2016年6月30日木曜日

「趣味の表装:掛け軸造り」  野尻貞夫

「前書」
今、掛け軸造りに、汗を流しています。書にする文章(又は文言)の選定から始まって、墨をすって、条幅(半切)、幅広の全紙(2尺2寸5分、約70㎝幅)に書いて、乾燥後裏打ちして、
きれいにしたものを、掛け軸にしています(表装)。
根気のいる仕事です。糊を使うので、水分を含むため、乾燥する時間が必要で、日にちが掛かります。
その掛け軸がようやく出来上がりましたので、その写真と資料を添付します。


この作品は、いすゞ自動車OB/OGの趣味仲間の展示会(ギャルソン展)に出展するためのものです。
書の文章は、昨年の大河ドラマで有名になった「群馬県令:楫取素彦」に関する書物から引用しました。


「作品」






「表装」
定年退職後、これまでやりたいと思いつつ、なかなか出来なかった表装の技術を学ぶため、
3年弱、東京の大塚にある「表装道場」へ通い、技術をマスターしました。
表装に興味のある方が有れば、追加して解説します。


「ギャルソン展出品作品」
ギャルソン展のホームーページは G&V” をクリック下さい。
表示された「ギャルソン展&ヴァンテアン展」ページの右上の[各人別]第12回ー第24回をクリック下さい。
次に、表示の「ギャルソン展各人別一覧」ページの左側、名前の中から「野尻貞夫」をクリック下さい。
過去の作品を見ることが出来ます。



2016年6月27日月曜日

三保の松原へ行って来ました

 今日は、自宅から20分くらいの所にある、「三保の松原」へ行ってきました(この少し離れた所に
若いころ、海水浴や釣りに来たものです)。
 最近、世界文化遺産構成資産に登録され(2013年)、訪れる人も増えているようです。
 「約7㎞の海岸線に3万本余りの松並木が連なる白砂青松の名勝地」といわれています。

 今日の目的は、水彩画のモチーフとして、波打ち際の波の様子を写真に撮ることです。
何枚も取りましたが、これでうまく絵が描けるか、これからの挑戦してみます。


羽衣の松です。天女が舞い降りて、羽衣を掛けたという「羽衣伝説」で有名です。
現在の松は、3代目で、樹齢200年ほどだそうです。

羽衣の松のあたりから、海を見たところです。海まで100mほど。

波打ち際の波の様子です。何枚も取りました。地球のエネルギーを感じました。
これをモチーフに水彩画に挑戦します。

これは、資料館にあった看板の写真を写したものです。冬は、このように素晴らしい富士山が大きく見られます。



2016年6月23日木曜日

Oshima氏に投稿を依頼するも・・・今は、見るだけで精一杯の状況です・・・

「投稿打診」
「ミナヨシ会の仲間たち」のブログが立ち上がり歩き出した時、色んな見識があり記事を書いて貰えそうな仲間として真っ先に脳裏に浮かんだのは、Oshima氏だった。
これまでの出版本を読ませて頂いた限りでは、連載記事もとかなりの期待を抱いた。
また、お忙しい中、「ミナヨシ会の仲間たち」に新たに掲載した記事を読まれ、適宜なアドバイスを、毎夜、送って頂いていました。
早速、6月6日にメールで「1ヶ月に1度Oshima氏に記事を書いていただこうと思っています。」
と打診した。

「回答は如何」
今は、見るだけで精一杯の状況です。執筆は出来る時にとフリーにして下さい。
富士川地区まちづくり協議会の会長をしていてノーペイなのに、富士市から色々アプローチがあつて、無能なのでてんてこ舞しています。
会社に勤めていた時は、給料を貰う部下は、組織の一員として力になりましたが、ボランティアですと組織を動かすのは結構難しいですよ。時間と労力を要します。
合併時の町長にお願いしているのですが、中々後を引き継ぐ人がいなくて、ほとほと困っています。」という苦しい回答と共に新聞記事が添付されていた。

