2022年11月27日日曜日

最近描いた絵(19)Seiji Toyoshima

 相変わらず絵描きを続けています。今回は、最近描いたアクリル画・4点の投稿です。絵描きは奥が深いですが、「継続は力なり」を信じて、毎日少しずつ続けていこうと思っています。また、絵描きで楽しい時間を過ごしています。

(1)近況

昨年の今頃から、県レベルの高齢者対象の美術展※ への出品を目指して、少し大きい(F20号:サイズ:61X73cm・・・このサイズは初めて)絵を描き始めました。F20号はいつも描いている、F6号(サイズ:32X41cm)に対して、描く面積が約3倍になります。

このF20号のキャンバスは、自転車では運べませんので、絵画教室に預けておいて、月2回(1回当たり2時間)だけ教室で描いてきました。なかなか進みません。美術展への搬入日は、来年の1月5日です。そこで、数日前から自宅に移し、最後の仕上げをしているところです。なお、美術展が終わりましたら、こちらへ投稿予定です。

※:「○○県すこやか長寿者美術展」、日本画、洋画、彫刻など。 ・出品資格:県内に在住で、60歳以上のアマチュア。 ・洋画(油絵、アクリル画、水彩画)の大きさは10号以上50号以内。 ・展示期間:令和5年1月10日~1月15日、・会場:県内有数の施設。


(2)最近描いた絵

①秋明菊(シュウメイギク):写真1.

秋明菊は、秋の風情を感じさせる優雅な花です。「秋明菊は、キンポウゲ科、アネモネ属で、菊の仲間ではありません。欧米では『ジャパニーズ・アネモネ』と呼ばれ、非常に人気」とあります。

数株の秋明菊が庭で10月頃から咲き始め、しばらく咲いていました。花言葉は、「薄れゆく愛」、「淡い思い」だそうです。また、絵の下の方に描いた、紫と赤の混じったような小さな花は、「ホトトギス」です。これも庭のあちこちに咲いていました。

写真1、「秋明菊」

②芙蓉:写真2.

古来から芙蓉(フヨウ)の花姿は、密やかで美しい女性の例えに用いられ、花言葉は、「繊細な美」、「しとやかな恋人」とあります。開花時期は、8~10月頃、花の色は白やピンクなど。(写真を見て描きました)。

写真2.芙蓉

③近くの公園の景色:写真3

近くの公園の池などの景色で、外でこの景色を見ながらスケッチ(透明水彩画)をして、次に写真を見ながら、自宅でアクリル画として仕上げました。左側の建造物は池の水面の高さをコントロールする排水口です。10月頃の景色です。

写真3.「近くの公園の景色」

④散歩道の景色:写真4.

・実家(関東)の兄(三歳年上)のブログ中に、いつもの散歩道で撮影した、珍しい情景の写真があり(11月に撮影)、興味があって描いたものです。

・コロナの影響などで、実家にはここ数年帰省していませんが、毎日のように兄がブログに投稿していますので、実家の様子を知ることができます。

・絵の左側の黒褐色の大きな木は「葉桜」で、その奥の黄色が強い木は「ヤマボウシ」とあります。このヤマボウシの幹や枝は茶色の白味がかった色で、ここに朝日が当たり、この反射で黄色+茶(やや白)の色に見えたものと想像しています。よくわかりません。難しい絵でした。

写真4.「散歩道の景色」





2022年9月23日金曜日

最近描いた絵(18)Seiji Toyoshima

 少し間が空きましたが、また、いつもの絵の投稿です。最近描いたアクリル画4点(ただし、2点はアクリル画を油彩画として仕上げたもの)を掲載します。

夏は暑さのため、野外スケッチは敬遠して、室内のみで描いています。従って、花の絵が多くなりました。


(1) アクリル画を油彩画に変身

私の絵の描き方の変遷・・・8年前に透明水彩画をスタートしました(最近では透明水彩画はアクリル画の下絵として描く程度)。次に4年前からアクリル画に転向し、絵画教室で習っています。

透明水彩画は、短時間で描け、絵にも魅力がありますが、テクニックがさまざまあり、難しい(私には思うように描けない)。また、一度塗ったら修正が殆どできない。一方、アクリル画は、時間がかかるが手直しができるので、ある意味容易。・・・これがアクリル画へ転向した理由です。

現在は、専らアクリル画ですが、最近「アクリル画として仕上げた後(アクリリル画は水で溶くためすぐ乾燥して手軽に描けるが、油絵は乾燥するまでに数日かかる)その上に油絵具を塗り、油彩画として仕上げる」描き方をする先輩を見受けます。油彩画のメリットは、「色や艶に深みが出る」と言われています。

そこで、今回アクリル画でほぼ仕上げたものをその上に油絵具を塗って仕上げてみました(掲載した、「フランスギク」と「カンツバキ」の2点)。

個人的にはアクリル画は油彩画に近いと思いますが、油彩画として仕上げた方が色や艶が深みを増したように感じています。

今後、場合により油絵具の併用も試みたいと思いますが、当面はアクリル画主体で進めたいと思っています。


(2)腰痛は一進一退です

慢性腰痛は時々よくなりますが、依然として一進一退で続いています。特に朝起きたとき左の腰に痛みを感じます(血行不良が原因との説あり)。ストレッチで体を動かすと段々よくなってきます。なお、日常生活は年相応にOKです。

対策として、鍼治療に数回通いました。少しづつ効果を感じています。また、高齢者のための健康体操(足腰の筋トレ)を週1回ですが(標準は週2回)始めています。翌日筋肉痛が残りますが、足腰がしっかりしてくるように感じています。

これらの対策を続けて、現在週一回15分の散歩を30分に延ばすようにしたいと思っています。


(3)最近描いた絵

① 「公園入口の景色」:写真1.

