2016年12月20日火曜日

富士山の景観など

今回の投稿は、「この一年を振り返って」、「富士山の景観」、「(来年への)新しいチャレンジ」です。

1.この一年を振り返って

今年は、5月の同窓会を契機に「ミナヨシ会」に新しい風」が吹き、今も続いています。それは、石井さんの発案でスタートした、ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」です。石井さんとimasanのご尽力により5月に開設されました。私もこれに参加しました。私にとって未体験の「新しいチャレンジ」でした。私の投稿件数は、6月から10月までに11件になりました。初めは夢中で投稿していました。毎回のように初歩的なミスがありましたが、その都度、石井さんとimasanのサポートがあり、何とか乗り切ることができました。改めて、石井さんとimasanに感謝申し上げます。今後もサポートをよろしくお願いします。

石井さんからは、電話で「ブログが消えたよ」と連絡があり、投稿したばかりの記事が消えてしまったことがありました。早速再入力しましたが、「下書き削除」をしているうちに操作を間違えてしまったものです。最大の失敗でした。また、最近の安楽岡さんの英文のスピーチの記事には驚きました。imasanについては、ブログ「今さんの一日一言」を長年拝見していますが、ミナヨシ会のブログで、この道のエキスパートであることを改めて知り感心しました。

ブログの記事やコメントを通じて、学生時代の懐かしい思い出や皆さんの近況の一面を知ることができ有意義でした。私の記事は、3年ほど前から始めた、仏教の勉強、水彩画、気功などを取り上げましたが、10月で「ネタ切れ」となり、しばらくお休み、今回の投稿となりました。

2.富士山の景観

富士山は自宅から日常的によく見ていますが、最も美しいと思うのは、冬の冠雪した姿です。個人的に最もよい思っているスポットは、車で約20分の「日本平」(標高307mの丘陵地)の山頂付近から見る景観です。10日前から快晴の日を待っていましたが、先週の土曜日にその日が訪れました。早速車で撮影に行きました。その写真を掲載しましたので、ご覧になってください。

最近の市の広報誌によると、「富士山と調和する美しい駿河湾」、「日本一高い富士山(3776m)と日本一深い駿河湾(2500m)、ダイナミックな地形と景観」として、「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟したそうです。因みに、松島湾、富山湾はすでに加盟、最近、宮津湾、伊根湾(京都府)が加盟したそうです。

私事ですが、卒業後長年勤めていた工場がこの日本平の眼下(海側)にあり、また、地元のJリーグの「清水エスパルス」のホームスタジアムも日本平の眼下にあります。以前は、このスタジアムへ観戦に行きましたが(自宅から自転車と徒歩で25分ほど)、最近は専らテレビ観戦です。
なお、清水エスパルスは、ハラハラドキドキしましたが、一年で「J1復帰」を果たしました。


日本平の山頂付近から見た、富士山と駿河湾(清水港)


上の写真の富士山を拡大
日本平の山腹にはみかん畑や茶畑が沢山あります








3.新しいチャレンジ

最近のテレビなどの情報をもとに、来年から始めようとしている、「新しいチャレンジ」として、本を購入して準備を始めているところです。
それらは、「マインドフルネス(Mindfullness)」と「ウォーキング、特にノルディックウォーキング」です。

(1)マインドフルネス
マインドフルネスについては、2016.10.1に本ブログに投稿しました、「最近の情報」の<情報2>NHK  TV「ガッテン」の記事です。その後、書店でマインドフルネス関係の本を3冊(写真)を購入し、いずれも一読しました。「最高の休息法」(写真左)によれば、「アメリカではここ数年、マインドフルネスが爆発的に流行している」、また、マインドフルネスとは、「瞑想などを通じた脳の休息法の総称」とあります。「集中力アップ、記憶力アップ、免疫力アップ」、「毎日の疲れをリセットする科学的に正しい方法」などとあります。この「瞑想は、「意識して呼吸をすること」と言われています。

ヨガ、坐禅、瞑想などがアメリカの大学などで脳科学の面から研究され、実証も進んでいるようです。宗教色もなく、やり方はバラエティに富んでいるようです。
毎朝続けている坐禅(約20分)に似ていると思いますが、もう一度本をよく読んで、来年からは、寝る前に10分くらい「瞑想」を行ってみようと準備しています。 


購入したマインドフルネスの本

(2)ウォーキング
ウォーキングについても本(写真)を読んでいるところです。群馬県中之条町に住む65歳以上の全住民5000人を対象に、15年にわたり、身体活動と病気予防との関係について調査を実施した結果をまとめたものとあります。「普通の歩数/中強度の時間」で表現すると、一日8000歩/20分を続ければ、殆どの成人病の予防が可能とあります。まず、4000歩/5分から始め、2か月で2000歩づつ増やし、最終的に8000歩/20分にすればよいとあります。
私の数日のデータでは、一日3000歩くらいなので、もっと増やす必要があると思っています。

なお、運動を増やす方法として、二本のポールを使う、「ノルディックウォーキング」をしたいと思っています。ノルディックウォーキングの運動効果は、通常のウォーキングの2割増しと言われています。

これらの新しいチャレンジは果たしてどうなりますか?楽しみにしています。

”Just do it"(「行動あるのみ」)を時々思い出し進めたいと思っています。

最後になりましたが、皆さま 良いお年をお迎えください






















2016年12月15日木曜日

大学時代研究室の思い出



安楽岡さんが英語のスピーチで倉林先生の卒寿のお祝いを述べた記述が紹介され、関連の写真を送ったら、今川さんから始めてみる写真だというので、ぜひブログに投稿せよとの仰せ。
 写真を整理して自分史に載せたものの一部を紹介します。

これは熱力学研究室の恒例の行事なので、他の研究室の人達はあまり知らないと思います。
 熱研では3年生になると毎年上田の奥のお寺で「輪講会」が開かれた。右の写真は「輪講会」初日のパーティー風景。上の写真は輪読風景。(内容については安楽岡さんのスピーチを参照ください。
 輪講会を終えて翌日は氷室山を越えて、足尾へ抜ける登山である。下の写真は出発前の集合写真。 輪講中の食事は勿論、翌日の昼飯のおにぎりも自分たちで作る。
 写真と説明文の位置関係が思うように配置できないので、下の写真の説明をここでしておきます。写真右下:足尾への途中で小休止。写真左下:氷室山で自前のおにぎりを頬張る。      右下の写真:草木が生い茂る山道で「シイタケ」を発見。もう無いかなーと覗き見る倉林先生。
最下部の写真:登山の途中で全員でパチリ。
このブログでの写真の位置関係と説明文の位置関係を出すのに一苦労しました。どのように編集すればよいのでしょうか?今川さん教えてください。
  







2016年12月7日水曜日

あれは、平成24年2月吉日のことだった・・・   タッチ・アンド・ゴー    T.Imagawa

7.もやの中に何かが・・・見えますか?
説飛行機の中から撮った写真


それは、伊丹空港から飛び立って水平飛行になった時、最初に見えた富士山です。


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8.伊丹空港でタッチ・アンド・ゴー

24日、新大阪で6時20分の伊丹行空港バスを利用し、朝早い伊丹発7時30分発のJALに乗るべく、石山で姫路行き始発の電車5時3分に乗った。
初めてであるが、石山駅のプラットホームには、10数人が電車を待っていた。多くは、仕事で出かける様子だった。
新大阪に着き、足早に空港バス乗り場に急ぐ。既にチケット販売機の前には、5、6人の方が並んでいた。下の写真は、丁度券売機を係員が開いたところである。
このバスには、仕事に出かけるサラリーマン風の方々多数が乗り込んだ。
バスは25分か30分で伊丹空港に着く。短時間で空港までの所要時間がハッキリ読めるのが良い。6時50分に着いて、7時30分の出発までは40分ある。

