2016年8月21日日曜日

再び 「有志竟成」

「有志竟成」(ゆうしけいせい)という本(Oshima氏著)のことを以前に投稿したことがあります。


 
 
さて、Toyoshima さんが先日 (2016-8-19) 「仏教の心を歌っている日本の名曲」なる投稿をされました。そして「どの道も究めて行くと、到達点は同じ」 と考えておられます。 
 
これに対して コメント欄に 有志竟成 の著者 Oshima さんは現役時代の経験から「QCではパレート図」「在庫管理ではABC管理図」「レイアウトではP-Q管理図」などあるが、目的を達成するための道を追い求め続ければ、同じ手法が開発されて活用されている。 とコメントされてます。「有志竟成」ではOshimaさんは今少し詳しく次の如く記述されています。
 
到達点
管理や改善活動を行う場合、重要でない課題に手をかけ過ぎて、本来手をかけるべきものを見落としていては「労多くして功少し」と言うことになります。そこで改善効果を大きくするため、重要な問題から解決していくという進め方が必要になります。重要問題を明らかにして、重点指向で攻めていくのに必要な手法をいくつか紹介します。
 
品質管理の手法に、パレート図があります。
これは、職場で問題になっている課題を、現象や原因別に分類して、件数や金額の多い順に並べて、その大きさを棒グラフで表し、累積を曲線で結んだ図を言います。
 
棚卸し資産を管理する手法に、ABC管理図があります。
これは、製品や部品・材料を品名毎に分類して棚卸し資産の多い順に並べて、その大きさを棒グラフで表し、累積を曲線で結んだ図を言います。
 
IEr(生産技術者と推測)がレイアウトなど検討時に用いるものにP-Q管理図があります。
これは工場で生産する製品と数量を使用スペースの大きい順に並べて、その大きさを棒グラフで表し、累積を曲線で結んだ図を言います。
 
以上の手法は、対象は変えてはいますが、いずれも同じ考え方です。夫々の分野で重点思考を極めると、到達点は同じと感心しております。・・・・・・「有志竟成」105~106ページから抜粋
 
感想)この本はOFF-JTとしてOshimaさんが若手社員に話された内容をまとめたもので、多岐にわたって非常に参考になることが書かれております。         以上    (ミナヨシ会員:石井)
 
 

2016年8月19日金曜日

仏教の心を歌っている日本の名曲

先日、テレビで興味ある番組をみましたので、感想などを記してみます。

(1)番組について

・テレビ朝日、(2016)8月15日、19:00~21:48、3時間SP
 ・「ぶっちゃけ寺 お盆SP 仏教の心を歌っている日本の名曲BEST40」
 お坊さん(諸宗派の僧侶:13名)が仏教に因んで選んだ名曲(歌謡曲)、40曲を紹介。

 主体は、歌謡曲(歌は数人の歌手とVTRによる)であるが、これにお坊さんとゲストがトークをまじえた「バラエティ番組」。お坊さんが、一曲ごとに歌詞のフレーズの中から、仏教の視点からみた関係を述べているところに興味・関心がありました(こういう見方もあるのかと)。

 厳選されたという40曲は、一度は聞いたことがある、懐かしい歌がほとんどで、適当に分類してみると、約6割が人生訓的なもの、約3割弱が愛・慈悲と思われます。

(2)独断で4曲を選んでみる

 現在の自分の気持ちに近い曲を40曲の中から4曲選び、私なりに関係づけをしてみました。
 なお、記憶が定かでないところがあるため、ネットで記録を検索。
 「テレビ人気番組の役に立つ知識、情報」(omoshirodougagazou.com/?p=3851)の「ぶっちゃけ寺」に番組の記録が掲載されていましたので、これを参考にしました。

 ※各曲に次のように、「番組の記録」に愛読書の中から関係記事を選んでみました。
    <仏教のポイント>・・・上記ネット情報による番組の記録
    <今日のヒント>・・・愛読書「桝野俊明 監修「ボールペン 般若心経 練習帖」のコラム、
                 「今日のヒント」(30日分)の中から選んで引用(要点のみ記す)