忙しい実情を語るこの新聞記事、躊躇されたが、お願いして掲載させて貰いました。
写真は、クリックで大きくなります。
新聞記載の通り、Oshima氏は、富士川地区のまちづくり協議会の会長をされています。


「富士市のまちづくり協議会について 」
平成26年5月、富士市内26地区全てで、地区住民主体のまちづくり組織、「まちづくり協議会」が
設立されました。
その活動について、下記の説明文と共に、パンフレットおよび26年(昨年)の実績報告を送って
頂きましたので紹介いたします

「協議会の目的についてOshima氏の説明」
地区と行政の関係は、目的別に「縦割り」の関係で各団体が構成されていて、横の関係が無い
弊害が見受けられた。
この弊害を解消するために地区の各団体の活動を、横断的に協力連携を図っていくために、

まちづくり協議会が組織された。
各団体が活動目標を共有するために、富士川地区まちづくり行動計画を作りました。


「行動計画紹介」
Oshima様の上記説明では、縦割り組織が目標を共有できるように下記の「行動計画」を作られた
と言うことです。



1.富士川地区の行動計画(パンフレット)
●本計画は:地区の将来を見据え、各種団体間の連携のもと、地区の課題解決に向け、概ね今後
5年間に効果的・効率的なまちづくり活動を地区が―丸となって計画的に実施していくための指針です。
●地区の特性の中に、人口・世帯数の推移:人口9091人、所帯数3480所帯とあり、大所帯である。

写真は、 クリックで大きくなります
2.地区コミュニティの将来像と活動方針と実施事業(パンフレット)
●キャッチフレーズ
「子供から高齢者まで誰もが心豊かで笑顔あふれるまちづくりを推進する富士川地区」
●地区活動の目標
保険体育、防災、安全、青少年育成、環境、福祉、文化教育のそれぞれに目標設定、
目標達成の活動方針と具体的実施事業を設定。
写真は、 クリックで大きくなります

3.26年度の実績
下記の報告書通りの事業活動が実施された。

写真は、 クリックで大きくなります
上述のOshima様の活動にエールを送りたいと思います。


「メモ:上記資料送信時のご苦労」
「・・矢張り容量の関係で、受信済フアイルが壊れると何回も警告され色々圧縮など試みましたが、最後は壊れても仕方が無いと覚悟して送りました。」・・送信されたのは、夜中の2時過ぎでした。感謝!







2016年6月22日水曜日

茂木君との想い出

ミナヨシ会の皆様  こんにちは。     石井です。

学生時代の友人の一人に茂木君がいた。話しかけると、彼は「そうだなー」と少しゆっくりした調子で言って、その後会話が始まった。こちらが何か変なことを言うと「ウフフ」と黒目がちな目でこちらを見ながら笑った。クラブ活動も研究室も別であったが、何となく馬が合った様な気がする。

    そんなことからか
*三年生の工場実習では新潟の鉄工所に二人で出かけた。

工場実習の休日に
 
*桐生で私の下宿にも遊びに来てくれた。何を話したか余りにも昔のことで覚えてい 
  ないが暑い日であった。
 
(左)茂木君   (右)Imasan
 
*私の郷里の伊豆下田の家にも遊びに来てくれて、石廊崎灯台や伊豆大島まで一
    緒に行ったりして、楽しい春休みを過ごした。
私の郷里、伊豆下田の家で
 
石廊崎灯台の岩場で
 
卒業後彼は○○車両(株)に入社した。そしてお互いに社会人となり疎遠になってしまったが、何かのことで一度だけ電話したことがあった。その時、「粉体の輸送について研究している」と言っていた。なんだか難しいことを研究しているんだなとその時私は思った。そして長い年月が流れて、何かで彼の悲報に接した。ご存命であったら「粉体輸送の研究」がどうなったか聞くこともできたのに非常に残念である。ご冥福をお祈りします。      (石井)
 