左上はJR石山駅、下は空港バス券売機、右上はピッと端末機、下はタッチの方法
伊丹では、「タッチアンドゴー」というICカードだけの簡単手続きで乗れる利用方法が初めてだったので、早めの時間の空港バスを利用した。
インターネットで航空券を購予約した後、JALのホームページで自分の好きな座席を選択することでチケット購入が完了する。ただ、良い席の多くは既にに予約済みだった。
前日に、搭乗お知らせメールを受けるようにしておくと、「タッチ&ゴーにてご登場いただけます。当日は直接保安検査場へお越し下さい。なお、便出発15分前までに保安検査場を通過して下さい。」と文頭に書いたメールが来る。
写真右下がタッチしている例であるが、JALカード、JALマイレージのicカードや登録された携帯でもタッチで保安検査所に入り、搭乗口でもタッチし飛行機に搭乗出来る。

所謂、これまでのペーパーの搭乗券は不要なのだ。
また、手続きが不要なので出発時間15分前に保安検査所に入ったら良い。

ただ、初めてなので、何処に機械があるのかとまどった。
朝早いので、JALの係員もいないし、保安検査所入口前と思っていた「ピッと端末」は中にあり、荷物を検査する機械の直ぐ後ろに設置されていた。
写真下が機器の設置場所で、検査を通過してから中から撮った。従って、機器の向こう側が検査所の入口です。全部の検査所には置いていないので注意が必要。
それらしき物を検査場の入口外から見つけてホーットした次第です。
 

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9.伊丹から羽田まで
大阪から東京までは、京都から新幹線利用か伊丹から航空機利用かの二者択一である。
料金は新幹線と変わらないし、飛んでいる時間は35分ぐらいで、実飛行時間は短い。

それに富士山が見られることに引かれる。左側の窓際の席に限るが・・・。
伊丹から羽田へ飛行機で行く間、富士山が見えだしたら、羽田に着く直前まで見えている。

今回は、インターネットで席も窓際指定した。
翼が前が後ろが良いが、残っていたのは翼の所だった。

離陸後の暫くは空の上は曇り空、到着近くには空も青みがかってきた
24日は快晴だったが、上空はもやっとしていた。
従って、富士山がクッキリと見えなかったのは残念。

いつもは象徴的に雲の上に見て下さいと言わんばかりにニョキットキ出ている。
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10.航空機利用後日談
同じ年の9月に弟の嫁さんから今のうちに弟に会いに来て欲しい電話があり、阪急交通社の航空機利用1泊2日東京ホテル泊を全てインターネットで予約した。
ところが、前日から台風予想で悪天候になり、飛行機は台風で飛ぶか分からなかった。
それで、阪急に夜にメールで問い合わせた。12時前にメール返事が届いた。
<往路が欠航の場合>
航空会社にて案内される振り替え便のみご搭乗可能でございます。
なお、往路が欠航となり振り替え便のご案内がございません場合は、ご旅行代金名は全額返金させていただきます。
この後、少し寝てJALのホームページを何度もチェック、03時16分の発着案内で欠航と出た。
これをメールに張り付けて阪急交通社に送り全額返還となった。
また、JRの琵琶湖線も大津駅手前で線路の路肩が崩れ、夕方まで不通だった。
この様に、飛行機は悪天候には弱さがあります。
また、インターネット利用もキャンセルの手続きは大変である。
苦い経験です。ご参考まで。
面白くもない記事を読んで頂き感謝いたします。



2016年12月5日月曜日

あれは、平成24年2月吉日のことだった・・・    ミナヨシ会の案内来る     T.Imagawa

1.これは何でしょう?

桐生グランドホテル前で撮影

答えは、わたらせ鉄道相老駅に私を迎えに来たリムジンバスです。
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2.ミナヨシ会:桐生への小旅行を計画
あれは、平成24年2月吉日のことだった。ミナヨシ会開催の案内がメール添付で送られてきた。多分、Nojiri君からだった。
日時は、5月24日午後2時30分~5時、会場は、桐生グランドホテルだった。

直に、メールで参加の申し込みをした。

それからこの桐生行きの小旅行の計画を始めたのは、4月初旬だった。

4月12日にインターネットで、マイレージを使った特典航空券:JAL110便、大阪(伊丹)9時30分発ー東京(羽田)10時40分を予約した。

その時、出来れば、下記のことも同時と考えた。
1.主目的の桐生でのミナヨシ会に参加する。
2.ミナヨシ会参加の前に母校群馬大学工学部を訪ねる。
3.さいたま県所沢のハートセンターに入院中の弟を見舞う。
4.東京で小学校の同級生に会う。2人のうち1人は50年振り。


上記を1泊2日の間で効率的に実行するにはどのような行程と時間になるか詳細を検討した。
私の最寄り駅、JR石山駅から東京までは、JR新幹線か伊丹発の航空機が考えられた。
料金は同じくらいだけれど、JALのマイレージが使え、乗っている間中富士山の見える航空機を選んだ。
最初は、9時30分発だったが、母校訪問をミナヨシ会開始時間の前に入れたので、最終的に朝7時30分発の飛行機になった。
羽田空港から桐生駅までは、東武鉄道を利用する行程とJR線で高崎駅回りと小山駅回りを「駅から時刻表」、「ekitan」と「NAVITAIME」を使い幾通りも調べた。
その結果、羽田から京浜急行東武浅草駅まで乗り換えなしで1本で行ける東武鉄道を選んだ。
羽田では、何時の電車の何両目に乗って着いた浅草駅のホームをどう移動し、何番の地下出口から出て東武浅草駅までどう歩くか駅構内図や動画見て調べた。
乗り遅れない様、りょうもう号の特急券の券売機の使い方をホームページの写真で調べた。
りょうもう号の東武新桐生駅到着後、駅から群馬大学正門前まで何処行きのバスに乗るのか、また、乗るバスの時間表をプリントアウトし調べた。
群馬大学構内を参観後、群馬大学正門前からJR桐生駅までバスで行き、そこから少しの乗車時間ではあるが「わたらせ鉄道」でJR岩宿駅まで行くコースを選んだ。
JR岩宿駅からホテルまでは、ホテルにメールで送迎を依頼した。
ミナヨシ会の次の日は、弟が入院の所沢ハートセンターまで行かないといけないので、出来るだけさいたま県に近い宿をと旅の宿サイト「じゃらん」で調べ、新前橋のホテルを予約した。
ただ、JR新前橋駅から高崎経て西部所沢駅まで時間がかかるが東京まで行かないといけないかが難しい課題だった。
ところが、JR八高線のJR東飯能駅の構内図を調べた結果、
JR東飯能駅と西部東飯能駅と陸橋でつながっており、東京まで行かなくても良くなり難問題が解決した。
次の朝は、JR新前橋を朝1番の電車でJR新前橋出発し、八高線JR東飯能で乗り換え西部所沢で弟を見舞い、小学校の同級生に指定された待合場所、JR新宿駅南口に4時に着いた。
JRでの帰りは、時間の余裕を見て出来るだけエコにと7時28分発新幹線「ぷらっとこだま・エコノミプラン」のこだま号を選んだ。


