2017年1月17日火曜日

趣味の木工作品

 新年にふさわしい書の作品がないので、代わりに小生の別の趣味の一端を紹介します。
父の遺品の大工道具一式を、兄弟の中で私が全部引き取り、趣味の木工作品造りに活用しています。これまでに造ったいくつかの作品を紹介します。これらの作品は今も実用に供して使っています。
①は我が家の庭にあった古木を使って、ドリルとノミで、根気よくくり貫いて、割れ目は同じ材料を接着して塞ぎ、見栄えをよくしました。
④ホームセンターで端材を購入し、ノミとカンナを使って加工したものを、木工ボンドで接着して仕上げました。表面は木の肌を生かして、地のままです。
②小型のテーブルがほしいというので、家具店を探したが適当のものがなく、既製品と端材を使って自作しました。今も使っています。
以上趣味の一端を紹介しました。


2017年1月1日日曜日

新年のご挨拶

 
 
 
私は非常にあたたかく風もなく静かな好天の中、新年を迎えました。目の前の相模灘も穏やかな表情を見せており早朝から小舟をやさしく浮かべている様に見えます。庭に出て見ると気にも留めなかった木瓜が咲いておりました。
               伊豆の片田舎に咲いた木瓜の花(2017-1-1早朝)
 
 
元旦の朝食の時いただいたお屠蘇が少しまわりすぎ、衝動的に読んだ句を3首掲載。
 
                  * 元旦の お節とりわけ 妻にだす
  
                  * 穏やかな 元旦の朝の 庭の木瓜
            
                  * 飲みすぎて 少し反省 お屠蘇かな
 
私はこのような状況で元旦を迎えましたが、皆さんはいかがでしたでしょうか?        
 
 
 
 


さて、ブログ 「ミナヨシ会の仲間たち」は昨年5月に開設され、新しい年を迎えて2年目になりました。準備段階のいきさつは別にして、開設してみると 5月 に2件であった投稿が 6月には15件、そして12月までの投稿の累計は実に45件を数え順調に推移しております。これも類い稀なるIT知識を駆使してのimasanのサポート、およびToyoshimaさんの強力な後押しのお蔭です。並々ならぬご苦労があったことは確かで、心から感謝する次第です。
 
最初はミナヨシ会員の現況報告の場くらいに考えておりました。しかし実際の投稿内容は確かな行動に裏付けされた地域社会へのボランテイアー活動、長年継続努力された高尚な趣味、その他優れた考察、などがブログで披露されたのです。机を並べた学友がこのような素晴らしい、有意義な時間を過ごされていることを誇りに思います。
 
昨年の桐生での同窓会の様子も投稿されております。写真を拝見すると旧交をあたため楽しそうです。しかし同窓会では限られた時間内で個人個人の詳細な活動や趣味など踏み込んだお話は聞けないし、また出来ないのではないでしょうか? その辺をブログは十分補完できるものと信じます。何時という時間制限もありませんし、記事の長さ制限もありません。 好きな時に好きなように記載すればよいのです。
 
半年の経験からブログ「ミナヨシ会の仲間たち」は非常に面白く、誰かの記事にコメントが別の人からあります。さらにコメントで活発な情報交換が行われ、あたかもそばで膝を突き合わせて話しているような錯覚になるから不思議です。このような交流が無理なく自然にできます。 肩に力が入りすぎ、どうかすると長々と書きたくなることもありますが、本当にごく簡単な記事で結構で、それからだんだんお互いに会話が始まります。
 
このブログはミナヨシ会員であれば誰でも投稿できる共同運営型、ミナヨシ会員への限定公開のブログです。現在のところ記事を自分で書く方は4名、原稿の形で寄稿される方が3名です。その他にブログを読んでくださるミナヨシ会員が何人かおられますが詳細は分かりません。希望としてミナヨシ会員の多くの方々にこのブログへ投稿をしていただきたいのです。それが無理ならば読者になっていただきたく切にお願いする次第です。
 
 
以上新年のご挨拶かたがた、普段感じていること及びお願いを書きました。 今後このブログがいつまでも末永く運営されることを願っております。       (石井)
 