近くの公園の入り口付近の景色です(手前の奥が広い公園です)。正面の民家のエンジ色の生垣が他とのコントラストがよいと思い、その周辺を描いたものです。この生垣は、「アカメモチ(ベニカナメモチ?)で時々見かけます。春からエンジ色の新芽が出ます(冬は緑色)。

 <写真1.サイズF6,アクリル画>

         写真1.「公園入口の景色」


②「ひまわり」:写真2.

ひまわりは、夏を代表する花の一つで、花言葉は、憧れ、情熱など。花の色は黄色、白のほかに沢山あるようです。


  <写真2.サイズF4,アクリル画>

        写真2.「ひまわり」


③ 「フランスギク」:写真3.

ヨーロッパ原産の花で、普通は庭園で見られますが野生化したものもあるそうです。花言葉は、忍耐、寛容など。この絵は、初めアクリル画として描きましたが、色の具合がすっきりしないので、より滑らか色になるように油絵具で仕上げました。アクリル画より艶が出てきたように感じます。

  <写真3.サイズF4,アクリル画→油彩画>

              写真3.「フランスギク」


④「カンツバキ」:写真4.

このカンツバキ(寒椿)は、サザンカとツバキの交配種だそうです。開花は、12月~2月で花の直径は7~9cmほど。花言葉は、謙譲、愛嬌など。この絵は、初めアクリル画で描きましたが、背景のボケた様子が上手くいかないため、油絵具を上から塗り油彩画として仕上げました。


   <写真4.サイズF4,アクリル画→油彩画>

              写真4.「カンツバキ」

2022年9月11日日曜日

墓じまい…お寺が無くなるなんて! imasan

 これは、私が、今年1番、自分の精力を最大限に使った案件でした。私的なことで、掲載しようかどうかと惑いました。

「前書き」

福井県越前市(旧名武生市)に我が家のお墓があった。6年ほど前に住職が亡くなられ、その後を息子である別の寺の住職が面倒を見るようになった。

越前市にあるお寺

3年前にお寺にある位牌を整理するから来る様にとの手紙が来て、引き取りに行ったが、見つからなかった。その際、墓じまいをしたらどうかと打診があった。母親の23回忌が済んだらしましょうと答えた。また、息子からこのお寺の面倒を見るのはやりたくない、いやいややっているとの話だった。

「菩提寺の解散」

昨年初め、檀家の代表から、お金の使い道が不明朗なので、檀家でお寺の面倒を見て行くことになったと手紙が来た。良かったと思った。ただ、檀家12軒と少なく、大変だなーと思っていた。

ところが、昨年10月に入り、住職代理(息子)からお寺を解散するとの檀家と住職代理の間で交わした契約書が送られて来た。また、お墓の移動をするようにとの書面も添付されていた。檀家代表は、お寺から除籍していた。何があったかは、分からない。

「墓じまいの決断と通知」

年が明けてもお寺から何の連絡もないので、こちらから墓じまいをするとの手紙を送った。

「墓じまいについて調査」

また、墓じまいについて調べ始めた。インターネットで以前に調べ、良さそうに思え3年前にカタログを貰っていた業者に見積もりを依頼した。

見積もりには、現地での確認が必要とのことで、時日を要した。18万ぐらいと思っていたが、32万円ほどだった。お墓の面積で見積額が違うと言う答えだった。見積もりと同時に「墓じまいの流れ」・手順書が送られてきた。まず第一にお役所(越前市役所)との手続きが必要なことが分かった。

「改装申請書」

墓じまいは、お墓を撤去して更地に戻すことであるが、それでは済まず、「改葬」申請と許可が必要だった。「改葬」とは、すでに埋葬されている遺体や遺骨を、所定の手続きを踏んで、現在のお墓以外のお墓、永代供養墓、納骨壇など別の形態のお墓に移動させることです。改葬の手続きは、墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)第2章に定められており、自分の家の墓であっても自由に遺骨を持ち出すことはできない。

兎にも角にも、お骨の移動先が決まらないと墓じまいは出来ないのです。改葬申請書には、移動先のお寺からお骨を受け入れると言う承諾書をもらい添付し提出する必要があります。

「受け入れ先のお寺」

これまで、自分には後継ぎがいないことから新たなお墓は作らないことに決めていた。それで、永代供養墓をどこにするかと言うことを調べて来た。

結論は、家内の両親のお骨が納められている京都の西本願寺の大谷廟と日本のどの宗派も受け入れる大阪の四天王寺の2つを選んだ。小学校の担任の先生が、入っておられる一心寺もあるが、最近、改葬による納骨は受け付けなくなった。