① 「いつでも夢を」(橋 幸夫、吉永小百合)
  <仏教のポイント> いつでも夢を ・・・「一切皆苦」とは、思い通りにならない世の中を生きて
   いく。(苦しく辛いことへの向き合い方を教えている)
  <今日のヒント> 「無常無我」の視点が苦しみを変える・・・「無常」とは移り変わることですが、
   般若心経では、虚無的にはとらえません。移り変わるがゆえに美しく、また尊いと考え、プラス
   思考で積極的に生きることを説いています。(仏教での「苦」は、思い通りにならないこと)

② 「明日は明日の風が吹く」(石原裕次郎)
  <仏教のポイント> 明日は明日の風が吹く・・・これこそが修行僧の行き方です。自然の成り
   行きに任せて行動することのたとえです。
  <今日のヒント> 運を天に任せ、自在に生きる・・・禅語「任運自在」に類似。

③ 「世界に一つだけの花」(SMAP)
  <仏教のポイント> 一人一人の人間が尊い特徴を持って生きている。
  <今日のヒント> 人と自分を比べない 大切なのは、人は人、自分は自分であり、それぞれ絶
   対的な存在だという真理を、きちんと認識することです。自分の能力を信じて、与えあられたこ
   とを全うしていく。

④ 「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)
  <仏教のポイント> 少しずつ少しずつ小さいことから積み上げていくことが大事と教えていま
   す。少しずつ努力していくことを説いています。
  <今日のヒント> 100日続けると、自分の習慣になる 「継続は力なり」といいます。一日の積
   み重ねが、あなたを大きく成長させます。100日後、あなたは、確かな自信を実感するはず。

<感想>

 歌の作者は、初めから仏教との関係を殆ど考えてはいないと思われます。日本人には、仏教の 教えが歴史的、伝統的に身に染みついていて、自然に発露してくるものと思われます。
 また、見方を変えると、どの道(修行的な)も究めて行くと、到達点は同じで、普遍性があるもの(すべてのものに当てはまる)に至るのではないかと最近思っています。
 (仏教は奥が深い! これからも少しずつ勉強していきたいと思います)




 


2016年8月11日木曜日

K君との再会

ある夏のこと、学友5人が、私の両親が住む下田の家に遊びに来ることになった。なぜこのメンバ
ーになったのか理由は全く定かではないが、とにかく紹介します。(ミナヨシ会員:石井)

Mr.Y.Kimura ➡ K君
Mr.I.Nomura ➡ N君
Mr.Y.Hosoya ➡ H君
Mr.Y.Mashimo ➡ M君
Mr.H.Yasuraoka ➡ Y君   
 
   下田の石井宅にて     (家が狭くてGuestは雑魚寝)
 
   第一日目外浦海岸にて 
 
 


   第二日目鍋田海岸にて(注:N君が今日から参加、M君は撮影係りだ)



 第三日目石廊崎灯台にて    (左から N君➡K君➡Y君➡H君➡M君➡石井)
 




 こうして夏の楽しい数日は終わった。しかし現在の私(石井)は当時のことを殆ど覚えていない。
最近H君がメール(下記)をくれた。約50年前のことを克明に覚えているH君に脱帽です。
「H君のメール」
学生時代に、貴方の家に大勢でお世話になりながら、海水浴(弓ヶ浜、なべたの海岸?等)ごかいをえさに投げ釣りをしたこと(釣果・キス数匹、ホウボウ一匹)、熱帯植物園や石廊崎などに連れて行っていただいたこと等が、思い出されます。貴方の家でいただいた“とこぶし”が特に美味しかったです。負の思い出として、酷い日焼けをして背中いっぱいにひぶくれが生じ大いに苦しんだ事です。とにかく楽しかったです。貴方のご両親には改めて感謝申し上げます。記憶違いがあるかもしれません、その際はご容赦ください。
 
(石井追記)記憶違いは 弓ケ浜➡外浦 だけ。  とこぶし ➡ は小さなアワビのイメージだが別物。
 
*****************50年前の思い出はここまで*************************
 
 
ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」を紹介するために7月初旬K君に私は電話をした。その時
彼は今度下田(弓ケ浜)に家族で海水浴に行くとのこと。私は即再会の約束を彼から取り付け、7月26日に彼のホテルを訪ねてH16(東京で同窓会)以来の再会を果たしたのです。
 