2016年12月20日火曜日

富士山の景観など

今回の投稿は、「この一年を振り返って」、「富士山の景観」、「(来年への)新しいチャレンジ」です。

1.この一年を振り返って

今年は、5月の同窓会を契機に「ミナヨシ会」に新しい風」が吹き、今も続いています。それは、石井さんの発案でスタートした、ブログ「ミナヨシ会の仲間たち」です。石井さんとimasanのご尽力により5月に開設されました。私もこれに参加しました。私にとって未体験の「新しいチャレンジ」でした。私の投稿件数は、6月から10月までに11件になりました。初めは夢中で投稿していました。毎回のように初歩的なミスがありましたが、その都度、石井さんとimasanのサポートがあり、何とか乗り切ることができました。改めて、石井さんとimasanに感謝申し上げます。今後もサポートをよろしくお願いします。

石井さんからは、電話で「ブログが消えたよ」と連絡があり、投稿したばかりの記事が消えてしまったことがありました。早速再入力しましたが、「下書き削除」をしているうちに操作を間違えてしまったものです。最大の失敗でした。また、最近の安楽岡さんの英文のスピーチの記事には驚きました。imasanについては、ブログ「今さんの一日一言」を長年拝見していますが、ミナヨシ会のブログで、この道のエキスパートであることを改めて知り感心しました。

ブログの記事やコメントを通じて、学生時代の懐かしい思い出や皆さんの近況の一面を知ることができ有意義でした。私の記事は、3年ほど前から始めた、仏教の勉強、水彩画、気功などを取り上げましたが、10月で「ネタ切れ」となり、しばらくお休み、今回の投稿となりました。

2.富士山の景観

富士山は自宅から日常的によく見ていますが、最も美しいと思うのは、冬の冠雪した姿です。個人的に最もよい思っているスポットは、車で約20分の「日本平」(標高307mの丘陵地)の山頂付近から見る景観です。10日前から快晴の日を待っていましたが、先週の土曜日にその日が訪れました。早速車で撮影に行きました。その写真を掲載しましたので、ご覧になってください。

最近の市の広報誌によると、「富士山と調和する美しい駿河湾」、「日本一高い富士山(3776m)と日本一深い駿河湾(2500m)、ダイナミックな地形と景観」として、「世界で最も美しい湾クラブ」に加盟したそうです。因みに、松島湾、富山湾はすでに加盟、最近、宮津湾、伊根湾(京都府)が加盟したそうです。

私事ですが、卒業後長年勤めていた工場がこの日本平の眼下(海側)にあり、また、地元のJリーグの「清水エスパルス」のホームスタジアムも日本平の眼下にあります。以前は、このスタジアムへ観戦に行きましたが(自宅から自転車と徒歩で25分ほど)、最近は専らテレビ観戦です。
なお、清水エスパルスは、ハラハラドキドキしましたが、一年で「J1復帰」を果たしました。


日本平の山頂付近から見た、富士山と駿河湾(清水港)


上の写真の富士山を拡大
日本平の山腹にはみかん畑や茶畑が沢山あります








3.新しいチャレンジ

最近のテレビなどの情報をもとに、来年から始めようとしている、「新しいチャレンジ」として、本を購入して準備を始めているところです。
それらは、「マインドフルネス(Mindfullness)」と「ウォーキング、特にノルディックウォーキング」です。

(1)マインドフルネス
マインドフルネスについては、2016.10.1に本ブログに投稿しました、「最近の情報」の<情報2>NHK  TV「ガッテン」の記事です。その後、書店でマインドフルネス関係の本を3冊(写真)を購入し、いずれも一読しました。「最高の休息法」(写真左)によれば、「アメリカではここ数年、マインドフルネスが爆発的に流行している」、また、マインドフルネスとは、「瞑想などを通じた脳の休息法の総称」とあります。「集中力アップ、記憶力アップ、免疫力アップ」、「毎日の疲れをリセットする科学的に正しい方法」などとあります。この「瞑想は、「意識して呼吸をすること」と言われています。