 
 
 
 



仏教の勉強中です

2回目の投稿です。先の同窓会で「仏教」の勉強をしていると話しました。まだ、初心者レベルですが、記事にしてみます。仏教は奥が深く、まだまだ勉強は続きます。

(1)心の軌跡
・先の同窓会で、2年前ほど前から始めた、仏教の勉強について、簡単にお話しをした。その「続き」として、なぜ、私が仏教の勉強をしているのか?そこで、仏教についての私の「心の軌跡」を辿ってみることにした。

・仏教との出会いは、中学1年の時である。英語の先生は、近くのお寺のご住職さんで、あるとき、教室内が騒がしい時間があり、その時先生から「君達は、落ち着きがないので、座禅をしたらよい」と勧められた。このとき、「座禅」と「仏教」というキーワードが私に強くインプットされた。

・大学1年の時に弓道部に入ってからは、弓道は禅に関係があることを知ったので、鈴木大拙著「禅と日本文化」を読んだ。武道、茶道など道の付く日本文化のバックボーンには、禅があることを知った。さらに、3年の時、オイゲン・ヘリゲル著・稲富訳「弓と禅」を読み感銘を受けた。
ヘリゲル(ドイツの哲学者、昭和初期に東北帝大で哲学を教えた。弓道を通じて禅の思想に出会う)は、弓の修行を通じて、日本文化の根源に仏教や禅の精神性を見出したといわれる。

・私の弓の技術は、「全く力及ばず」であったが、頭では弓道を少し理解したつもりになっていた。 
・就職してからは、「仏教」には関心があったが、「般若心経」の解説を時々読む程度であった。
定年後続けていた仕事から3年ほど前に退き、やっと「毎日サンデー生活」が訪れた。そこで、仏教の勉強を腰を据えて始めた次第である。具体的には、「般若心経」が中心で「般若心経」の読経、写経、解説を読むなど、毎日少しずつ勉強している。

(2)参考書
 仏教に関する書籍は多い。最近、参考にしている主な本は次の通り。
①桝野俊明監修『「ボールペン「般若心経」練習帳』・・・現在、この本をメインにしている。
②齋藤 孝著「仏教 心を軽くする智慧」・・・仏教は最強の「メンタルマネジメント術」である。

私の仏教の勉強は、心の健康のために試みているものです。参考になりましたか?
























































2016年6月20日月曜日

畑仕事に夢中です。

ミナヨシ会の皆さま、こんにちは。    石井です。

私は40㎡ほどの狭い畑で家庭菜園を楽しんでおります。私のご近所でも皆さんそれぞれ野菜つくりをしてます。ですから家庭菜園と言っても何ら珍しいこともありません。そしてそれなりに使う資材、肥料、水道代などコスト計算すると、野菜は買ったほうが安いと思います。しかし体を動かし、土に触れることは健康によいと自分に言い聞かせております。あるミナヨシ会員の生活のいち場面として読んでください。

    家庭菜園の園主です。

現在栽培しているものは、アスパラガス、絹さや、ジャガイモ、レタス、そら豆、トマト
ナス、ピーマン、シシトウ、キュウリ、スイカです。季節が変われば作物も変わりますが、多種少量栽培です。その一部を写真で紹介します。


(上段)キュウリの栽培と今日の収穫初期段階で品質よくない。
(中段)ジャガイモの葉が枯れてきた。今日1株だけ掘った。老夫婦には十分である。
(下段)今日収穫したそら豆。そして栽培中のピーマン、シシトウ。





(上段)トマトとなすを栽培中。
(下段)スイカとスイカの花(実)
                                