            (左)K君  (右)石井

 
「再会の様子」
① 彼はホテルと折衝して駐車場を確保して外で待っていてくれた。その配慮が嬉しい。
② 6月桐生で開催のミナヨシ会同窓会の写真を拡大して持参しました。そのうち何人か
  は思い出せない様子。白内障がとか言っていたが、それは関係ないと思います。
③ 奥様、二人の娘さんとそれぞれのご主人、そしてお孫さんが一人づつ、総勢8人で 
  5泊6日の逗留。素晴らしいご家族にかこまれてK君はとても幸せそうでした。
④ 学生時代の思い出、就職後の仕事、子供そして孫のこと、お互いの健康状態、趣味、
  体型のこと、話は尽きません。K君はサイクリングで日焼けし逞しく健康そうでした。
 
「私の感想」
思い切って訪ねて行って本当によかったと思う。容貌はお互いに変わっているが、話せば颯爽とクラリネットを吹いていたK君がよみがえった。これから先、ミナヨシ会同窓会が何回開催されるか分からないし、K君ともまた会えるとの保証もない。私がブログを紹介したくてかけた一本の電話が、貴重な、うれしい再会に繋がったことを報告し、感想とします。
                                   以上
            
                                 

2016年8月9日火曜日

Hashikuraさんの初めての投稿記事、他   imasan

サマースクールでの昆虫講座で忙しかった橋倉様からはじめての投稿記事が届き,
先日、8月7日に掲載しました。ご覧になってください。(記事は、橋倉様確認済みです。)




            クリック! サマースクール活動報告


橋倉様の了解があれば、皆様にもメール添付で送って頂こうと思いが、パーワーポイント資料は実に34頁にもなります。ブログでは、6枚を掲載いたしました。


パワーポイント資料1ページ
私は、無料の Open office をダウンロードして、資料を開き見ました。




この他に、投稿記事にも記載されていますが、橋倉様は、自分で作成し、継続管理されている「町田紙飛行機倶楽部」のホームページを持っておられます。
町田紙飛行機倶楽部のトップページ


これで、「ミナヨシ会の仲間たち」にこれまでに投稿された方は、6名になりました。
皆様により、このブログが、長く続くことを願っています。 imasan

2016年8月7日日曜日

至誠(3) 素晴らしい群馬

吉田松陰(敬称略)の人となりを勉強しながら、また野尻さんの書の「至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり」をキーワードにして「至誠(1)」および「至誠(2)」を投稿しました。最後に群馬県のことについて「至誠」(3)として記載します。(ミナヨシ会員:石井)


寅次郎(吉田松陰)は安政六年(1859)十月五日江戸の評定所で最後の取り調べを受け、死罪の刑となりましたが、遺書ともいうべき「留魂録」に次のように書いております。

 
 
松蔭は世を去りましたが、その教えを引き継だ者は大勢おりました。その中で、小田村伊之助(松蔭の妹、寿の夫)と(松陰の妹、久坂玄瑞の妻)のその後について調べてみました。野尻さんの書の解説を見てください。


 
 
ここに記載されている二人は、楫取素彦(小田村伊之助 改め)と美和(文 改め)となったのです。なお楫取は妻(寿)を病気で亡くし、美和は(久坂玄瑞)を自害で亡くし、この二人が後々結婚したので、正確にはお互いに再婚なのです


 
上左から 時計回りで  吉田松陰 - 美和 - 寿(ひさ:美和の姉) - 楫取素彦


さて途中は省略して時代は明治となります。政府の木戸孝允、伊藤博文などは今後の日本には代表的な産業が必要と考えていた。そこで開国以来海外に飛ぶように売れていた絹糸に着眼、明治5年に製糸場を北関東の中心、群馬県の富岡に建設した。さらに木戸の要請で楫取素彦は群馬県の県令として、寿と美和を伴い3人で群馬県前橋に赴任したのです。


 
上左:楫取素彦が県令として赴任した頃は、群馬の女性は子供の頃から絹糸生産に携わった。
上右、下右:美和は字を読めない女性たちのために読み書きを勉強する「学びの場」を設立した。
下左:女性たちも美和の「女性でも勉強して、自分の考えを持つ」という考え方を理解した。
    そして絹糸生産のかたわら一生懸命勉強をした。このことは後々大きな力となる。