最終的な行程は下記となった。
最寄りのJR石山駅→JR新大阪駅ー空港バス→伊丹空港ーJAL→羽田空港ー京浜急行→浅草→東武浅草ーりょうもう号→新桐生ーおりひめバス→群馬大学小門前ー群馬大学構内散策ー群馬大学小門前→JR桐生駅ーわたらせ渓谷鉄道→相老駅ーリムジンバス→桐生グランドホテル・ミナヨシ会ーリムジンバス→JR岩屋駅→JR新前橋ーホテル泊
新前橋→JR高崎駅ー八高線→JR東飯能ー西部飯能→西部所沢ー所沢ハートセンターー西武所沢→西武池袋ーJR池袋→JR新宿駅ー同級生と再会
ーJR新宿駅→JR東京駅ー新幹線こだま号→JR京都駅ーJR琵琶湖線→JR石山駅
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 3.ホテルについて会ったミナヨシ会の仲間たち
リムジンバスから降りて、到着したホテルのドアを開けて中に入り、大嶋様と歓談した後に、椅子に座って待っておられる皆様方に話しかけながら写真を撮っていった。
前もってNojiri様に名札をとお願いして付けてもらっていたので、直ぐに名前とお顔を確認出来た。


ミナヨシ会の皆様その1


ミナヨシ会の皆様その2


ミナヨシ会の皆様その3


ミナヨシ会の皆様その4


ミナヨシ会の皆様その5
皆様の写真はこれだけで、この後のミナヨシ会パーティでの皆様のスピーシをビデオカメラに撮ったのですが、家のノートパソコンに保存した後、パソコンのハードディスクが壊れて、残念ですがお見せ出来なくなりました。この時のミナヨシ会での皆様の1人づつのスピーチは、お勤めをされてきた会社での実り多い興味あるお話が殆どでした。
私は、定年後の話だけだったので、次は、私もと思ってネタを用意して26年の伊東でのミナヨシ会に出席しましたが、皆様、会社の話は全くされませんでした。
結局、私のネタも紹介せず仕舞いでした。
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4.東京から新桐生へ、バスで群馬大学工学部へ
JAL104で伊丹を7時30分に出発すると、羽田に8時35分に着く。羽田から東武鉄道に乗る乗換案内時間をNAVITIMEで調べると、京浜急行で都営浅草駅に9時31分に着く。
ここから9時40分発の東武鉄道の特急りょうもう7号に乗るように選択されて出てくる。
都営浅草駅の地下出口から階段を上がって地上に出て、東武鉄道のある松屋デパートまで9分で歩かなくてはならない。NAVITIMEでは、電車の前方車両に乗るようになっている。
果たして9分で乗れるのか、可能か、インターネットで色々調べた。
読むと道筋がかなり複雑のように書かれている。子供連れの方には、浅草に着く前に押上駅で銀座線に乗り換えると階段が無く容易で、浅草駅についても銀座線は降りて前方に進むだけで東武浅草駅に着くと書いてある。でも乗り換えたら間に合わない。

また、特急券を自動機でどう買うのかも東武のHPの写真見ながら直ぐ出来るように憶える必要がある。実際はどうだったかであるが、3分ほどでチケットを買わないといけない状態だった。
ただ、新桐生に到着しても、バスを30分待たねばならず、次のりょうもう9号を選択した。
また、特急券は、何時調べても空きがあった。

今回は、調べた時間通りで全て順調にいった。


浅草から東武鉄道の新桐生行きのりょうもう号に乗り、電車はスタートした。
暫くして、窓から東京スカイツリーが見えるとアナウンスがあった。
そうだ、この電車は、東京スカイツリーを通過するのだ。

先月15日に、この東京スカイツリーまで浅草から歩いてきた。
不思議なことに、1ヶ月後に同じ所を電車の窓から見ることになった。

駅を通過する前は左手に、通過した後は右手に東京スカイツリーが見えた。
15分ほど経過してから2分ほど遅れているとのアナウンスがった。
車掌が近くを通ったので、再度聞くと、2駅ほどでか、駆け込み乗車があり5分遅れているという。
遅れたらバスに間に合わないので、遅れないようにスピードを上げて欲しいと言った。
すると、スピードは決められた速度があり、上げられないと言う。
それでは困ると言っておいた。
新桐生近くに来ると、ダイヤは遅れを取り戻し、正常な時間になっていた。

車掌にこのようなことを言ったりする自分は、関西人になったと思った。
館林を過ぎた辺りだろうか、金色に輝く畑が見えた。麦畑と思う。
東部浅草駅から新桐生でおりひめバスに乗り群大へ
桐生市ホームページを調べたら「おりひめバス 路線図と時刻表」が出てきた。
おりひめバス 時刻表とりょうもう号の到着時間をにらめっこしたら、東武鉄道の特急りょうもう9号が新桐生に着いて7分後に新桐生駅を出発するバスがあることが分かった。丁度良い。
地方都市ではどこでもあるように東武バスから市が運営するおりひめバスバスに変わっていた。
でも、電車が遅れたら代替えとしてタクシーを利用するしかない。
幸いにも遅れていた電車は、車掌か運転手が気張ったのか?幸い定刻に到着した。

改札で、駅員にバスは何処かと尋ねると、右手奥に停まっているという。
急いでバスまで行くと運転手が、まだ時間があるので、向こうの乗り場でお待ち下さいと言う。もう、大丈夫、全てが予定通りに行った。

多くの人の乗り降りがある。バスは年輩の方々の無くてはならない良き足だと分かる。
歌に出てくる渡良瀬川を渡って、JR桐生駅前を回って、昔歩いた市内を通るが、50年前の面影はない。
変わって当たり前、時間経過は昔を偲ばせない。

バスは、学校の門前に着いた。
帰りのバスを確かめて、母校の門を入る。
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5.群馬大学工学部構内散策

期待に胸膨らませて正門を入る。
左側が移し替えられた建物、右側が現在の校舎と一番下が現在の寮
左側写真1番上が、母校の現在の門。写真2番目が、現在の門を入って直ぐ右に移し替えられた以前の門、と講堂。


昔の建物を移し替えずにそのままに何故しておかなかったのだろう。
今はない池のあった面影の大きな部分が、「国登録有形文化財」として、隅っこに追いやられている感じで、50年近く経て全てが変わったと現在の門を入って直ぐに感じた。

サッカー部に入っていつも練習をしていたグランドも駐車場に変わっていた。
古い木造の学生寮の建家もなくなり、校舎が建てられ、離れたところに立て替えられていた。

思い出に耽る場所は、先の講堂ぐらいだろう。
全てが、新しい場所になり、長居をせずにこの場を後にした。

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6.おりひめバスでJR桐生駅へ、わたらせ鉄道に乗り相老駅へ
同窓会は、東武鉄道の相老駅から徒歩5分、JR岩宿駅から車で10分、相老駅、岩宿駅でバス出迎えと同窓会の案内状に書いてある。

桐生駅窓口で、両駅にどう行くか聞くと、わたらせ鉄道では相老駅、JR両毛線では岩宿駅へ行くとの答えだった。
桐生グランドホテルへはどちらが近いかと聞いたら、暫く調べていたが諦めて、交番で聞いてくれと言う。全く愛想がない。
駅から近く、時間的にも早い渡瀬渓谷を走る列車、わたらせ鉄道を選んだ。
 
