白樺学園 知ってますか? おぼえていますか? Oshima さん著書「なつかしの桐生」にも記載されています。正式には「桐生白樺舞踊学園」というのですね!
石井のアルバムより。
最初は「ゆっくり、ゆっくり、トン、トン」と両肩に手を添えて、バックをしながら足の動きを指導してくれた。 と Oshima さんは表現しているが、その通りだった。上達してからは Mashimo, Hosoya, Kimura, 君などと誘い合わせダンスパーテイにも行った。
懐かしい思い出だ。 社会人になってダンスが役立った記憶はないが、習ってよかったと思う。若い健康そうなお嬢さんが胸をそらせて、少し頬をそめてワルツを踊る姿は非常に美しかった。もちろん当時、我々も若かった。
私が現在通う卓球クラブに忠兵衛さんという人がいた(昨年没)。忠兵衛さんは総合建設コンサルタント会社の社長を務めた方だが、若い頃インドネシア・ジャカルタの駐在員であった。そしてそこの日本人会の囲碁クラブに所属したのです。大使館のT.Tさんは囲碁の高段者で碁会の花形だったし、碁会(囲碁クラブ)の会長だったそうです。
話はコロコロ変わって恐縮。スウエーデンの女優イングリッド・バーグマンが主演した映画作品は「アナスタシア(追想)」「別離」「誰がために鐘は鳴る」「カサブランカ」などが代表作品である。その彼女が参加する舞踏会が催されたが、背が高くて見るからに均整のとれたプロポーションである上に知的で優雅なその容姿につりあいの取れるダンスのお相手は、アングロサクソン系の美男子以外には考えられなかったそうだ。万が一にも舞踏会の場でお相手に望まれても日本人ではお相手できないと誰しもが思うに違いない。ところがその晴れの場面に登場、衆人注視のなかで半時をこえて彼女と踊りつづけた、まさに栄誉の人が若い時のT.T.氏であった。背丈もあり身のこなしも洒脱、そのうえ人間的な温かみを周辺にただよわせる、優れたダンデイな外交官でなければできないのかも知れない。この人こそが碁会の会長T.T氏であった、とのこと。
私はこの話を聞いたとき拍手喝采をした。人間、実力を備えていることは必要だが,わるびれず、堂々と、しかもさわやかに行動するべし と痛感した。
しかし白樺学園でダンスを習ったからといって、バーグマンとは踊れないですね。でもあの白樺学園はまぎれもなく私の、私たちの青春の1ページであったのです。
記事が長くてすみません。次回から簡潔にします。
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