こうしてみると特段変わった作物もなく、珍しくもありませんね。ところが、ひとつだけ
新しい試みがあるのです。そうです、スイカです。小玉スイカの空中栽培を試験的に
始めました。通常スイカは地面を横に這ってつるが伸び、実は地上に置かれます。
しかしこれでは広い畑が必要です。そこでつるを上に伸ばして、実はネットで受け止めます。近所の仲の良い友人には「今年はスイカを買わなくていいよ!」と大胆なことを言っています。2株植えて32個のスイカを予定してますが無茶かな?
誰か経験者がおられたらよきアドバイスをお願いします。
 
スイカ育成に忙しい菜園の園主です。
 
それでは夏の終わりに空中スイカの報告をします。
 






2016年6月16日木曜日

ブログを見て下さいと皆様にメールと電話をして ・・一昨日は、Kurabayashi様とお話を・・

ブログを立ち上げ以来、私とIshii君で、ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」を見て下さいと皆様にメールと電話の活動を少しづつ進めてきました。
先日、Oshima様からメールで「・・ところで長い間消息不明であったKurabayashi氏の連絡先が分かったので、彼が音信不通で皆が心配していたことからも、彼の仲間の方々への挨拶などブログに乗せたらどうでしょう」とメールアドレスと電話番号をお知らせ頂いた。彼の面影が脳裏に去来した。Toyoさん、Kuraさんと私の3人は、1年生の時の八高線での通学仲間でした。


倉賀野の君は左端



早速に、Kura様にメールを入れた後、電話をしましたがお留守でした。後程、Kura様から電話がありました。
お元気ですか、沖電気でのお勤めでしたねの問いに、「元気です。今はOBで福祉関係のことをしています。スコットランドに長く駐在していました。」との答え。更に、「1人住まいですが元気にやっていますよ」と懐かしい声。おさんどんは自分でと尋ねると、「お弁当を買ってきてチンすれば仕舞いですよ」と、昔の茶目っ気を思わせる答えで、電話の声は弾んで、とても若々しい感じでした。5月のミナヨシ会の様子は、既に、「ミナヨシ会のブログを開いて見ました」とのことでした。
どなたとコンタクトされたか尋ねたところ、「野尻さんから、住所、メールアドレス、電話などを教えて欲しいと言われ直ぐ回答しました。もう、住所録に載っています、音信不通ではありませんよ」と、テキパキとした力強い声に元気さを感じました。
最後に、これまでのことを書いて欲しいとお願いしたところ、「いずれ送ります」とのことでした。
それで、ご本人の了解を得てこの記事を掲載することにしました。


追記:Nojiri様から、「Kurabayashi氏の消息は、群馬大学工業会の集まりで、沖電気に勤めていた酒井様から情報を得て、本人に電話して確認が取れました。」とメールで連絡がありました。
また、Kurabayashi様の住所など新たに記入された住所録も添付して送って頂きました。


本当に良かったと思います。



2016年6月13日月曜日

花菖蒲が見頃です

里山はこの奥へ広がっています
正確ではありませんが約1000m2

自宅から徒歩約10分のところに
桜で有名な「船越堤公園」があり、この南側に小さな里山があります。

その入口付近の休耕地(約
1000m2)を借りて、ワイフが10年ほど前から花菖蒲(ハナショウブ)を自宅の庭から移植して、育ててきました。

年々株を増やし、3年ほど前から
ほぼ全面に広けることができました。
地方紙にも紹介され、この時期には、訪れる人も多くなりました。

この手入れは、雑草取り、施肥、
株分けなどの作業がありますが
ワイフが毎日のように楽しんでやっています。私は、施肥の時などほんの少し手伝う程度です。

毎年6月上旬から咲き始め、中旬まで続きます。
白、青、紫、えんじ、縞模様など
七種類ほどあります。大きな花で
鑑賞に値します。
数日前に撮った写真を少しだけ添付しました。

旧清水市(今は静岡市清水区)は
山、海(三保の松原)、川など自然に恵まれていてよいところです。
ただし、唯一、巨大地震が心配の種です。


                                       

中景です、白がなぜか多い
ハナショウブは5000種あるといわれています。
みな名前がついているようです。
これは「雲中の雁」?というらしい、お気に入りです

2016年6月12日日曜日

想い出の「白樺学園」

皆さん こんにちは。     石井です。

白樺学園  知ってますか? おぼえていますか? Oshima さん著書「なつかしの桐生」にも記載されています。正式には「桐生白樺舞踊学園」というのですね!