「菩提寺へ電話」

お寺からは無しのつぶてで、思い余ってこちらから代理住職のお寺に電話した。電話口で、お寺の取り壊しについて、市と県の許可を得て、手続きは、90%済んでいるとのことだった。代理住職が住職を務めるお寺に移動する家と墓じまいされる家と両方があり、5軒ほどが済ませているとのこと。

墓じまいの場合、移動先のお寺を探すのも大変だろうから永代供養墓を立てることにしており、檀家と話合い積み立てをしている、3年先になるがそこに入れてはどうか、お骨は預かると提案された。とりあえず、話合いに行くことにした。墓じまいでは、いやでも、お寺の管理者との話し合いが欠かせない。

越前市には、小学校の同級生がおり、今はコロナで活動休止中だが、しっかり者の同窓会の幹事の女性2人と事前に相談することにした。

「越前市へ・行動予定」

武生駅に到着すると、同級生2人が車で迎えに来ていた。どこかで食事と言うと隣の駅近くの温泉施設の食堂に案内された。

当家のお墓

今日の予定は、お墓に寄ってから代理住職のお寺に行き、その後、市役所で改葬申請書を貰い、書類の内容について説明を聞くこと。また、地元の石材店で墓じまいの見積もりをしてもらうことを伝えた。

「小学校同級生の友人と相談」

友人、女性2人との食事の席で、事の次第を告げると、住職提案の永代供養墓にお骨を収めること、また、お墓を移動することにも猛反対だった。この先、私が居らなくなったら、誰もお墓に来る人も無いし、お寺との付き合いも煩わしい。問題を先送りするだけだと。

この様に、友人2人にお尻を叩かれたが、これが良かった。

「お寺との話し合い」及び「閉眼供養」

食事後、お寺に行き代理住職と話をし、3年先にはどうなっているか分からない、電話で提案された永代供養墓への納骨は止め、墓じまいするとをしっかりと伝えた。

ついでに、住職と共にお墓に行き、工事前のお墓の魂抜き(閉眼供養)をしてもらった。

「越前市役所へ・改葬申請について相談」

その後、越前市役所に行き、改葬申請書について担当から説明を受け、申請用紙を貰った。申請には、改葬申請書、埋蔵証明書、受け入れ証明書の3つの書類の提出が必要。

a.改葬申請書には、改葬する先祖の名前、住所、命日、年齢などを記入したリストの提出が必要。

b.埋蔵証明書には、お墓にどの方が、何年、何月,何日に埋葬されたかの証明をお寺から貰い提出。

c.受け入れ証明書には、新たにお骨を受け入れるお寺の発行する受け入れ承諾書の提出が必要。

つでに、当地では、どこの石材店で墓じまいをされているか聞いた。お店の名前を教えてもらった。

「墓じまい業者訪問・見積もり依頼」

市役所を後にして、同級生の車で教えてもらった石材店に行くことにした。その石材店は、運よく、友人が、お墓の修理を依頼したお店であることが分かり、直ぐに連れて行ってもらえた。ただ、お店の主人が留守で、奥様にお墓の写真を渡し見積もりを依頼した。

ご主人との電話連絡で、明日の朝に見積もりを渡せるとの回答を得た。友人のお孫さんと知り合いということで、なるべく安くしてもらう様に頼んで頂けることになった。

当日は、温泉施設「湯楽里」に泊まって、明日朝、見積もりを取りに行くことにした。

「墓じまい工事依頼」

翌朝、電話で確認すると10時頃には、見積もりが出来るとのことだった。友人が迎えに来てくれ、まず、お墓に行って骨壺数を確認した。

石材店に行き、見積もりを見て驚いた。20万円だった。ただ、特別に安くしたので内緒にとのことだった。また、お骨は、骨壺から出して乾かすという丁寧ぶりに感心した。骨壺は、3つにしてもらうことにした。

墓じまいを正式にお願いすることにした。ただ、改装申請書を提出し改葬許可書が送られて来た後、工事開始となる。

「残された今後の作業

この先にやるべき事は、改葬先のお寺を決めること。これが1番大事である。そのお寺から改葬承諾書を発行してもらい、それを改装申請書に添付し越前市役所に送り、改葬許可書を得る。

許可を得たことを石材店に連絡し、墓じまいの工事をしてもらう。工事が終わり次第、お骨を引き取りに行く。

引き取ったお骨と改葬許可書を持参することでお寺に納骨が出来る。何とも時間のかかる仕事だ。

「改葬先の決定

越前で宿泊中に、納骨先の候補の1つである西本願寺の担当窓口に電話をした。まず、西本願寺系列のどのお寺か聞かれた。そのお寺の檀家であるという証明書の提出が必要と言われ、納骨出来ないと判断した。

四天王寺

改葬先は、四天王寺にすることにした。

「改葬申し込みと承諾書入手

自宅に戻り2日後、改葬許可を得るために、過去帳から改葬者のリストを作成、保健証、印鑑を持って大阪の四天王寺を訪れた。これまで、何度となく電話で確認し納骨手続きを担当する所は、境内にある六時堂と聞いていた。新快速で大阪に行き、環状線で天王寺で降りて、四天王寺に歩いて行った。いつもは大勢の参拝者で賑わっているが、今はコロナの時期で、境内は閑散としていた。