左一番上が桐生駅構内、乗ってきた電車と迎えのリムジンバス

桐生駅構内は、列車を待つ高校生で一杯だった。長く待っていたからか今も思い出す。
ローカル線は、学生と車のないお年寄りには欠かせない大事な乗り物なのだ。

わたらせ鉄道は、元々、足尾銅山へ行く足尾鉄道であった。それが国有化されたが、昭和63年1月に、JRからわたらせ渓谷鐵道株式会社になった。トロッコ列車も走っている。

列車の出発前に電車内からホテルに電話をし、相老駅でのピックアップを頼んだ。
桐生から2つ目の相老駅に着いて、駅前で待っていると、写真のような大きなバスで迎えに来たのにはビックリした。
乗ったのは、私だけだった。

電話をしないでも迎えに来ると岩宿駅で思っていた仲間の1は、全く来ないので、タクシーで来たと言っていた。
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話は長く続きますが、皆様が興味を示されるかどうかどこまで書くか、今日はここまでとします。

2016年11月24日木曜日

私の英語スピーチ:NO.2・・・        「A memory of my student days.」  H.Yasuraoka

お知らせ:10月18日に「私の英語スピーチとトーストマスターズクラブの活動紹介」との表題でブログを掲載しましたが、英語スピーチの後に和訳を掲載しましたのでご覧ください。 




1.私の英語スピーチ:NO.2・・・「A memory of my student days.」( in praise of my teacher)hy Jun.18,2016 


このスピーチ原稿は、マニュアルの「誰かを讃える」といった趣旨に沿って、我々の恩師であった倉林先生の卒寿(90歳)のお祝いの会でのスピーチという設定です。
内容は実際とは異なる面もあるかと思いますし、聴衆には説明的に話す必要もあるということをご理解ください。


写真は、野尻様が作成提供


1-1.Prepd. Spch.( Proj. 2, Advd. Series ) Jun.18,2016
     Title: A memory of my student days.( in praise of my teacher)    (5 to 7 min.)



Happy birthday, Prof. Kurabayashi !. On your 90th birthday, please accept my sincere thanks for what you gave us while we studied at the college.
I majored in the mechanical engineering at the college. In the 4th year, I belonged to the laboratory of thermodynamics under your guidance, Professor.

In my 1st year at College, when I entered the Kiryu Campus, I strayed into whether I was oriented to the liberal arts field or the science and engineering field. That is to say: whether I should continue studying there or change the university.  I asked for help of the job placement office, recently called Hello Work. Happily a vocational advisor gave me a kind assistance to find my aptitude. The result was that I was just halfway between liberally oriented and scientifically oriented. I decided to continue to study at that campus considering the result. I became aware recently that there were several liberal arts-oriented students in our mechanical engineering class.  


In the course of education you had already had an eye for the variety of your students’ personalities. I am sure you thought highly of students’ character building, how to study, students’ campus life, etc. as well as teaching the technical field.


In summer, you carried out an off-campus study, the meeting to read an American technical book by turns. You headed a group of nine students. This event involved an overnight stay at a Buddhist temple in Umeda, a hillside suburban area of Kiryu city and added was a challenging long walk. This is one of the most unforgettable memories. It was very enjoyable, and besides we were able to learn a lot of not only engineering knowledge, but also many other matters such as friendship, cooperative spirits, patience, positiveness and so on. The next morning we left the temple. It was a little risky and adventurous for us, partly because we had to advance across the wild mountainside, heading for an Ashio-line station. Under such situation you demonstrated strong leadership. When I reached the destination, I felt something like a big accomplishment.  From another viewpoint I think this event was more than simply an off-campus study. I am really grateful for your overall insight into planning that event.


At that time I was working on the graduation study with a partner. He belonged to GK All Stars, one of the students’ clubs, playing trombone. So he was busy for that practice, eventually it made our study slow down. But you did not blame us hard for it. Instead you softly drew our attention to this point. Then we at last carried out overnight work several times and were able to finish the graduation study. I naturally recognized you had a good eye for better part of your students’ personalities.

Finally it is really kind of you to have kept exchanging New Year Cards with me for as many as 50 years.  I don’t know how to thank you enough. I do wish you good luck and longer life.



1-2.学生時代の思い出(わが恩師を讃えて) 5-7分 (和訳)


倉林先生、卒寿のお祝い誠におめでとうございます。この場をお借りして、工学部に学びし間にご指導いただいた様々なことに対して、心から感謝申し上げます。


私は工学部で機械工学を専攻しました。4年次に先生のご指導の下に、熱力学研究室に所属しました。
工学部の1年目は、桐生キャンパスに進むわけですが、私は文系なのか理工系なのかという問題に迷い込んでしまいました。それは即ちこのままそこで勉強を続けるべきか、あるいは大学を変えるべきかということにもなります。私は最近ではハローワークと言っている(当時の)職業安定所に助けを求めました。さいわいに係官(職業アドバイザー)のかたが親切にも私の適性発見のお手伝いをしてくれました。その結果、私は文系と理系のちょうど中間くらいということでした。その結果を踏まえて、私は桐生キャンパスで勉強を続けることに決めました。最近ですが、わが機械工学科の中にも幾人かの文系志向の人がいるのに気づきました。教育に携わる中で、先生はすでに、教え子の多様な人間性を見る目をもっておられました。先生は科学技術面のご指導はもちろん、きっと学生の人格形成、勉強法、キャンパスライフなどにも注目しておられたと思います。



夏が来て、先生は学外研修を実施されました、アメリカの技術書を輪読する会です。先生は9人の学生のグループを連れて行きました。この行事は、桐生の郊外、山すその梅田のお寺での一泊が含まれており、さらにそのあと、厳しく長い距離の山歩きが加わります。これは、忘れられない思い出の一つです。それは楽しくもあり、加えて工学的な知識はもちろん友情・協調の心・忍耐・積極性など多くのことを学ぶことができました。翌朝お寺を出発しました。私たちにとってそれはちょっと危険で、冒険的なものでした。理由の一つは荒々しい山腹を踏破して,足尾線の駅に行かねばならなかったからです。そのような状況下で、先生は強いリーダーシップを示しました。私は目的地に着いたとき、何か大きな達成感のようなものを感じました。別の観点から私はこの行事が単に学外研修以上のものであったと思いました。その行事を計画するにあたっての先生のあらゆるものに対する深い見識に、本当に感謝しております。


当時私は、相棒と共に卒業研究に取り組んでおりました。彼は学生自治会のクラブの一つであるGKオールスターズに所属していてトロンボーンを吹いておりました。したがってその練習に明け暮れており、当然我々の研究はスローダウンしました。しかし先生は、そのために我々を強く叱らず、そのかわり、穏やかに我々の関心を卒研の方に導きました。そのことがあってから、ついに我々は数日間徹夜で取り組み、卒業研究を仕上げることができました。先生が教え子の人間性の良き面を尊重していただいているということを、私は、そのことによって自然に理解しました。


最後に、先生が、50年もの間、年賀状のやりとりにお付き合い下さったことを心から感謝を申し上げます。先生にはどんなに感謝してもしきれません。先生のご幸福とご長寿を謹んでご祈申し上げます。


2.ミナヨシ会の皆様へ 


11月も後半に入り、寒さも厳しくなりそうです。
私の方も、七五三をはじめとして気忙しい行事ががなくなってきましたので、スピーチ原稿の和訳を付けたものを作成し掲載しました。
前に掲載の「バカになること」の和訳も作成掲載しましたのでご覧ください。
英文と和訳が完全に一致していないところもありますのであしからず。

