文字で準2級にも不合格です。               
       
「3」長文入力の場合
長い文章ではどうなるかということで試してみました。大島さんの著書「旅立ちへのそなえ」 の文章の一部を
借りて ワープロ入力と音声入力の速さをテスト してみました。

1) 認知症になると預貯金の引き出しができない。
自分では単なる物忘れと思っていても、金融機関から認知症と判断されれば、その時点で全ての
預貯金が凍結される。たとえ家族であっても、凍結を解くことは如何ともし難い。
実例
実家で一人暮しの父親が、最近認知症かなと思える言動が増えてきたので、兄弟で相談して老人
ホームに入所することにした。施設に支払う諸費用を父親の口座から引き出そうと通帳と印鑑を
持って銀行の窓口に行ったところ、「これはお父さんの預金なので、本人でないと手続きが出来ない」
と言われた。そこで、父は健康状態がすぐれないので、改めて委任状を持って出直すとその場を
去った。後刻、委任状を持って窓口に行った際、本人に確認させていただくと同意を求めて、本人に
確認の電話をかけた。「息子さんが、貴方の口座から預金をおろしますが宜しいですね」と尋ねたところ、「俺は知らない」「俺の金を盗むのか」と騒ぎ出した。まだら認知症で調子のよい時に理解したことも、突然の銀行からの確認電話で、気が動転したのか本人の同意は得られなかった。そればかりかその時点で、認知症と判断されて預金口座は凍結された。実例からも読み取れたと思うが、預金口座名義人の判断能力が不足したと金融機関が判定すると、その時点で預金口座は凍結される。通帳と印鑑があっても預金の引き出しには応じてもらえない。認知症の高齢者を狙った振り込め詐欺の防止や本人以外の者が勝手にお金を使うことを防ぐためである。


上の文章の文字数は全部で575文字です.
この文字数をキーボード入力と音声入力で実際に自分で入力してその入力速度を比較してみました。


キーボード入力では23分33秒かかりました. ➡10分換算で227文字入力 
音声入力では 7分16秒でした. ➡10分換算 で737文字入力  となります。 
したがって長文の場合でも音声入力は約3.2倍の速さで入力できることがわかりました。
この場合の音声入力はワープロ入力1級に相当します。


「4」まとめ
*キーボード入力が遅いものにとっては音声入力が非常に効果的である。
*音声入力はキーボード入力に比べて疲労が非常に少ない。
*音声入力は Google の Google ドライブで行うが、 Windows ではこの音声入力が可能かまだ確認はしていない。しかし Windows のバージョン8では少なくとも音声入力に対応していない。
*興味半分で英語の音声入力は可能か試してみた結果、入力はできるが発音が良くないと非常に
難しそうである。
*私は少しずつエンディングノートの作成に入りましたが、この音声入力はまさにうってつけの
ツールであることがわかりました。
以上 

2019年11月8日金曜日

さんぽの塩   A.Ishii


記憶は正確ではないが、昔見たテレビで沖縄に塩作りの名人で何種類もの塩を作り、 客の注文通りの塩を作って提供する。高級料亭、レストラン向けの塩は高価で〇〇万円/Kgするものもあるとか。

先々月だったか鶴瓶の「家族に乾杯!」という番組で、相方を務める若い女性が「塩」 にはまって、お気に入りの塩を大事に使っていた。その塩の製造元を下田方面に探しにくる 話であった。結果は外浦と言う小さな海辺の部落の人が製造元であるということが分かり感動的な対面をしたのでした。

日本全国で塩を作る方々はたくさんおられると思う。去る11月5日(火)にTBS静岡版で松崎で塩を作る人の紹介があって興味深く見ました。その放映内容は下の動画を見てください。




現在私が使っている塩は上の2種類です。毎朝食べるゆで卵には左の食卓塩を振っています。どこでも売っている塩を何の疑問も持つことなく使って満足しています。考えてみると塩ひとつでも高級料亭やレストランではこだわってより美味しいものを追求しているのではないでしょうか。 このテレビ放映をきっかけに私は少し塩に興味を持ち、さんぽの塩を試してみようと考えています


さてここからは塩と直接関係ない話になりますが、テレビに登場した大石栄子さんは私の従妹です。少し長くなりますが時代が一気に逆戻りします

終戦後の生活が苦しい時でした。 我々は下田の本家に 大勢が身を寄せ合って くらしました。私の家族は母屋でなく倉で生活し、冬の寒さと空腹をいやというほど味わったものです。その時別棟に大石栄子さんのお母さん(美代子さん) がいたのです。私の叔母にあたり小さかった私も何かと面倒を見てもらいました。当時は誰もがみんな本当に苦しい生活でした。

美代子さんはその苦しい現状を打開するため西伊豆の松崎の方へ行ったのです。そして何もない山道の峠に小さな茶屋を開き、人々の休憩場所にしました。今ふりかえると非常によい考えだったと思います。

峠の茶屋の美代子さん

この峠の茶屋がだんだん繁盛して、次に堂が島で食堂を開き、時間をかけて一生懸命頑張ったのです。 
この食堂(レストラン)もしだいに大きくなり、最終的に自分一人では管理できないと経営から身を引き、当時の東海バス㈱に運営を託したのです。下の写真の茶色い建物がそのレストランでした。


      当時の繁盛していた頃の面影はなく、今はコンビニや東海バスの事務所などと雑居ビルみたい。





















     道の反対側は堂ヶ島遊覧船乗り場となっている観光の名所である。

そして美代子さんは次に温泉のボーリングを始めて温泉を掘り当て、温泉を近隣の旅館やホテルに供給する会社を設立しました。後にその会社を引き継いだのが二代目の娘さんの栄子さんです。 栄子さんは温泉を利用してさらに塩作りを始めた。そして現在に至っているのです。昨今のように大きな台風が来ても温泉は絶対に止められない。塩の設備も守らなければならないと大変な仕事と思います。今度彼女に会ったらその辺の苦労ばなしをもっと親身になって聞いてみたいと思っている次第です。  (以上)