ヨガ、坐禅、瞑想などがアメリカの大学などで脳科学の面から研究され、実証も進んでいるようです。宗教色もなく、やり方はバラエティに富んでいるようです。
毎朝続けている坐禅(約20分)に似ていると思いますが、もう一度本をよく読んで、来年からは、寝る前に10分くらい「瞑想」を行ってみようと準備しています。 


購入したマインドフルネスの本

(2)ウォーキング
ウォーキングについても本(写真)を読んでいるところです。群馬県中之条町に住む65歳以上の全住民5000人を対象に、15年にわたり、身体活動と病気予防との関係について調査を実施した結果をまとめたものとあります。「普通の歩数/中強度の時間」で表現すると、一日8000歩/20分を続ければ、殆どの成人病の予防が可能とあります。まず、4000歩/5分から始め、2か月で2000歩づつ増やし、最終的に8000歩/20分にすればよいとあります。
私の数日のデータでは、一日3000歩くらいなので、もっと増やす必要があると思っています。

なお、運動を増やす方法として、二本のポールを使う、「ノルディックウォーキング」をしたいと思っています。ノルディックウォーキングの運動効果は、通常のウォーキングの2割増しと言われています。

これらの新しいチャレンジは果たしてどうなりますか?楽しみにしています。

”Just do it"(「行動あるのみ」)を時々思い出し進めたいと思っています。

最後になりましたが、皆さま 良いお年をお迎えください






















2016年12月15日木曜日

大学時代研究室の思い出



安楽岡さんが英語のスピーチで倉林先生の卒寿のお祝いを述べた記述が紹介され、関連の写真を送ったら、今川さんから始めてみる写真だというので、ぜひブログに投稿せよとの仰せ。
 写真を整理して自分史に載せたものの一部を紹介します。

これは熱力学研究室の恒例の行事なので、他の研究室の人達はあまり知らないと思います。
 熱研では3年生になると毎年上田の奥のお寺で「輪講会」が開かれた。右の写真は「輪講会」初日のパーティー風景。上の写真は輪読風景。(内容については安楽岡さんのスピーチを参照ください。
 輪講会を終えて翌日は氷室山を越えて、足尾へ抜ける登山である。下の写真は出発前の集合写真。 輪講中の食事は勿論、翌日の昼飯のおにぎりも自分たちで作る。
 写真と説明文の位置関係が思うように配置できないので、下の写真の説明をここでしておきます。写真右下:足尾への途中で小休止。写真左下:氷室山で自前のおにぎりを頬張る。      右下の写真:草木が生い茂る山道で「シイタケ」を発見。もう無いかなーと覗き見る倉林先生。
最下部の写真:登山の途中で全員でパチリ。
このブログでの写真の位置関係と説明文の位置関係を出すのに一苦労しました。どのように編集すればよいのでしょうか?今川さん教えてください。
  







2016年12月7日水曜日

あれは、平成24年2月吉日のことだった・・・   タッチ・アンド・ゴー    T.Imagawa

7.もやの中に何かが・・・見えますか?
説飛行機の中から撮った写真


それは、伊丹空港から飛び立って水平飛行になった時、最初に見えた富士山です。


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8.伊丹空港でタッチ・アンド・ゴー

24日、新大阪で6時20分の伊丹行空港バスを利用し、朝早い伊丹発7時30分発のJALに乗るべく、石山で姫路行き始発の電車5時3分に乗った。
初めてであるが、石山駅のプラットホームには、10数人が電車を待っていた。多くは、仕事で出かける様子だった。
新大阪に着き、足早に空港バス乗り場に急ぐ。既にチケット販売機の前には、5、6人の方が並んでいた。下の写真は、丁度券売機を係員が開いたところである。
このバスには、仕事に出かけるサラリーマン風の方々多数が乗り込んだ。
バスは25分か30分で伊丹空港に着く。短時間で空港までの所要時間がハッキリ読めるのが良い。6時50分に着いて、7時30分の出発までは40分ある。