私自身の投稿に関する勉強をしてゆきます。とりあえず、これで私の英語スピーチブログの完結です。
ブログに対する返信は、返信欄からチャレンジします。
西川君の訃報に接し、沈痛な思いです。
向寒のみぎり、風邪などにご注意いただき、ご自愛ください。
 
安楽岡弘久



足利トーストマスターズクラブの仲間です


2016年10月27日木曜日

工業会賞の受賞に関して

平成28年6月25日(土) トヨタ産業技術記念館で開催された群馬大学工業会定時社員総会に於いて、工業会賞及び社会貢献賞の表彰式が有り、38M野尻貞夫が工業会賞の表彰を受けました。同期の方々から「おめでとうございます」のメールを頂き、感謝して居ります。
 表彰の推薦理由は「衰退気味な支部の支部長に就任し、再生・活性化に貢献」とあります。
 私が「東京機械・建設支部」の支部長に就任したのは、平成16年の10月頃だったと思います。就任の経緯は、東京で38年卒業の仲間(38M:野村、狩野、38W:三上、狩野(文)その他)が集まって、懇親会を開いた折に、群大工業会東京機械・建設支部の支部長が高齢で、後任がなかなか見つからない、活動も停滞している、お前がやれと三上忠男氏(工業会常任理事)から催促され
野村、狩野両君も是非にと推されて、仕方なく当面のつなぎ役として引き受けたのが始まりです。
仕事も一線から退いた折でもあり、若い支部長候補が見つかるまでの間のつもりで引き受けた。
確かに工業会の活動は、年配の方々の参画が多く、若い人たちが少ないので、若返りを図るべく活動したが、若手がなかなか集まらず、苦戦した。7年余に及ぶ活動で、機械・建設支部単独での活動には自ずと限界が有り、三上氏や、他の支部とも相談しながら、東京連合支部(機械・建設、電気・電子・情報、繊維・生物化学、化学・材料の4支部合同)として纏まって活動して行こうと働きかけ、今はその形で活動している。
 今川さんから是非表彰についてブログに載せるよう要請が有りましたので、これまでのいくつかの活動の状況を写真で紹介し、私のわずかの貢献の一端を紹介させて頂きます。


この写真は  平成17年 東京湾クルージグの時のももの。三上、野村、37M根岸さん等が参加しています。屋形船の船上で総会及び懇親会を開催。



 下の写真:平成17年定時総会及び懇親会風景 野村氏、三上氏、関根範明氏(38C)などの顔が見える。

















下の写真:平成24年2月
JAL機体整備工場見学会 総勢34名が参加し、この後日立金属高輪和彊館で総会・懇親会を開催した。  








                                                                                   
平成21年3月 連合支部総会、講演会風景:21世紀のがん治療について

表彰状の額入り写真です。立派な額に入れて家に届きました

2016年10月18日火曜日

私の英語スピーチとトーストマスターズクラブ     の活動紹介          H.Yasuraoka



我々の所属しているToastmasters Clubの宣伝を兼ねて、私のスピーチ原稿と月例会のagendaと
言っている式次第の例を紹介いたします。


1.私のスピーチ:NO.1・・「Pretending to be foolish.」H.25.2.16
皆様、私がスピーチをしている姿を想像して聞いて下さい。 
                             
1-1.Pretending to be foolish.                                    
Some critics said common sense in Japan may be regarded as lack of common sense in the other countries. It may come from our history. Our country is what is called an island country and so it was geographically isolated from the other countries, and also politically, esp. in the Yedo era. That is why the peculiar culture to this country has grown.

Now almost all the world have internationalized, but pretending to be foolish is pretty acceptable in our society. We kept the agricultural society for a long time. In the agricultural society people had to be diligent,  hard-working, honest and so on, more than to be strong, competent, clever, eloquent and so on. But the society that needs a strong leadership against  the surrounding enemies  was just the opposite.


Steve Jobs of Apple Computer said, “Be foolish.” Probably he got this strange phrase from Japanese Zen books. I don’t know exactly what it means. But in Zen teaching “Be foolish.” may mean “Think nothing.” It may often be used to express the meaning of killing selfishness, too.


By the way, which do you like best among the following 4 categories? He or she looks wise and really wise in fact. Looks wise, but in fact foolish. Looks foolish, but in fact wise. Looks foolish and in fact foolish. / I simply repeat these. wise-wise wise-foolish foolish-wise foolish-foolish. In Kansai dialect these are:  かしこーかしこ/かしこーあほう/あほうーかしこ/あほうーあほう. Some business consultant said: 97% people are wise-foolish type and each ①③④of the rest is all 1%. How do you feel about this percentage? Some hotel manager said from his standpoint of business: wise-wise type people is too wise to understand the other people. wise-foolish type, pretending to be wise, cover almost all. foolish-wise type are genuine wise persons, but a few. foolish-foolish type are fools to the core.

After that this manager said it is best to pretend to be foolish hiding his or her wise or intelligent part. That is, is the best.  He said most people agreed to his explanation.

In addition we have another strange way of thinking. A Meiji-Taisho era statesman Shimada Saburo was a very eloquent speaker and had a nickname Shimada Shabero. People said how unfortunate that if not an excellent speaker like that, he should have been a prime minister. As you know  prime minister Masayoshi Ohhira was called Ah uh prime minister. He often paused during his speech saying ah or uh. An ah counter of a toastmasters club should have been busy ah-counting him.  When you think back, you are sure to recognize many poor speakers among the political leaders. In Japan we have a traditional way of thinking that sharp or intelligent persons are second-class.



1-2.バカになること(和訳)
評論家の中には、日本の常識は世界の非常識であるという人がいます。これはわが国の歴史に起因しているかもしれません。我が国はいわゆる島国で、地理的に他の国から孤立しており、特に江戸時代は鎖国をしていました。それ故にわが国特有の文化が発達しました。
今や世界中が国際化しましたが、バカになる(バカなふりをする)というのはわが国の社会では結構受け入れられております。我が国は長い間農業社会が続いていました。農業社会では、勤勉でよくはたらき正直である方が、強くて、有能で、賢く、雄弁であるより良かったのです。しかし、周囲の外敵に対し強いリーダーシップを必要とする社会はその反対でした。



アップルコンピューターのスティーブ・ジョブスは、「バカになれ」と言いました。おそらく彼は、この奇妙なフレーズを日本の禅の本からとったのでしょう。しかし、禅の教えでは 「バカになれ」は、無念無想を意味するかもしれません。これはしばしば自我を滅する、あるいはわがままを抑えるという意味でよく使います。


ところで、あなたは次の4択の中でどれが一番いいと思いますか。①賢そうに見えて、実際賢い ②賢そうに見えるが、実際はバカ ③バカそうに見えるが、実際は賢い ④バカそうに見えて、やっぱりバカ/ 単純に繰り返すと、①賢そうで、賢い ②賢そうで、バカ ③バカそうで、賢い ④バカそうで、バカ の4つです。これを関西弁にすると、かしこーかしこ、かしこーあほう、あほうーかしこ、あほうーあほう。あるビジネスコンサルタントの話では、97%の人が ②のかしこーあほうで、残りの①③④は、それぞれ1%だといいます。この割合を皆さんはどう思いますか。あるホテル支配人は、その仕事の立場上、次のように言いました。①かしこーかしこタイプは賢すぎて、他人の心が解らない。②のかしこーあほうタイプは、賢そうに装います。ほとんどの人はこれに入ります。③あほうーかしこタイプは、本物の賢人で、少数です。④あほうーあほうタイプは、根っからの阿呆です。最後にこの支配人が言うには、賢いところや頭のいいところを隠して、阿呆を装うのが最高だと。というわけで、③がベストです。彼の説明におおかたの人は、納得したということです。