   時計回りに見ると、絹糸の生産方式は時間の経過とともに改善、進歩したことがわかる。

 
 
   県令・楫取素彦は美和の協力とその意見も尊重して群馬県の発展に尽くした。
① 群馬県の養蚕、絹糸生産の発展のために尽し、群馬の絹糸のずば抜けた品質によって世界
   への輸出も飛躍的に拡大した。
② 公立の女子学校を設立して、群馬県を日本で就学率、一位にした。
③ 富岡製糸場を政府から民間に払い下げるとき、引き受け手がなく閉鎖となりそうであったのを
   政府と折衝して、その存続を決めさせた。
④  さらなる産業発展のために、政府に前橋までの鉄道敷設計画を決定させた。


そして楫取は自分の任務は終わった。あとは自分たちで出来ると考えてこの地を去る決心をする。
すでに妻(寿)に病死された楫取は美和に結婚を申し込み、これからも美和の協力を乞い、再婚したのである。

 
 
兄寅次郎(吉田松陰)より幼少の時から薫陶よろしく教えをうけた ふみ (美和)は素晴らしい女性であった。幾多の困難、苦しみにも負けず、特に群馬では読み書きできない女性たちの教育にあたり大きな改革をした。立派に育った女性たちのお別れの寄せ書きには、美和がことあるごとに言っていたであろう 「至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり」 の文字が見える。

ほとんどがドラマ 「花燃ゆ」 からの抜粋であるが 我々ミナヨシ会の仲間の学びの地、学び舎がある群馬県を 「素晴らしい群馬」 と私は呼びたい。 この当時の抜きんでた養蚕、繊維産業の重要性を担って我々の学び舎に貴重な繊維学科と機械学科が後に設けられたと私は思います。



鋸屋根の街 


桐生は、「糸一本から着物まで」の織物で栄え、「西の西陣」東の「桐生」と並び称されて、わが国有数の織物産地として知られていた。戦後の最盛期には500を超える工場が活況を呈していた。「なつかしの桐生」 Osima氏著より抜粋


(まとめ)
長くなりすみません。吉田松陰から端を発し、その見えない糸は群馬県にまで伸びて、もしかしたら(いや確かに)我々が学んだ地、学び舎、ミナヨシ会まで繋がっていると思います。これは考えすぎだろうか? (終わり)


地元小学校でサマースクール講座実施・・・     育てたカブトムシを持って    橋倉 亮一


「サマースクール活動報告」

以下の内容は、橋倉様の記述によるものです。

夏休みが始まり、小学校では地元の経験者を活用してサマースクールが始まりました。
先月末、地域の小学生(東京都町田市立三輪小学校、鶴川第三小学校)と交流をして来ました。

メモ: 町田市は、東京都の南端にあり、商圏人口200万人の一大商業都市です
多摩丘陵の西部から中央部を占める位置に立地していて、昔ながらの里山風景、古道や寺社・史跡等々すばらしい自然遺産・文化遺産が、今もなおその姿をとどめています。(市のHPより抜粋)


カブト虫昆虫講座(三輪小学校)を開催しました。(7/22)


講座のプログラム下図を参照ください。

講座資料パワーポイントの第1ページ

今回持参したカブトムシ 自分が育てたもの44匹に、友人が捕獲したもの加え講座前日には
  合計80 匹以上になりました。


かぶと虫の飼育 カブトムシ44匹を2週間飼うだけでも、餌 (市販のゼリー、メロンの皮とバナナの工面が大変です。かぶと虫の飼育奮闘ぶりをご覧ください。 

・サマースクール様子当日撮影した授業風景を写真でご覧ください。

1.講座の始まり風景。(壇上の左端が筆者)















2.40名の小学生にカブト虫を自由に取ってもらう。














3.カブト虫のつかみ方はこんな風に と見せながら説明する。   














4.カブト虫のバトルの様子をyoutubeの映像を見て学ぶ。














5.配ったカブトは優しくてバトルが始まらない。















6.飛ぶ姿は迫力満点と説明してたら・・・















7.突然配った1匹が飛び出した。















8.飛び出したカブトを持ち主に手渡す。















9.カブトムシは、力持ち。















子供たちの声(昨年のお礼の手紙の中の感想より)