左上はJR石山駅、下は空港バス券売機、右上はピッと端末機、下はタッチの方法
伊丹では、「タッチアンドゴー」というICカードだけの簡単手続きで乗れる利用方法が初めてだったので、早めの時間の空港バスを利用した。
インターネットで航空券を購予約した後、JALのホームページで自分の好きな座席を選択することでチケット購入が完了する。ただ、良い席の多くは既にに予約済みだった。
前日に、搭乗お知らせメールを受けるようにしておくと、「タッチ&ゴーにてご登場いただけます。当日は直接保安検査場へお越し下さい。なお、便出発15分前までに保安検査場を通過して下さい。」と文頭に書いたメールが来る。
写真右下がタッチしている例であるが、JALカード、JALマイレージのicカードや登録された携帯でもタッチで保安検査所に入り、搭乗口でもタッチし飛行機に搭乗出来る。

所謂、これまでのペーパーの搭乗券は不要なのだ。
また、手続きが不要なので出発時間15分前に保安検査所に入ったら良い。

ただ、初めてなので、何処に機械があるのかとまどった。
朝早いので、JALの係員もいないし、保安検査所入口前と思っていた「ピッと端末」は中にあり、荷物を検査する機械の直ぐ後ろに設置されていた。
写真下が機器の設置場所で、検査を通過してから中から撮った。従って、機器の向こう側が検査所の入口です。全部の検査所には置いていないので注意が必要。
それらしき物を検査場の入口外から見つけてホーットした次第です。
 

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9.伊丹から羽田まで
大阪から東京までは、京都から新幹線利用か伊丹から航空機利用かの二者択一である。
料金は新幹線と変わらないし、飛んでいる時間は35分ぐらいで、実飛行時間は短い。

それに富士山が見られることに引かれる。左側の窓際の席に限るが・・・。
伊丹から羽田へ飛行機で行く間、富士山が見えだしたら、羽田に着く直前まで見えている。

今回は、インターネットで席も窓際指定した。
翼が前が後ろが良いが、残っていたのは翼の所だった。

離陸後の暫くは空の上は曇り空、到着近くには空も青みがかってきた
24日は快晴だったが、上空はもやっとしていた。
従って、富士山がクッキリと見えなかったのは残念。

いつもは象徴的に雲の上に見て下さいと言わんばかりにニョキットキ出ている。
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10.航空機利用後日談
同じ年の9月に弟の嫁さんから今のうちに弟に会いに来て欲しい電話があり、阪急交通社の航空機利用1泊2日東京ホテル泊を全てインターネットで予約した。
ところが、前日から台風予想で悪天候になり、飛行機は台風で飛ぶか分からなかった。
それで、阪急に夜にメールで問い合わせた。12時前にメール返事が届いた。
<往路が欠航の場合>
航空会社にて案内される振り替え便のみご搭乗可能でございます。
なお、往路が欠航となり振り替え便のご案内がございません場合は、ご旅行代金名は全額返金させていただきます。
この後、少し寝てJALのホームページを何度もチェック、03時16分の発着案内で欠航と出た。
これをメールに張り付けて阪急交通社に送り全額返還となった。
また、JRの琵琶湖線も大津駅手前で線路の路肩が崩れ、夕方まで不通だった。
この様に、飛行機は悪天候には弱さがあります。
また、インターネット利用もキャンセルの手続きは大変である。
苦い経験です。ご参考まで。
面白くもない記事を読んで頂き感謝いたします。



2016年12月5日月曜日

あれは、平成24年2月吉日のことだった・・・    ミナヨシ会の案内来る     T.Imagawa

1.これは何でしょう?

桐生グランドホテル前で撮影

答えは、わたらせ鉄道相老駅に私を迎えに来たリムジンバスです。
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2.ミナヨシ会:桐生への小旅行を計画
あれは、平成24年2月吉日のことだった。ミナヨシ会開催の案内がメール添付で送られてきた。多分、Nojiri君からだった。
日時は、5月24日午後2時30分~5時、会場は、桐生グランドホテルだった。

直に、メールで参加の申し込みをした。

それからこの桐生行きの小旅行の計画を始めたのは、4月初旬だった。

4月12日にインターネットで、マイレージを使った特典航空券:JAL110便、大阪(伊丹)9時30分発ー東京(羽田)10時40分を予約した。

その時、出来れば、下記のことも同時と考えた。
1.主目的の桐生でのミナヨシ会に参加する。
2.ミナヨシ会参加の前に母校群馬大学工学部を訪ねる。
3.さいたま県所沢のハートセンターに入院中の弟を見舞う。
4.東京で小学校の同級生に会う。2人のうち1人は50年振り。