さらに付け加えますと、もうひとつ、変わった考え方があります。明治大正期の政治家、島田三郎は、大変な雄弁家で、しまだシャベロウというニックネームがつくほどでした。あのように弁の立つ人でなかったら、総理大臣になっていたのに、なんて不幸せな人だろうなどと、人々はと言ったものです。ご存知でしょうが、大平正芳首相は、アーウー総理と言われました。彼は演説中よくアーとかウーとかいって一時停止しました。トーストマスターズクラブのアーカウンターが居たら、チェックするのにてんてこ舞いしたでしょう。考えれば、有力な政治家の中には、演説の下手な人が結構いたことにきっと思い当たるでしょう。日本では、頭の切れる人は二流であるという考え方が、昔からあります。  


2.トーストマスターズ活動


「トーストマスターズは話し方、パブリックスピーチ、リーダーシップを学ぶ国際的非営利団体です。126カ国で31万人が学んでいます。
全世界にある14650以上のクラブから、自分に合ったクラブを選び、会員同士が相互に学び、スピーチとリーダーシップスキルを向上させることが目的です。
高額なセミナーとは全く違い、仲間たちと楽しい雰囲気の中、お互いに触発されながら学び合う場を提供しています。」


上の文章は、トーストマスターズ日本統括(ディストリクト76と言います)の公式ページの宣伝文句です。
さらに付け加えますと、我々の「足利トーストマスターズクラブ」は2012年1月21に立ち上げられ、エリア12に所属しています。(他に、群馬・宇都宮・新潟の各トーストマスターズクラブが所属)。国内に172のクラブがあります。詳しくは、d76ト-ストマスターズで、ご検索ください。



写真・ト-ストマスターズのHP


3.クラブの運営


クラブの運営は、会員の会費によって行われます。
現年度は2016~2017年度(今年7月1日~来年6月31日)で半年ごとに会費が徴収されます。
これまで半年6,000円(内36ドル本部へ納入)でしたが、10月1日より7,500円(45ドル上納)になり、ばかにならない出費です。
クラブの役員は、会長(President)、教育担当副会長(Vice President Education)、会員担当副会長(Vice President Membership)、PR担当副会長(Vice President Public Relations)、書記(Secretary)、会計(Treasurer)、会場係(Sergeant at Arms) の7名ですが、直前会長(Immediate Past President)を入れる場合もあります。
この中で特に重要なのは、教育担当副会長(通称VPE)で、会員にとって必要なクラブ運営の具体的計画・編成・指示等を行い、また、エリア内で回り持ちで担当するコンテスト(国際コンテスト、評論コンテスト、など)に精通している必要があります。
当クラブでは、実力者が2名いて、交代でやっており、わたしは、やったことがありません。
名ばかり会長は2回やりました。



写真・足利クラブメンバー
今会員が20名ほどいますが、退会者・入会者が時々いてバランスが取れて現在の人数になっています。
英語の会話にしろ、スピーチにしろ日常ほとんど必要ないことをやっている我々にとって、英語とは因果なものだなという思いが時々します。
日本の英語教育は、様々な方法論がこれまでも取りざたされてきましたが、これだという決定打が出たという話を聞きません。要するに必要性があれば、やらざるを得ないのです。

トーストマスターズクラブは、冒頭にもありましたように、スピーチとリーダーシップのスキルを身に着けるという目標があるわけです。ですから、最近は、日本語のコンテストも並行して行うことが多くなってきました。英語はその手段と考えることができると思います。
そんなわけで英語をやるということは多くの矛盾を含んだ活動です。


4.Agenda(月例会次第)


私が6月末まで1年間会長をやっていた期間内で使用の(2月)の式次第(アジェンダ)です。


私の作成したAgenda
上記Agenda(月例会次第)に見られる用語につぃて説明します。
Toastmaster of the Dayは、このAgendaの作成と休憩前までの進行をやります。
Grammarianは、この会の中で自分の出番(または発言)の時できるだけ使ってほしい単語(形容詞や副詞が多い)を提示(A4の半分ほどの紙に印刷)します。
後の報告のとき誰が使ったかを言います。
Timerは、ストップウォッチで所要時間を図ります。通常5~7分のスピーチですが、5分で緑色カード、6分で黄色カード、7分で赤カードを掲げスピーチの進行状況を知らせます。
Ah Counterは、つなぎ言葉filler (er, well, you knowなど)を何回使ったチェックします。いずれもあとで報告します。
Topicsmasterは、Table Topics Session で、5名にそれぞれ別の質問を用意し指名発言させます。
簡単な質問で普段は答えられそうでも、いざとなると結構難しいものです。
Evaluatorは、Evaluation Session でスピーチの評価をします(2~3分)。
General Evaluator は、その日の会全般について評価、あるいは個々の指摘を行います。


注:「私のスピーチ:NO.2」は、後日掲載いたします。

2016年10月10日月曜日

「気功」を続けています

3年ほど前から、「気功」(体操)のレッスン(毎週火曜日、1時間)を続けています。気功は高齢者
には適度な運動であり、心身の健康維持の一つとして選びました。
仏教(般若心経)の「空(くう)」と同じように、気功の「気」は目に見えない世界です。いずれも懐が
深く難解で、時々、本やネットで調べていますが、少しわかった程度で、理解する(納得する)まで
には時間がかかりそうです。

さて、今回の投稿は、「気功ついて」と気功のレッスンが行われる「清水テルサ」からの風景写真を添えて記事にします。

1.「気功」について

(1)気功とは
『中国古来の健康法の一つ。深呼吸と体操とによって、体内の気と血のめぐりをよくし、病気の予防と治療をはかる。また、「気」とは、漢方で、血とともに体内の経絡(けいらく)を循行する生命の根源とされるもの、無形であるが有形の血と一体となって生理機能全般をつかさどる』(大辞林)
類似の「太極拳」がありますが、太極拳は武術・拳法と言われています。気功は太極拳より、軽い運動です。

(2)気功の健康効果
「期待される気功の5つの効果」は、次の通りです。(ネットより)
①免疫と治癒力を高める、 ②心身のストレスを取る、 ③内臓の働きをよくする、
④自律神経のバランスをよくする、 ⑤潜在能力の開発

(3)レッスン内容
気功レッスンは、「清水テルサ」(会議室、ホール、カルチャー教室、フィットネスクラブなど)
<写真1> で行われます。「清水テルサ」は、家から車で10分くらいのところで、10年くらい前は、自転車で水泳に通っていました。
レッスンは、毎週火曜日の10:30~11:30の一時間で、受講生は高齢者15名、女性が多く、長く続けている人が殆どです。
レッスン内容は、「気の流れを良くする一連の動作を続ける中で、血流の循環が良くなり、新陳代謝が高まり、病気の予防につながります」とあります。初めの30分は、ストレッチ体操、次の30分が気功です。
気功は、「舒心平血功」と「導引保健功」を3ヶ月ごとに一つづつ交互に行っています。各気功は、8つの動作で、先生の指導のもとに中国語の号令(CD)に従って行います。呼吸法も大切です。
毎朝行っているテレビ体操より、軽い運動ですが、レッスン後は、身体がぽかぽかして、すっきりした気分になり、また元気になります。週一回の心身のメンテナンスと思っています。
(気功の動画は、YouTubeで見られます、当初は動画で練習しました)