境内中央にある六時堂に行き受付で、改葬納骨したいと申し出た。改葬される方は、どなたですかと聞かれたので、曾祖父、曾祖母、父親、母親、叔父の5人の名前などを書いたリストを手渡した。この中の代表者名前で納骨をと言ったら、納骨される皆さんの名前を書くべきと叱られた。この5人の名前で、納骨承諾書を発行してもらえた。

これでご先祖の永大の住処を得られた。聖徳太子創建の由緒あるお寺が、我が家の新たな菩提寺だ。これで良かったと思った。

「改葬申請書を越前市役所に発送」

家に戻り、早速、改葬申請書を書き、納骨承諾書を同封し越前市役所に郵送した。郵送が規約で、改葬許可書を送ってもらう返信用封筒を同封した。

「改葬許可書入手と石材店に工事依頼」

それから、待つこと10日ほどで改葬許可書が届いた。直ぐに石材店にメールで知らせた。工事は、2日ほどで終わるが、お骨の乾燥に数日かかるとのことだった。

「越前市へ・お骨の引き取り」

先方の工事都合日もあり、お骨を引き取りに行ったのは、改葬許可書が届いてから20日後だった。墓じまいの工事業者・石材店には、お骨を乾かすなど丁寧な対応に、感謝の気持ちを伝えた。見積もり通りの費用だつた。

今回も、また、同級生のお世話になった。越前市を3度訪れ、その他の同級生とも会うことが出来、ミニ同窓会をした感じだ。同級生の皆様には、感謝してもしきれない。

「四天王寺へ納骨と諸手続き」

自宅にお骨を引き取り、3日経ってから納骨に、大阪天王寺にある四天王寺を再度訪れた。前回の手続き時に受け付けを担当した女性に今回も担当してもらい、覚えていておられ丁寧な対応をして頂いた。

契約確認書に従って、1つ1づつ内容を確認しながら進められた。お骨は、乾かして来られましたかと聞かれたので、乾かしましたと答えた。越前市の石材屋さんのお陰である。先に、戒名で納骨が良いと言われ、俗名、戒名、命日などを事前に書いて行ったので、手続きはスムーズだった。

納骨費用は、1霊当たり1万円で、他より安く庶民のお寺と言える。納骨で書いた5人の戒名を記入した、小さな過去帳を筆書きで作成された。

また、骨壺には5人の戒名を筆書きしたお札作成され、仏前に置かれれ前に私の手を3つの骨壺の上に貼った。最後に、お骨を拝んでお別れし、六時堂の仏前に他のお骨と共に並べて置かれた。今は、コロナでお堂の中に入れないので、お堂の前に立ちお坊さんの読経に合わせてお経を唱えた。この後、骨壺は、墓地に隣接する建屋に安置され、いつでも拝みに行ける。

この様に手のかかる手続きのために、待ち時間含め2時間を要したが、それなりの充足感があった。

お骨は、今年の11月15日に行われる、納骨総祭法要後に合祀墓に収められる。

「墓じまいを終えた心境」

何とか、先祖の落ち着き場所を探すことが出来た。新たな永代の菩提寺が出来一息ついた。

大阪は感染者が多い、お参りしたいので、早くコロナが収束して欲しい。

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はがき絵1枚掲載



2022年8月20日土曜日

 1.ブログを書かなくなって久しい・・・あんなに毎日毎日書いてきたのに!

主な内容は、毎朝、散歩をしながら写真を撮って、それを種にしてブログを書いてきた。

この早朝に出掛けることで、睡眠不足や身体の準備が出来ていないことから、朝食後の貧血に悩まされた。

耳管開放症と言って、片方の耳が詰まった感じになる。

鼻づまりと関係があるやも知れないが、いくつかの耳鼻科に診て貰っても治らない。原因不明で終わる。

1時的には、頭を下げて血液を耳の回りに充満したら治る。元に戻るまで、しばらく横になっている。

以前には、会社の資料館で立ちっぱなして説明した時など、長く立っていた時に起こったが、それが、月に何度も起こるようになった。

血圧は、上が105ぐらいで低いが、医者に言わせれば、90以下でなので低血圧でなく問題ないという。

結局、自分で原因を探す必要があるとの思いに至った。

それで、色々試みた対症方の中で、早朝散歩を止めたら耳管開放症が減少、かなり改善したことは確かだ。

また、朝食事に、コーヒを飲んで自律神経を目覚めさせることもやっている。

そんな訳で朝の散歩をしないことで、自然とブログを書く機会が減った。

また、年齢と共に好奇心や感受性が減少したことも影響しているかもしれない。

2.今年前半のトピック・・・マイナーポイントをゲット!

2年前、e-taxをする為に以前から持っていたマイナンバーカードを総務省のマイナーポイントサイトで登録し、5000ポインント(円)を頂いた。

また、この時、イオンマネーのワオンで受け取る様にし、更に、20000円をワオン入れたら、国からの5000円に加えて、イオンから2000円、滋賀県から1000円が追加で貰えた。(結局、20000円が28000円になったことになる)