1.「カブト虫に触れることができてよかった

2.「実際にバトルはなかなか起きないことが分った

3.「カブト虫よりクワガタの方がもっと欲しい。カブト虫おじさんからクワガタおじさんになって
  など


・説明に使ったパワーポイント資料:資料写真6枚)




日々の観察も大変です
かぶと虫の飼育奮闘ぶりをご覧ください


カブトムシの体のつくり



今回の講座でも1匹が天井まで飛びました


6月から7月と忙しい日々でした








② 紙飛行機講座(鶴川第三小学校)を開催しました。(7/28)


・講座の様子 : 当方作成のHPにアップしてますので、ご覧いただければ幸いです。

・当方の役目: 当方、今回は、広報担当です。


ホームページ表紙写真

「町田紙飛行機倶楽部」をクリックし参照下さい。


・ホームページ掲載講座の写真 当日の写真が多数掲載されています。HPを参照下さい。





「後記」

忙しい毎日だった橋倉様からサマースクールの画像および講座資料などの近況報告
届きましたので、掲載いたしました。 
この投稿は、橋倉様の了解を得て掲載しています。 imasan







2016年8月3日水曜日

至誠(2) 掛け軸の書 

このブログに野尻さんが初めて「趣味の表装:掛け軸造り」と題して投稿をされました。その掛け軸には「至誠にして動かざる者未だこれ有らざるなり」という孟子の教えが漢字で書かれておりました。これは吉田松陰(敬称略)の座右の銘とのことです。そこで私は吉田松陰に関心を持ち、身近な下田の弁天島を探訪して「至誠(1)」として先に投稿しました。今回は「至誠」および「至誠にして・・・なり」について、吉田松陰とあわせて今少し調べてみました。
(ミナヨシ会員:石井旭)   
 
              野尻さんの書を再度ここに掲げます。
   
             上記オリジナルの投稿は2016年6月30日ですので、必要に応じそちらも参照ください。




DVDを用意して鑑賞しました。
大河ドラマ・総集編
花燃ゆ」(前編)
①人むすぶ妹
②松下村塾を守れ
③妻のたたかい
花燃ゆ」(後編)
①女たちの園
②いざ、群馬へ
③二人の再婚
青天の夢
松蔭と晋作新世紀への挑戦
獄(ひとや)に咲く花」吉田松陰の恋


 


ドラマの最初

松蔭の妹、「ふみ」はまだ幼少であったが、その妹に向かって松陰は一生懸命、
至誠にして動かざるは 未だこれ有らざるなり」と説いている。







ここにも「至誠」
松陰設立の松下村塾の塾生にもことあるごとに「至誠にして・・・・・・・・
と説いている。

また野山獄に投獄されているとき松陰は一部の同志に自分の考えが理解されないと嘆き、壁板をたたきながら「至誠」と書いている。
以上は大河ドラマ「花燃ゆ」(前篇)からの抜粋である。



本で調べた。

図書館には吉田松陰に関する本が沢山あり、松陰の偉大さを伺い知ることができる。

そして九冊の本を借りた。もちろん全部の本を精読できないので、ひろい読みしながら「至誠にして・・・」の説明箇所を探した。







「吉田松陰」 川口雅昭 著 371頁より抜粋

(まとめ)
爛熟しきった権力志向の封建政治は崩壊の危機にあり、列強はわが国の植民地化を虎視耽々と画策していた。そのとき救国の行動をと吉田松陰は、松下村塾を建立して塾生と「激動の世にあって、人としてどう生きるべきか」を徹底考究した。しかしその熱情のあまり密航や老中の暗殺画策を
行うなど無謀と思われる行いをした。そして最終的には死罪となった。(享年30歳)

今ここで吉田松陰の詳細を論じることは控える。私は松陰が「至誠にして動かざる者未だこれ有らるなり」の言葉がどのような場面で使われたのか知りたかった。調べれば松陰は何回もこの言葉を使い、多少言い回しが異なることもあったが意味は同じである。解説として妥当と思うものを上に抜粋として掲げました。これは最後に江戸に送られるときに、松蔭の妹、寿の夫で松陰のよき理解者であった小田村伊之助宛てに書き送ったものである。