2.レッスン後のお楽しみ

気功レッスン後は間もなくお昼ですので、近くの食事処でランチをとっています。いくつかの行きつけの店があり、楽しみにしています。<写真1>~<写真4>は、清水テルサからの景色です。

<写真1> 「清水テルサ」、3~4階にフィットネスクラブがあり、プール、トレーニングマシン、スタジオがあります。気功レッスンは4階のスタジオで、空調完備で快適です。富士山も良く見えます。

<写真2> 清水テルサの8階にあるレストランから見た北方の景色です。正面に富士山、手前低い山のこちら側(写真の中央付近)を新幹線と東名高速が通っています。富士山は9月末に初冠雪がありましたが、すぐ消えてしまい見えません。やはり雪を頂いた冬の富士山が最高だと思っています。

<写真3> レストランから見たJR清水駅です。清水テルサから徒歩約3分。昔の面影はありません。

<写真4> 清水テルサから道路一つを挟んで海側の魚市場と食事処です。ここで時々「海鮮丼」を食べます。新鮮でおいしい。また、魚市場「河岸の市」も有名で、観光バスや県外No.の車も多く
見られます。この辺は、清水港エリアの一部です。魚市場のはるか前方は、伊豆の西海岸です。
清水港から伊豆の土肥まで、フェリーで65分、駿河湾を横断します。船上から雄大な富士山がよく
見えます。数年前に海水浴に行きました。


<写真1> 「清水テルサ」(8階建) 3~4階にフィットネスクラブがあり、プール、トレーニングマシン、
スタジオがあります。4階のスタジオで気功レッスンが行われます。
<写真2> 清水テルサ8階のレストランから、富士山をのぞむ。中央付近に新幹線や東名高速が
通っています。レッスン後、このレストランで時々ランチを食べるのが楽しみです。
<写真3> 清水てテルサから、JR清水駅をのぞむ。こちら側は海側です。
駅から清水テルサまで徒歩約3分。
<写真4> 清水テルサの東側(海側)の「河岸の市」と「まぐろ館」。この向こう側(遠方)は駿河湾、
その先は伊豆の西海岸です。ここの「まぐろ館」で時々「海鮮丼」を食べるのが楽しみ。

2016年10月3日月曜日

現役時代のイラン駐在員生活

私はある建設機械メーカに就職し、1974年(S49)1月から約4年間アフターサービス担当としてイランの首都テヘランに駐在した。当時イランは豊富なオイルダラーにより大量の機械を購入した。そのため私の仕事は繁忙を極めた。イランには一部アルメニア系の人たちがビジネスの主導権をにぎり、凄腕を発揮し、豪邸で豊かな生活をしていた。しかし一般的には地方の人々は地味な生活であった。国土の殆どが砂漠で暑く、埃っぽく、交通は車に頼るしかなかった。この環境に慣れるのに少し時間がかかった。家族は半年後に来たが、大変不便な生活をさせたと今も思っている。

 
イランはアフガニスタン、パキスタン、及びイラクに挟まれ、北はカスピ海と東はペルシャ湾に面している。多くのユーザ訪問で私は殆どの地方都市に行った。パキスタン国境、あるいはバクダッドまで150kmの地点の客先も訪問したりして並のイラン人より地理に詳しくなった。
 
出張の時はこのような風景の中を、車で砂埃を上げながら何時間も走った。対向車が来るとすれ違う時お互いの砂埃で一瞬前が見えなくなる。最初はとてつもなく恐ろしかったが段々慣れてくるから不思議だ。
 

パキスタン国境のザーヘダーンへ出張したが、夜遅く客先に到着した。暗くて周辺の状況もわからないままに宿舎に泊めてもらったが、朝起きたらこのような景色であった。この時は本当に地の果てに来たような気がした。
 

別の地方のユーザ訪問時の記念撮影。この土地は乾きって、日本とは全く異なる。
 
会社の紹介映画の内容を更新するために出張の撮影隊を現地に案内し、撮影に関わったイランの方々との記念撮影。これはお気に入りの一枚である。製品機械のアフターサービスだけでなく、このようなアテンド業務もお構いなしに舞い込んできた。(右から3人目)

当時の首都テヘランの比較的山の手の街並み。あちこちで建設ラッシュであった。一方下町のバザールの方はがらりと雰囲気が異なり人混みで賑わっていた。ネットで調べると現在のテヘランは素晴らしい近代都市に変貌している。
 
現役時代の一時期を記憶をたどり書いてみました。楽しいことは少なく苦しいことの方が多かった様な気がします。しかし忘れ去るには惜しい体験でした。首都テヘランにも当時は日本食レストランなどありません。かろうじて韓国料理店が一軒あり、私たちは短期出張者を比較的日本料理に近い韓国料理店に案内するのが常でした。
 
ある時出張者3人とその韓国料理店で食事をしていたら、頭の上で ”何だ、石井じゃないか!”と声がしたので ”何だ!とはなんだ” と思い顔を上げると、そこには ミナヨシ会員の Horie 君が人の好さそうな表情で立っていたのです。こんなところで出会うなんて本当に驚きました。彼は確か 〇〇重工 に就職して、短期出張で来たと言ってましたがあまり話もできずに別れた。 日本から遠く離れた中東の或る国の、ある都市の、或る料理店で偶然にも昔の級友に出会う。 このような確率の低い偶然の出会い、を仏教の言葉では何というのだろうか?
 
右が Horie 君。「ミナヨシ会の仲間たち」を見てもらいたくて電話したら、PCもスマホもやってないみたいだった。イランで出会った話もしたが、その時は血液検査の結果が何か思わしくなく少し浮かない口調であった。体調に留意していつかこの「ミナヨシ会の仲間たち」を見て欲しい。

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これは私の体験の一部と思い出です。あのイランにもう一度
行ってみたい気もするが、それももう叶わない。(石井)************************************************************************************************
                             
 

2016年10月1日土曜日

最近の情報

最近、印象に残った情報や私の次回投稿の予定などを記します。

<情報1> 野尻さんの「工業会賞」受賞など
一昨日、母校の「工業会報」(155号)が届きました。その中に、野尻さんの名前が二つほどありました。     P26、「工業会賞」、野尻貞夫(38M)、東京MA支部、(推薦理由)衰退気味な支部の支部長に就任し、支部の再生、活性化に貢献
     P51、「薮塚温泉で同窓会と記念館の見学会開催」―38Mとして、野尻さんの書かれた、5月の同窓会の報告記事が載っています。

野尻さん、受賞おめでとうございます!!
野尻さんには、ミナヨシ会でお世話になっていますし、工業会支部でも活躍されているのですね。
   敬服いたします。

<情報2> NHK TV 「ガッテン」『ボケない!脳が若返る「めい想」パワー SP
 28日TV (19:3020:15) で「瞑想」についての番組を興味深く見ました。
番組予告では、「使えるボケ予防&若返り術、1日3分の呼吸がカギ、新めい想で不安解消、脳の力を呼び覚ませ」となっていました。
坐禅やヨガにヒントを得て、最近アメリカで開発され、注目されている「マインドフルネス」を参考に展開しているようです。
 1日3分の瞑想(意識して呼吸をする)を続ければ、心の安らぎが得られるとのこと。
物忘れの予防、認知症の改善など様々な効果が説明されていました。
脳科学的にも研究されており、瞑想により疲れていた、脳の「海馬(かいば)」が活性化すると説明して
いました。ストレスが強いと海馬が疲れてしまうそうです。
なお、楽しく集中できるものなら(ダーツなど)も同じ効果があるそうです。