上記を1泊2日の間で効率的に実行するにはどのような行程と時間になるか詳細を検討した。
私の最寄り駅、JR石山駅から東京までは、JR新幹線か伊丹発の航空機が考えられた。
料金は同じくらいだけれど、JALのマイレージが使え、乗っている間中富士山の見える航空機を選んだ。
最初は、9時30分発だったが、母校訪問をミナヨシ会開始時間の前に入れたので、最終的に朝7時30分発の飛行機になった。
羽田空港から桐生駅までは、東武鉄道を利用する行程とJR線で高崎駅回りと小山駅回りを「駅から時刻表」、「ekitan」と「NAVITAIME」を使い幾通りも調べた。
その結果、羽田から京浜急行東武浅草駅まで乗り換えなしで1本で行ける東武鉄道を選んだ。
羽田では、何時の電車の何両目に乗って着いた浅草駅のホームをどう移動し、何番の地下出口から出て東武浅草駅までどう歩くか駅構内図や動画見て調べた。
乗り遅れない様、りょうもう号の特急券の券売機の使い方をホームページの写真で調べた。
りょうもう号の東武新桐生駅到着後、駅から群馬大学正門前まで何処行きのバスに乗るのか、また、乗るバスの時間表をプリントアウトし調べた。
群馬大学構内を参観後、群馬大学正門前からJR桐生駅までバスで行き、そこから少しの乗車時間ではあるが「わたらせ鉄道」でJR岩宿駅まで行くコースを選んだ。
JR岩宿駅からホテルまでは、ホテルにメールで送迎を依頼した。
ミナヨシ会の次の日は、弟が入院の所沢ハートセンターまで行かないといけないので、出来るだけさいたま県に近い宿をと旅の宿サイト「じゃらん」で調べ、新前橋のホテルを予約した。
ただ、JR新前橋駅から高崎経て西部所沢駅まで時間がかかるが東京まで行かないといけないかが難しい課題だった。
ところが、JR八高線のJR東飯能駅の構内図を調べた結果、
JR東飯能駅と西部東飯能駅と陸橋でつながっており、東京まで行かなくても良くなり難問題が解決した。
次の朝は、JR新前橋を朝1番の電車でJR新前橋出発し、八高線JR東飯能で乗り換え西部所沢で弟を見舞い、小学校の同級生に指定された待合場所、JR新宿駅南口に4時に着いた。
JRでの帰りは、時間の余裕を見て出来るだけエコにと7時28分発新幹線「ぷらっとこだま・エコノミプラン」のこだま号を選んだ。


最終的な行程は下記となった。
最寄りのJR石山駅→JR新大阪駅ー空港バス→伊丹空港ーJAL→羽田空港ー京浜急行→浅草→東武浅草ーりょうもう号→新桐生ーおりひめバス→群馬大学小門前ー群馬大学構内散策ー群馬大学小門前→JR桐生駅ーわたらせ渓谷鉄道→相老駅ーリムジンバス→桐生グランドホテル・ミナヨシ会ーリムジンバス→JR岩屋駅→JR新前橋ーホテル泊
新前橋→JR高崎駅ー八高線→JR東飯能ー西部飯能→西部所沢ー所沢ハートセンターー西武所沢→西武池袋ーJR池袋→JR新宿駅ー同級生と再会
ーJR新宿駅→JR東京駅ー新幹線こだま号→JR京都駅ーJR琵琶湖線→JR石山駅
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 3.ホテルについて会ったミナヨシ会の仲間たち
リムジンバスから降りて、到着したホテルのドアを開けて中に入り、大嶋様と歓談した後に、椅子に座って待っておられる皆様方に話しかけながら写真を撮っていった。
前もってNojiri様に名札をとお願いして付けてもらっていたので、直ぐに名前とお顔を確認出来た。