石井のアルバムより。
 
最初は「ゆっくり、ゆっくり、トン、トン」と両肩に手を添えて、バックをしながら足の動きを指導してくれた。 と  Oshima さんは表現しているが、その通りだった。上達してからは Mashimo, Hosoya, Kimura, 君などと誘い合わせダンスパーテイにも行った。
懐かしい思い出だ。 社会人になってダンスが役立った記憶はないが、習ってよかったと思う。若い健康そうなお嬢さんが胸をそらせて、少し頬をそめてワルツを踊る姿は非常に美しかった。もちろん当時、我々も若かった。
 
私が現在通う卓球クラブに忠兵衛さんという人がいた(昨年没)。忠兵衛さんは総合建設コンサルタント会社の社長を務めた方だが、若い頃インドネシア・ジャカルタの駐在員であった。そしてそこの日本人会の囲碁クラブに所属したのです。大使館のT.Tさんは囲碁の高段者で碁会の花形だったし、碁会(囲碁クラブ)の会長だったそうです。
 
話はコロコロ変わって恐縮。スウエーデンの女優イングリッド・バーグマンが主演した映画作品は「アナスタシア(追想)」「別離」「誰がために鐘は鳴る」「カサブランカ」などが代表作品である。その彼女が参加する舞踏会が催されたが、背が高くて見るからに均整のとれたプロポーションである上に知的で優雅なその容姿につりあいの取れるダンスのお相手は、アングロサクソン系の美男子以外には考えられなかったそうだ。万が一にも舞踏会の場でお相手に望まれても日本人ではお相手できないと誰しもが思うに違いない。ところがその晴れの場面に登場、衆人注視のなかで半時をこえて彼女と踊りつづけた、まさに栄誉の人が若い時のT.T.氏であった。背丈もあり身のこなしも洒脱、そのうえ人間的な温かみを周辺にただよわせる、優れたダンデイな外交官でなければできないのかも知れない。この人こそが碁会の会長T.T氏であった、とのこと。
 
私はこの話を聞いたとき拍手喝采をした。人間、実力を備えていることは必要だが,わるびれず、堂々と、しかもさわやかに行動するべし と痛感した。
 
しかし白樺学園でダンスを習ったからといって、バーグマンとは踊れないですね。でもあの白樺学園はまぎれもなく私の、私たちの青春の1ページであったのです。
 
記事が長くてすみません。次回から簡潔にします。
 
 

2016年6月9日木曜日

「ミナヨシ会の仲間たち」へのいざない

        ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」のご案内

ミナヨシ会の皆さん、こんにちは。 会員の石井です。
ご承知のように Nojiri さんから皆さんに一律にミナヨシ会同窓会開催の案内が
出され、その同窓会が5月30日に17名の参加のもとに桐生で行われました。 
その後 Nojiri さんは参加者全員揃った記念写真2枚を添付し同窓会の様子を
纏め、このブログで報告されました。 さらに懇親会風景-1 ~ -4 にスナップ
写真を入れて詳細に imasan が記事を掲載しております。

皆さんお元気そうで、前に出て現況報告をしているようです。更にその場を借り
Toyosima さんが「ミナヨシ会の仲間たち」というブログ立ち上げる(案)を説明
しました。しかし急な提案で参加者からは積極的な賛同の声は聞かれなかった
のです。