今年に入って、健康保険証をマイナンバーカードで登録し、更に、公金受取の銀行口座を登録して、7500ポイント+7500ポイント=15000ポイント頂いた。

これを前回と同じイオンのワオンで受け取る手続きをしたところ、3日後に15000円分のワオン(電子マネー)が入金された。

このお金、イオンで食事して使うことが多いが、本当に良いものを買った方が良いと反省。

以上のマイナーポイント入手手続きは、「マイナーポータル」サイトで行う。マイナンバーカードでの保健証登録などもここから行う。


マイナーポイントを申し込むのは、上図の一番下の「マイナーポイント第二弾」と書いてあるロゴをクリックし開いたページから申し込みへ進む。

手続きの中で、マイナンバーカードを使用する。その方法は、パソコンでの確定申告「e-tax」と同じ方法、カードリーダでマイナンバーカードを読み込ませて行った。


そこで、家内の分は、パソコンではなく、1度やってみたかった「スマホ」で行った。

スマホを利用してみての感想は、パソコンより簡単だ ‼ 

マイナンバーカードの読み込みは、カード上にスマホをかざすだけで済む。


読み取った反応も音が鳴りしっかりしている。

さて、今度は、どこで電子マネーを貰うか? 

家内の日常の買い物は、こちらのスーパー平和堂で行うので、イオンのワオンでなく、平和堂のHOPマネーで貰うことにした。15分ほどで手続き完了。


ワオンと同じ3日後に入金されると思って確認したが、中々入金されなかった。

国からのポインント付与は手続き後直ぐなのに、平和堂に聞くと1か月後との答えだった。


HOPマネーが入金されたのは1か月後の2日だった。

色々な入金の方法があるので手続き前に調べたら良い。

この様にマイナンバーカードを作れば、「棚からぼた餅の様なボーナス」があるのに、また、早急な国のデジタル化が求められているのに、何故、マイナンバーカードの手続きが進まないのだろうか。

知っていてやらない人と知らない人がいるからだ。

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はがき絵・水彩画1枚


近くの瀬田川南郷洗堰です。


2022年6月13日月曜日

最近描いた絵(17) Seiji Toyoshima

今回の投稿は、最近描いたアクリル画・4点ですが、タイミング的に花菖蒲(家内が手入れしている)が見頃となり、二つのテーマが重なりましたので、絵の次に花菖蒲の写真を加えたものにしました。 

なお、腰痛の方は、少しづつよくなり、5月には発症前の状態に戻りつつあります。


A.「最近描いた絵(17)」

1.「尾瀬の木道」:写真1.

絵の参考書(水彩画※)の中に「尾瀬沼畔にて」という水彩画があり、これを参照して、アクリル画で描いたものです。  ※:透明水彩画のこと。以下同じ。

尾瀬には、学生の時行く予定がありましたが、生憎台風が来て中止になってしまったという思い出があります。

この絵は、尾瀬のどこかの木道のある場所です。アクリル画にすると、水彩画の雰囲気が上手く表現できないと感じています。

<写真1.サイズF6,アクリル画>

           写真1.尾瀬の木道

2.「帆船」:写真2.

絵の参考書の中に、ハワイ(ラハイナ:マウイ島)の港に停泊中の帆船を描いた水彩画があり、これを参考にして、アクリル画で描いたものです。帆を取り付けるロープが何本もあり、この細い線を描くのが大変でした。2本マストの大きな帆船です。

なお、残念ながら私はハワイへは行ったことがありません。

ヨットと言えば、こちらに来た頃は寮生活をしていましたが、同期生の中に横浜の大学のヨット部の経験者がおり、寮生希望者10数名で1人一万円で、中古のスナイプヨット(二人乗り)を購入し、2,3年は会社の「海の家」近くの海で、夏の休日にはよく遊びました。

<写真2.サイズF6, アクリル画>

    写真2.「帆船」


3.「カトレア」:写真:3

庭の片隅にいくつかのランの鉢(家内が手入れ)があり、毎年咲きます。丁度5月にカトレアが見事に咲きましたので、アクリル画で描いたものです。

カトレアは、中南米原産のラン科植物で「洋ランの女王」ともいわれる美しい花です。

交配により、種類も多いようです。

<写真3、サイズF4, アクリル画>

    写真3,「カトレア」


4.「ヤマボウシ」:写真4.

ご近所の方から、庭のヤマボウシ(高さ4mくらい)の花*付きの枝をいただきました。

 *:花びらように白く見えるのは、「総苞片」とあります。

ご近所さんの庭木は、花が満開で白一色のように見えます。ヤマボウシは、落葉高木。初夏を代表する花木で、山林などに自生する木ですが、街路樹や庭木にも植えられるそうです。

<写真4.サイズF4、アクリル画>

    写真4.「ヤマボウシ」



B.「花菖蒲が見頃です(7)」
家内が手入れしている、花菖蒲が例年のように見頃になりました。少し写真を掲載します。なお、「花菖蒲が見頃です(6)」、2021.6.14投稿もご参照ください。







2022年4月26日火曜日

最近描いた絵(16) Seiji Toyoshima

・今回の投稿は、今年の2月以降に描いたアクリル画・4点(写真1.~写真4.)です。用紙のサイズは、すべてF6(410X318mm)です。相変わらずの絵ですが、ご覧になってください。

・腰痛は、昨年12月初めに始まり、少しづつよくなっています。4月に入って、やっと以前の状態に戻りつつあります。12月、1月は腰痛のため、絵描きは殆どお休みでした。2月から、以前のように絵描きを始めています。ウオーキング(週1回)も始めていますが、腰痛はまだ時間がかかりそうです。

・最後に最近読んだ本の感想(特に心に残ったところ)を少し記しました。


1.「初夏の里山」、写真1.