私は、2年ほど前から、朝起きてから坐禅(20分くらい)を続けていますが、同じような効果があること
が期待できると自信を強めました。実感としては、坐禅後は、血流がよくなり腰痛にも効果があるようです。
 なお、この番組の再放送は、10月4日(火)午前0時10分からあるそうです。

<情報3> 今さんのブログ「今さんの一日一言」
5月の同窓会の時も紹介させていただきましたが、今さんの長年にわたるブログ「今さんの一日一言」を
毎日楽しみにしています(毎日更新)。私からは、半年に一度くらいは、近況をメールしていました。

文字通りのブログ(日記型のホームページ)ですが、今さんの日常生活や考えがわかります。
最近の記事では、自宅の「月下美人」の写真が印象に残っています。花が珍しく、美しい。実物は、さぞ
素晴らしいのではないかと想像します。

<情報4> 私の次回投稿予定
「ミナヨシ会の仲間たち」への私の次回予定は、10月中旬です。
なお、10月初めの定例投稿は、石井さんが予定されておられると連絡がありました。

3年ほど前から、清水のフィットネスクラブで「気功」のレッスン(毎週火曜日、一時間)を続けています。
「気功」について簡単に記事にしたいと予定しています。先日(9月27日)定例のレッスン後、ランチを
食べたレストランから富士山などの写真を撮ってきました。ランチも楽しみです。
「気功」レッスンは、ストレッチ体操30分、中国の「気功」30分です。無心で体操をしています。

気功も呼吸法に注意します。レッスン後は、体もホカホカして気分がよくなります。

2016年9月22日木曜日

ミナヨシ会の仲間たちの投稿に関して、少しづつ会員が増えるといいですね。四郷南洲の遺訓ばかりでは面白くないので、今回は徳川家康の遺訓を掲載します。時代小説が好きで、「真田丸」も楽しくドラマを見ています。昔読んだ「池波正太郎」の「真田太平記」をまた読み返しています。今では字が小さくて少し読むと目が疲れてしまいますが、楽しみながら読んでいます。
 今回の掛け軸は、この中に出て来る一節です。

この作品で苦労した点は、かな文章であることと字数が多いことで、何枚か気に入るまで書いたのですが、和紙が高価なので、十分に別の半紙で練習をしてから書きました。
 また、表装に使う裂地(きれじ)は、絹を使用しましたが、裏打ち(裂地の裏に和紙を張り付ける)をするときに、裂地の織れ目(糸)の直線性を確保するのに苦労しました。つまり糸が真っすぐにならず、裏打ち時に刷毛で和紙と裂地を密着させる作業で刷毛の使い方によって、糸の筋が曲がってしまうことです。写真では判別しがたいですが、本物を詳しく見ればすぐに解ります。一般の人は気が付きませんが、よく見ればわかります。
 今回は、表装の難しさの一部を紹介しました。

2016年9月14日水曜日

暮らしの手帳と私・・・・とと姉ちゃんを見て

1.「とと姉ちゃんと商品試験」

先月、NHKの「とと姉ちゃ」んを見ていたら、主人公が商品試験をする企画を思い立ち提案する場面が出て来た。
私は、京都の会社に入社の昭和38年の翌年39年(1964年)に「暮らしの手帳」を買い始めた。
何が私を引き付けたか、それは科学的な商品試験の記事があったからである。残念なことに、2007年2月1日発売、第4世紀26号より、編集長交代と同時に、本誌の名物であった商品テストの記事を人手とコストが掛かるなどを理由に、同号を最後にして中止した。

今思えば惜しい気もするが、残してあった多くの雑誌、「暮らしの手帳」と「レコード芸術」の殆どを断捨離として5年前に捨ててしまった。

さて、写真の2冊、
暮らしの手帳3世紀の16号(1988年10,11月)と30号(1991年2,3月)だけが残っている。発行号数は100号ごとに「第N世紀」と区分されているが、これは初代編集長・花森の「100号ごとに初心に立ち返る」という意味合いが込められている。
それでは 、16号の中から商品試験の1部を紹介する。
「新しい浄水器をテストする」という記事が掲載されている。
これは、自分の家でどうするか考えていた時のもので、本を残していたのだろう。
左の写真のページには、11社の製品をテストしている。
マイクロフィルターを使用することになり、浄化性能は向上したが、日時が経過するとばい菌が出てくる。定期的にフィルターを交換しないといけなく維持費が大きい。


「いつでもどこでもおいしい水をのむために」と最後の頁に幾つかの提言をしている写真の●2項目には、浄水場でもっと効果のある処理をすれば可能である。・・・行政も、もっと本気になって、・・・具体的に検討し、解決の方法を真剣に努力すべきだろう。と書いている。
今では、水道水を販売する都道府県も出てきている。
●最後に、水道水のもとの水は、川や湖である。・・一人一人が汚さないように注意することも、非常に大切なことである。と結んでいる。



左は、ベルト式自転車が発売された時に掲載された商品試験の記事である。
踏み込む力の測定などの色々なテストと使用者のアンケート調査で、「ベルト式自転車はいらない」と結論付けている。
今は、製品として残っていないと思う。

冷蔵庫を買う時に、「暮らしの手帳」の記事を見て、東芝の直令式を買った。意外と東芝製の成績が良かったと記憶している。
対流型暖房機は、記事の結果を見てアラジン製を買って、長く使った。


左は、「エビの中の抗生物質」と題した記事である。
5匹に1匹のエビから抗生物質が検出された。
最後の2ページでは「なぜ抗生物質がは入っていてはいけないのか」と言う記事で、副作用と耐性菌が出来ることをアメリカで起こったサルモネラが広がった例で説明している。

最後のページは、「きちんと検査し、きちんと公表する。そして、健康を損なうものを使わせない、それが<国>というものだろう」と長い題名の記事が掲載されている。


表紙の裏に書かれた言葉、読んでみて下さい。これが暮らしの手帳です。

2.「木綿とちりめん」


写真は暮らしの手帳の93号、発行 昭和43年2月1日である。
昭和43は、就職で京都に来てまだ5年目で、土地柄に馴染めない時期だった。
この本の中の1つの記事に共感し、それをコピーしてつい最近まで残していた。

それは、犬養道子さんの「木綿とちりめん」と言う連載の随筆だった。そこには、関西(大阪)に住んで気付いた関東(東京)との違いについて書いてあった。
木綿が関東で、ちりめんが関西である。(以下、記憶なので正しき表現でないとこもあるかもしれません。)
その記事の核心は、関西に暮らし始めて、ご近所の女性の方からやんわりと「裸足は涼しくて良いですね」と言われて飛び上がるほど驚いたと言うことです。
実際に、裸足で部屋内を歩き回っていたのだが、それをどうして知ったのか、家の中を覗かれているようで、怖くなって慌てて東京へ戻ったというようなことが書かれていました。

題名通り、木綿でさっぱり(あっさりの)東京と、ねっとりの大阪、京都の違いです。
学校を関東で過ごし、関東人のあっさりに心地よく思っていた私は、この思いに共感した。
関東は、落語で、関西は、漫才。関東に居た時は、何で当たり前のことを言って笑っているのかと漫才を面白くなく思っていました。

でも、今は、全く落語を聴きません。逆に、まどろっこしいのです。
関西に馴染むのに10年~15年かかったかも知れません。
それで、今は、すっかり関西人であると自分でも思うこの頃ですが、最近、関西に疲れる時があります。
何故でしょう?年のせいでしょうか。