私がここで言いたいのは 野尻さんの書によって 吉田松陰のこと及び書の意味を少しばかり理解できたことです。一方「花燃ゆ」DVDを鑑賞して久しぶりに 心を揺さぶられる感動をおぼえました。
                                               以上                                                                      

お気に入りの「禅語」(その2)

先に『「お気に入りの「禅語」』を投稿しました(2016.7.27)。その続きとして、「その2」を投稿します。なお、予定していた「喫茶去」は、「而今」に変更しました。

1.「日日是好日」

「日日是好日」は、「にちにちこれこうにち」、日常的には、「ひびこれこうじつ」ともいわれる。
(1)この禅語の意味について、以下、「Wikipedia」 から引用します。
 もともとは、唐末の高名な禅僧の言葉とされている。
『「日日是好日」は、表面上の文字通りには、「毎日が良い日だ」といった意味である。そこから、毎日が良い日となるように努めるべきだと述べている解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている』

 次に、本から引用します。 ※1
(2)「今日はこんなことがあった。だからいい日だ、ツイていない日だった。そんな風に考えるのは自然なことです。しかし、あなたにとって、つらいことがあった日は、そうでない日には得られなかったものを得ているはずです。何かを失うことで、本当に大事なものに気づけたかもしれない。大きな失敗をしたことで、次に活かせるかもしれない。そう考えれば、「良い日」、「悪い日」というのはないのです。今あなたに起こっている出来事をありのままに受け止める。その一瞬は二度と訪れないことを噛みしめて、その一日を大切に生きる。そうすることで、一日一日がとても貴重で輝くものになるはずです。
 要約して、「今を受け入れ、大切に生きる」とあります。

2.「任運自在」

 「任運自在(にんぬんじざい)」の意味について、以下、本から引用します。 ※2
『望み通りにものごとが運ばない時、思ったように結果が出ない時には、「任運自在」という禅語を思い出してください。
 これは、ものごとをあるがままに受け入れ、運を天に任せて自在に生きることを説いた言葉です。・・・天の采配する大きな流れに任せて、ゆったりと生きること人生が苦(*)であることを受け入れて、なおひたすらな努力を続けていくこと。それが、心穏やかにに暮らす道へとつながります』
   *:仏教では、自分の思い通りにならないことを「苦」と考える。

 最終的に「任運自在」に至る前に、「人事を尽くして天命を待つ」の通り、人事を尽くすことが当然ながら、前提条件であると思っています。

3.「而今」

 この禅語:「而今(にこん)」の意味について、以下、ネット検索:※3 による記事から引用します。
 『「過ぎ去った時」、「この瞬間」は二度と戻ってこない。ということを表した禅語。「今」この時をおいて他にない。「今」この瞬間を大切に生きなければならない、ということを教えています。
 誰しも過去を振り返ることはありますが、過去の失敗を悔やんでばかりいたり、過去の苦しみから抜け出さずにいたり、あるいは、過去の栄光にばかりしがみついていたりする。
 人は誰しもそのような心を持っているものです。そう簡単に断ち切れるものではないかもしれませんが、大切なのは、「今」という瞬間を生きること。一生懸命に「今」を生きていくそれが未来に繋がっていくのです。過去の中に生きるのではなく、二度と来ない「今」を生きることが大切だと教えている言葉です』

 「日日是好日」、「而今」とも同じように厳しいことを言っています。要は、実践だと思います。
また、「任運自在」は、時々思い出して「ほっと」しています。
前回と合わせて、五つの禅語を取り上げました。これらは、日常生活の指針になると思っています。今後、どのような禅語に出会うか楽しみにしていきたいと思います。

<参考資料>
※1:武山廣道(臨済宗白林寺住職)監修 「禅語」(リベラル社)
※2:桝野俊明(曹洞宗徳雄山建功寺住職)監修 「ボールペン 般若心経練習帳」
   (河出書房新社)
※3:ブログ:「団塊世代おじさんの日常生活」(2016年7月)
   この記事は、「桝野俊明さんが、中日新聞に禅語について書かれた記事を参考にしている。