写真1.は、大先輩(32M,昨年他界)のアトリエを訪問した際、沢山並べてあった絵のなかから、この絵(アクリル画、サイズ10号?)をカメラにおさめ、この写真をもとに模写したものです。絵の場所については確認していません(山梨か長野でしょうか?)。

田舎の田植え後の風景で、原画は写実的、緻密、繊細な表現で、美しいと思いました。

模写も難しく、多少モヤがかかっているようなところもあり、難しかったです。


      写真1.「初夏の里山」


2.「初冬の里山」、写真2.

写真1.と同じく、大先輩のアトリエでカメラにおさめた写真(アクリル画、サイズF10?)をもとに模写したものです。なお、この原画の場所は確認していません。
木々の枝ぶりの表現が難しいと思いました。画面の下の方にある白い点々はススキと思われます。茶系一色の山は、故郷の山々の景色を思い出させます。

    写真2.「初冬の里山」



3.「桜と老夫婦」、写真3.

透明水彩画を描き始めたころ、透明水彩画の描き方を説明する動画を配信していただけるサイトがあり、登録しましたら、今でも時々更新され、参考にしています。写真3.は最近配信された動画を参照して、アクリル画で描いたものです。透明水彩画の方が柔らかい表現になるようです。

       写真3.「桜と老夫婦」



4.「イチゴと蜜蜂」、写真4.

写真を見て描きました。イチゴに姿が変わった2匹の蜜蜂、構図的に興味があり描きました。検索によれば、イチゴの名は、「エゾヘビイチゴ」と出ました。野生のイチゴでジャムにすると普通のイチゴよりはるかに美味とあります。
また、蜜蜂は動いているところで、写真でははっきりしないところがあります。

       写真4.「イチゴと蜜蜂」



5.最近読んだ本:「死という最後の未来

   著者:石原慎太郎、曽野綾子(対談)、幻冬社(2020.6.20発行)

新聞の広告を見て入手しました。感想を少しばかり記してみます。
本の背表紙には、次のようにあります。

・「キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。~対極の死生観を持つふたりが「死」について赤裸々に語る」

・特に心に残ったところは次のとおりです。
運命を司っているのは誰か」の章の中で対極的な考えが述べられています。。

<曽野氏>
「カトリックの世界には、『God's will』という言葉が常にあって — つまり神様の思し召しということね。・・・8割ぐらいは運命に流されて、2割ぐらいは自分で舵をとって、というのがいいんじゃないかと思います」。・・・私は神という存在なしでは、人間の存在もないような気がするのですね」。

<石原氏>
「いやあ、僕は、思し召しがあるとしても、10割自分で舵をとりたいですね。全部、自分でやらないと気が済まない」。

私の感想:
上記両氏の対極的な考え方に興味を覚えました。

ところで、私の考えは、「人事を尽くして天命を待つ」の考えで進みたいと思っています。「天命」には、いくつか意味があるようですが、私は「天命=天の定めた寿命」と捉えています。
また、禅語の「任運自在」(運を天に任せ、自在に生きる)も好きな言葉です。

2022年3月12日土曜日

モスクワ出張の想い出   A.Ishii

私は 83歳 の男性で、辺鄙な山のなかで一人暮らしをしております。 現役時代は
初めてK社に入社して定年まで転職することもなく、最後までK社にお世話になりました。 その現役時代は 前半 2/3 が海外向け建設機械のアフターサービス業務を、後半 1/3 が海外向けプレス機械・板金機械のアフターサービス業務を担当しました。

退職して 20 余年後の現在、後半 1/3 でお世話になった上司の I 氏とは月に2回程メールで、気が合うと言うのか情報交換等しております。ただし、メールでのやり取りはするが、コロナ禍もあり退職後お目にかかったことはありません。

その I 氏からの最近のメールです。
「ウクライナが大変です。私は現役時代、退職後の観光を含めて7回もモスクワへ行っていますが、モスクワのホテルはいつも ウクライナホテル でした。当時は自分で選ぶわけでもなく、ビザを取るとき向こうから指定されるわけで、それ以外のホテルは知りません。 ホテルに関係なくソ連解体後の独立国ウクライナの話ですが、何か他人事のようには思えません」 とありました。

そうだ、私も建設機械のサービス担当時代に2回モスクワに出張したことを思い出しました。一度は大型商談の際、サービス課長としてわが社のサービス・補給部品体制を説明する役目で、重役を含め5人で一週間程、他の一回は建設機械のパワートレイン(トランスミッション、トルクコンバーター、etc)に関するシンポジュウムで工場の技術者と3日程、都合2回の出張をしたのです。その時のホテルがやはり ウクライナホテル でした。
第一回目の出張は冬の極寒の時期、屋外ではまつ毛も凍る程の寒さでした。商談もホテルの中で行われ、外に出る必要もなかったのです。