本件は石井が提案して、 imasan が自分の経験と知識を活かし検討を重ねて
更に Toyosima さんにも加わっていただき、説明をお願いしたのが経緯です。
参加者の賛同は得られなかったのですが、諦めきれずに石井と imasan とで
ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」を作りました。そこで皆さんになんとか見ていた
だきたく、要約し改めてブログ「ミナヨシ会の仲間たち」をご案内する次第です。

ブログの趣旨
① ミナヨシ会員がいつでも閲覧でき、さらに閲覧者も自由に投稿できる。
   そうすることで会員相互の情報を交換し、お互いの連携を一層密にする。
② 掲載する記事は会員自身のこと、或いは他の会員に関することで皆に
   お知らせしたい事柄がよいでしょう。(政治的或いは過激な発言は駄目)

ブログの見方(閲覧方法)
① パソコンを開き、こちらからお知らせするブログのアドレスをクリックする
   だけです。一度このアドレスを覚えて(保存)しておけば、何時でも何回
   でも閲覧できます。
② パソコンに限らず、タブレット、スマホでも閲覧できます。

ブログへの投稿(記事掲載)の方法
① 投稿したい方は石井または imasan に連絡をください。直ぐにパソコンで
   招待状を出します。その招待を受けて  Google Account  を取得すれば
      投稿できます。この手続きを一度すれば次回から招待状なしでOKです。
②  何やら①は面倒そうだという方は石井又は imasan 宛に通常のメールで
      投稿内容と必要なら写真送ってください。こちらで代行して掲載をします。

ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」の補足説明
① 普通ブログは一人の人が日記風に記事を書き、それを一般に公開する
   ものです。読者はコメントはできる場合もあるが、横から記事を書く事は
   できません。あくまでも個人の日記帳と考えてください。
② ところがブログ「ミナヨシ会の仲間たち」は全く異なります。ミナヨシ会員は
   誰でも公平に投稿(記事掲載)できます。ここが最も重要なところです。
   Toyoshima さんが勉強されたとこでは「ブログの共同運営」というそうです。
   不適切な投稿内容があると困りますのでブログの管理者は必要ですが
   同じ立場から共同で盛り上げて運営する性格のブログです。ここで強調
   したいのは 一人やふたりのブログではなく、ミナヨシ会員全員のブログ
   なのです。気楽に考えてください。ごく簡単な記事でも書いてくだされば
   そうか、彼は元気なんだなと分かります。

       少し長くなりましたが、以上の説明を読まれた方はもう「ミナヨシ会の仲間
   たち」を開いたことになります。何か変わった記事が出たかなと時々この
   ブログを開いて見てください。また自分で投稿するのも楽しいと思います。
                                 以上

       
 
 
  




  

2016年6月8日水曜日

ミナヨシ会同窓会の懇親会風景 - 4 H28年5月30日(月)  N.Sadao 記



           最後に皆で関東八州を歌ってお開き、その後、部屋に集まって昔を偲んで語り明かした。




                               ゴルフ組:翌日近くの太田双葉カントリークラブでプレーを楽しむ。
                               kanou、Nomura、Zennyoji、Nojiri氏の4人

ミナヨシ会同窓会の懇親会風景 - 3 H28年5月30日(月)  N.Sadao 記


          写真上段左から右へ:謡を披露するYasuraoka氏とUmezawa氏が近況報告。
        写真中段左から右へ:Nomura氏とToyoshima氏が近況報告。
        写真下段左から右へ:Zennyoji氏とが近況報告、2012年撮影・群馬大学講堂。

ミナヨシ会同窓会の懇親会風景 - 2 H28年5月30日(月)  N.Sadao 記


          写真上段左から右へ:Ohshima氏とTadokoro氏が近況報告。
          写真中段左から右へ:Nojiri氏とShinoyama氏が近況報告。
          写真下段左から右へ:Saitou氏とMiyazaki氏が近況報告。

