学生時代の友人の一人に茂木君がいた。話しかけると、彼は「そうだなー」と少しゆっくりした調子で言って、その後会話が始まった。こちらが何か変なことを言うと「ウフフ」と黒目がちな目でこちらを見ながら笑った。クラブ活動も研究室も別であったが、何となく馬が合った様な気がする。
そんなことからか
*三年生の工場実習では新潟の鉄工所に二人で出かけた。
工場実習の休日に
*桐生で私の下宿にも遊びに来てくれた。何を話したか余りにも昔のことで覚えてい
ないが暑い日であった。
(左)茂木君 (右)Imasan
*私の郷里の伊豆下田の家にも遊びに来てくれて、石廊崎灯台や伊豆大島まで一
緒に行ったりして、楽しい春休みを過ごした。
私の郷里、伊豆下田の家で
石廊崎灯台の岩場で
卒業後彼は○○車両(株)に入社した。そしてお互いに社会人となり疎遠になってしまったが、何かのことで一度だけ電話したことがあった。その時、「粉体の輸送について研究している」と言っていた。なんだか難しいことを研究しているんだなとその時私は思った。そして長い年月が流れて、何かで彼の悲報に接した。ご存命であったら「粉体輸送の研究」がどうなったか聞くこともできたのに非常に残念である。ご冥福をお祈りします。 (石井)
懐かしい写真ですね。思い出を掲載してくれて有難う。
返信削除茂木君は親友の1人でサッカー部で一緒でした。
就職してから、連絡無しで京都の下宿へいきなり訪ねて来てくれた。
ドアが開いて、彼の発した「オー」という言葉は忘れない。
懐かしい写真ありがとう。故 茂木君には、2年の秋に信州の「蓼科山」へ連れて行ってもらいました。私の唯一の登山経験となっています。時々思い出します。
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