このウクライナホテルは私の想い出の一つで、モスクワと言えばこの威風堂々とした美しいホテルを思いだします。ロビーを抜けてエレベーター乗り場に行くと、買い物袋を下げた太ったご婦人の姿も見かけました。エレベーターは少し老朽化したように上昇発進時苦しそうな音がしたのを覚えています。部屋の前の左右に真っ直ぐに伸びる長い廊下の端には見張り(?)がいつも座っていました。朝食などを食べる食堂には ソーセージ、ハム、牛乳、たまご、など限られたものしかなく非常に質素でした。
大型商談も決まり、交渉相手のXX公団のお役人たちとの打ち上げパーテイでも料理は大皿に盛ったコールドミールでした。一方かわるがわるスピーチして飲み干し乾杯する酒の強さには驚きで、自室に戻って倒れてしまいました。
大型商談がまとまった時は、ご褒美に ボリショイサーカス に行かせてもらいましたが、世界的に有名なサーカスだけあって、余り広くもない場所で次々にくり出されるショーは誠に素晴らしく、はなやかで十分楽しむことが出来ました。


さて、この2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻はエスカレートして、NATO、その他の国々も大なり小なり巻き込み大変な戦争になっております。TVや新聞の報道では目を覆うばかりの悲惨さです。
ここで、私は ウクライナホテル という名前に違和感を感じ、ネットで調べたところ ウクライナホテル は ラデイソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ と改名されていました。
高さ206メートルのスターリン・ゴシック様式による摩天楼。モスクワのセブンシスターズのひとつである。 1953年から1957年にかけて建築された。重厚なファサード、ウクライナの伝統的な意匠に基ずく内装が特徴的である。玄関、ロビーにはフレスコ画の天井画がある。中央の摩天楼がホテルで周囲の低層棟はアパートとなっている。中央棟の前面には広場があり、この広場には 1974年にウクライナの国民的詩人 タラス・シェフチェンコの像が建てられた。 現在はカールソン・レジドール・ホテルズに加盟し、ラデイソン・ロイヤル・ホテル・モスクワという名称になっている。』 と解説されています。
(注)エレベータに買い物袋をさげて乗るご婦人方はアパートの住人かも?

この様に長い歴史の過程では 友好の感情 が 憎しみの感情 に変わっていき、相手国の名前を使わない様にホテル名まで変更することになるのだろうか? 今回の戦争が勃発する根底には過去の長い歴史的ないろいろな経緯があることは理解できます。
しかし、寒空のもとにウクライナの老人、婦人、子供、幼児、など罪なき人々を逃避行に追いやり、長い年月をかけて作り上げた街並みや美しい建造物を破壊して何の意味があろうか?  一刻も早くこの戦争を終わらせてほしい と多くの人々が胸の張り裂ける思いで見守り、祈っているのです。 私がモスクワに出張した時のような穏やかな時代に戻って欲しい。 (以上)



赤の広場(1)

モスクワ川(冬は凍る)

ウクライナホテルの近くの街並み

赤の広場(2)

赤の広場(3)

****終り**** 



2022年2月3日木曜日

最近描いた絵(15)Seiji Toyoshima

 今回の投稿は、昨年10月以降に描いたアクリル画・4点(写真)です。

用紙のサイズは、写真2.がF4(333X242mm)で、他の3点はF6(410X318mm)です。

相変わらずの絵ですが、ご覧になってください。


<近況>

腰痛とは10年来の付き合いですが、年に2~3回軽いギックリ腰なります(1~2週間程度で治る)。ところが、今回は、12月初めに過去にないほど強烈なギックリ腰(左腰の筋肉痛)になり、4日も杖を使うほどでした。10日ほどで普通の生活になりましたが、この腰痛のため、12月~1月は絵の教室を休み、約3年間続けた太極拳を退会し、治療(整形外科や整体など)に専念しました。

少しずつよくなり、1月から何とか絵を再開しました(自宅のみ)。まだ、依然としてすっきりせず、時間がかかりそうです。

歳はとりたくない」ものですね!!


1.「ツルウメモドキ(蔓梅擬き)」:写真1

目に留まった写真をもとに描いたものです。構図と実の色の変化に興味を惹かれました。ツルウメモドキの果実について:「果実は直径7~8mmの球形で、10~12月に黄色に熟す。熟すと3つに割れ、橙赤色の仮種皮(種子の表面を被っている付属物)に包まれた種子が顔を出す」、また、「木の高さは数mに達する」とあります。

丸い実(種子:赤色)の周りは葉と思いましたが、割れた仮種皮というものだとわかりました。

実物を見たいものです。

           写真1.「ツルウメモドキ」


2.「カトレア」:写真2

妻が育てているカトレア(または、カトレヤ)が、11月に見事に咲き、しばらく咲き続けました。これを見て描きました。

「カトレアとは、中南米原産のラン科植物の一つで、洋ランの女王といわれる」とあります。カトレアは種類も多く、カトレアの花言葉は花の色(赤、黄、白紫など)によって異なるようです。白のカトレアの花言葉は「魔力」だそうです。思わず引き込まれてしまうような力を感じる」ということのようです。

      写真2.「カトレア」


3.「四阿のある風景」:写真3

10月に近くの公園の池の端で、対岸の初冬の風景をスケッチしました。中央に見える「四阿」は、池の中に建てられており、散歩コースの一つです。この上からパンくずを投げると大きな緋鯉が沢山集まってきて壮観です。