ミナヨシ会同窓会の懇親会風景 - 1 H28年5月30日(月)  N.Sadao 記



           写真左:Ishii氏のブログ提案を説明するToyoshima氏、要約をこの頁の下 
           に掲載。
         写真右:Hashikura氏が近況を報告。





         写真上段左から右へ:Hosoya氏とArai氏が近況報告。
         写真下段左から右へ:Shinagawa氏とKanou氏が近況報告。

 「ミナヨシ会のブログ説明の要約」                                       


<説明の要点>                              Toyoshima
1.ブログの提案と経過
  (1)  提案
Ishii君から、ミナヨシ会員相互の交流(会員の共通的なテーマとする)を図るため、
会員専用のブログを開設し、運営していったらどうかという提案があった(5/18以前)
(2)  経過
    Imagawa君がサンプル「ミナヨシ会のimasanのブログ」作成(一般公開)
    Ishii君がサンプル「ミナヨシ会の仲間たち」作成(会員限定版)
    両君のサンプル(当初案)には、それぞれ問題点があった。そこで、豊島が、知人から
   「ライター権限」なる方式を用いれば、問題を解決できるという情報を得た。
以後、3人で検討した結果、「最終案」に至った。

2.各案の説明(要点)
(1)  Ishii君の当初案(間接投稿):投稿希望者の記事(メール)を管理者が代行して掲載する。
<問題点>管理者の負担大
(2)  Imagawa君の当初案(個別にブログを作る)
<問題点>一つの場での交流ができない。
(3)  最終案・・・上記問題点の解決を図る。 (注)ライター:投稿者
「ライター権限」が利用できるサービス会社を探し(いくつかあり)検討する。
Imagawa君とIshii君が検討。最終案に至った(実現の可能性あり)。
「最終案」(共同運営方式):
管理者がブログを立ち上げる。→ライターは、管理者から「ライター権限」を入手、
      自らブログに投稿(掲載)する。
<メリット>一つの場で交流可(Ishii君の提案に合う)。 

3.参加希望者の有無
以上の説明後、出席者にこのブログへの参加希望者の有無を確認した。
その結果、希望者なしであった。
以上の結果をIshii君、Imagawa君に直後、電話で伝えた。


以上の結果を踏まえIshii氏、Imagawaで検討し、ブログを一般公開し、まず、
皆様に見ていただくことにしました。
                                                    


 







2016年6月4日土曜日

薮塚温泉でミナヨシ会同窓会開催 (平成28年5月30日~31日) Page 1

母校群馬大学工学部(現:群馬大学理工学部)38Mの同窓生17名が桐生市に近い薮塚温泉に集まり「同窓会」を開催した。午後2時半ころ、JR桐生駅及び東武鉄道新桐生駅に集合し、ホテルのマイクロバスで群大工学部まで迂回してもらった。




母校の開学100周年記念式典直後のタイミングをとらえて、記念館に展示された関連資料と最近の工学部の建物など見学し、卒業当時と比べて、様変わりした各学部の建物など見ながら、卒業当時に思いを馳せて、しばし感慨にふけった。卒業当時と変わらずに残っているものは、記念館であり、そこで卒業式が行われたと聞き、当時のままの机に座って改めて昔を偲んだ。

見学に際しては、工業会事務局の亀井様が事細かに説明をしてくださり、また新装なった工学部の建物まで案内していただき、真に感謝感激であった。




工学部の見学後、薮塚温泉「ホテルふせじま」にて温泉で旅の疲れを癒して、ゆっくりと食事をとりながら、各自の近況など語りながら、歓談した。2名ほどが都合で、日帰りであったが残りの人達は、別室に移って、飲み直しながら、遅くまで歓談した。

翌日、ゴルフ組4名は近くの「太田双葉カントリークラブ」でゴルフ、他の人達もそれぞれ故郷に立ち寄る者、墓参りする者など様々に過ごした。


                                                                                                    Nojiri Sadao