初冬の木々の色彩の表現に難しさを感じました。

この池の周りには、桜の大木が並んでおり、春となれば桜の名所としてにぎわいます。

      写真.3 「四阿のある風景」


4.「いちご」:写真.4

11月初めに市内のギャラリーで、市内在住の全国規模の「女流画家協会」の会員であるお二人による「二人展」がありました(お一人の方は私たちの絵のサークルの会員で、いつもお世話になっています)。
出品は、各人約15点で、すべて油絵で、大きさは100号(1.6X1.1m)クラスの作品がそれぞれ数点ずつ(これらは、東京で開催される全国の会員による作品展への出品作です)あり、その素晴らしさに圧倒されました。
展示作品の中に、小品がいくつかあり、その中の「いちご」の絵を撮影させてもらい、模写したものです。
原画は(大きさF8号?)何気ない絵ですが、よく見ると構図や色彩の変化、陰影などよい勉強になりました。少しでも近づけようと試みましたが、よく見ると高度なテクニックが使われており参考になりました。

         写真.4「いちご」



2022年1月14日金曜日

テレビ体操の時間に目が覚める

以下は、アメーバ掲載の私のブログです。暫く休みましたが、最近書きだしました。

その日の思いを書いてます。では、・・・

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定年後、20年以上テレビ体操を続けている。

不思議とその時間前に目が覚める。(体操は6時25分から始まる)

今は寒いけれど、起きても良いなーと思える。

寝床から出て、テレビのある部屋へ行き、まず、スイッチをオンにする。  

これが今日のテレビ体操の画面である。出演者の名前も初めに表示される。

名前で見る通り、今は、男性の体操をする数名入っています。  


これは、去年10月ごろのテレビ体操の場面で、いつの間にか男性が加わった。

男女機会均等にと言う趣旨なのかなーと思っている。 新しい試みです。

女性のレオタード姿もなくなった。

---------------------------------------------- 正月月にちなんで・・・

毎年、1月1日のテレビ体操は見ものだ!  

華やかな出だしの表紙画面。  

体操指導の先生方、ピアノ伴奏の先生方、体操される出演者の方々の自己紹介から始まる。


お2人ともピアノ伴奏の先生です
 

体操指導の先生方、演技をする出演者の方々は、皆さん体育大学の出身者です。
多胡先生は、西武ライオンズのトレーニングコーチをされており、その他の先生も大学で講師をされています。また、出演者の女性の方の中には、新体操のW杯で5位になった方もいます。皆さん、それなりの体操のエキスパートですね。


体操指導の先生、演技を行う方、伴奏の先生の勢揃いは、いつもと違って華やかです。

途中で出演者の宙返りやリボン体操などの演技も披露されアッート思う。 

男性出演者の宙返り

男性が加わりこの様な演技も披露

間違いなくこの様な体操を披露する人達は、学校で色んな技を学んで来たと思う。
この1月1日だけ、この様な軽業?を披露してくれる。
今年は、男性も加わってリフトまで行った。

新体操の選手もおりリボン演技もお手のもの


最後には、下の写真の様なパーホーマンスが披露された。

テレビ体操の時間、日替わり出演で模範演技を行う若い出演者達

最後にいつものラジオ体操第1で終わる。テレビ体操と言う題名の番組であるが、体操の名前は、ラジオ体操 第1だ!

ラジオ体操第1

さて、テレビ体操の時間は15分と短いが、色々な体操があり中身は濃い。

出だし初めの体操は、「みんなの体操」だ。運動前の始動と言うか、身体の隅々、それぞれの筋肉を目覚めさせる基本の体操だ。この「みんなの体操」が私は1番好きだ。伴奏音楽もいい。

そのあとは、その日の先生の独自の特徴ある体操が行われる。伸ばしたり、ねじったり、緩めたり、グ・チョキ・パと老化防止の体操がある。

最後に、日替わりで、ラジオ体操第一か第二が行われる。

週に1度、多胡先生の日には、最初がラジオ体操第一、間に先生独自の体操、最後にラジオ体操第二が行われる。


サーこれからも頑張って、体操を続けよう!

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以下は、嬉しかったことを書いた昨年11月13日のブログです。

朝顔が、11月の寒空の中夜通し咲いている

この寒空に朝顔が夜通し咲いている。

朝のテレビ体操が終わってから撮った。

まだ外は薄暗い。 


以前から朝顔が咲き終わったら山茶花が咲いてくれたらと思っていた。 


その通りに今年はなった。もう直ぐ、山茶花も咲きそう。

デジカメの電池が少ないが、フラッシュで撮ってみよう。 


日中見ると赤がもっと濃い赤色だ。

寒いだろうが萎んではいない。

夜中も咲き続けること・今まで経験していなかった。太陽が好きな朝顔が! 

場所は、塀の上の高い所に咲いている。


地上から3m以上の所まで延びてそこで咲いている。

このところ、毎日1輪が2輪咲いている。

いつまで咲いてくれるだろう。→ → → 以下の写真をご覧ください。


実は、最後に咲いたのは12月6日だった。

それが、次の写真。




もう山茶花は大きく咲いている。この時期に壁際で寒さに耐え良くぞ咲いてくれたと思う。

何故、12月まで咲いたのだろう?


上の写真は、1度咲き終わった鉢から新たに朝顔の新芽が出て来た。

この様に1度咲いた朝顔は、咲いた後の種が植木鉢の中に落ちて、再度、芽が出て咲いたと思われる。