ミナヨシ会の皆様その1


ミナヨシ会の皆様その2


ミナヨシ会の皆様その3


ミナヨシ会の皆様その4


ミナヨシ会の皆様その5
皆様の写真はこれだけで、この後のミナヨシ会パーティでの皆様のスピーシをビデオカメラに撮ったのですが、家のノートパソコンに保存した後、パソコンのハードディスクが壊れて、残念ですがお見せ出来なくなりました。この時のミナヨシ会での皆様の1人づつのスピーチは、お勤めをされてきた会社での実り多い興味あるお話が殆どでした。
私は、定年後の話だけだったので、次は、私もと思ってネタを用意して26年の伊東でのミナヨシ会に出席しましたが、皆様、会社の話は全くされませんでした。
結局、私のネタも紹介せず仕舞いでした。
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4.東京から新桐生へ、バスで群馬大学工学部へ
JAL104で伊丹を7時30分に出発すると、羽田に8時35分に着く。羽田から東武鉄道に乗る乗換案内時間をNAVITIMEで調べると、京浜急行で都営浅草駅に9時31分に着く。
ここから9時40分発の東武鉄道の特急りょうもう7号に乗るように選択されて出てくる。
都営浅草駅の地下出口から階段を上がって地上に出て、東武鉄道のある松屋デパートまで9分で歩かなくてはならない。NAVITIMEでは、電車の前方車両に乗るようになっている。
果たして9分で乗れるのか、可能か、インターネットで色々調べた。
読むと道筋がかなり複雑のように書かれている。子供連れの方には、浅草に着く前に押上駅で銀座線に乗り換えると階段が無く容易で、浅草駅についても銀座線は降りて前方に進むだけで東武浅草駅に着くと書いてある。でも乗り換えたら間に合わない。

また、特急券を自動機でどう買うのかも東武のHPの写真見ながら直ぐ出来るように憶える必要がある。実際はどうだったかであるが、3分ほどでチケットを買わないといけない状態だった。
ただ、新桐生に到着しても、バスを30分待たねばならず、次のりょうもう9号を選択した。
また、特急券は、何時調べても空きがあった。

今回は、調べた時間通りで全て順調にいった。


浅草から東武鉄道の新桐生行きのりょうもう号に乗り、電車はスタートした。
暫くして、窓から東京スカイツリーが見えるとアナウンスがあった。
そうだ、この電車は、東京スカイツリーを通過するのだ。

先月15日に、この東京スカイツリーまで浅草から歩いてきた。
不思議なことに、1ヶ月後に同じ所を電車の窓から見ることになった。

駅を通過する前は左手に、通過した後は右手に東京スカイツリーが見えた。
15分ほど経過してから2分ほど遅れているとのアナウンスがった。
車掌が近くを通ったので、再度聞くと、2駅ほどでか、駆け込み乗車があり5分遅れているという。
遅れたらバスに間に合わないので、遅れないようにスピードを上げて欲しいと言った。
すると、スピードは決められた速度があり、上げられないと言う。
それでは困ると言っておいた。
新桐生近くに来ると、ダイヤは遅れを取り戻し、正常な時間になっていた。

車掌にこのようなことを言ったりする自分は、関西人になったと思った。
館林を過ぎた辺りだろうか、金色に輝く畑が見えた。麦畑と思う。
東部浅草駅から新桐生でおりひめバスに乗り群大へ
桐生市ホームページを調べたら「おりひめバス 路線図と時刻表」が出てきた。
おりひめバス 時刻表とりょうもう号の到着時間をにらめっこしたら、東武鉄道の特急りょうもう9号が新桐生に着いて7分後に新桐生駅を出発するバスがあることが分かった。丁度良い。
地方都市ではどこでもあるように東武バスから市が運営するおりひめバスバスに変わっていた。
でも、電車が遅れたら代替えとしてタクシーを利用するしかない。
幸いにも遅れていた電車は、車掌か運転手が気張ったのか?幸い定刻に到着した。

改札で、駅員にバスは何処かと尋ねると、右手奥に停まっているという。
急いでバスまで行くと運転手が、まだ時間があるので、向こうの乗り場でお待ち下さいと言う。もう、大丈夫、全てが予定通りに行った。

多くの人の乗り降りがある。バスは年輩の方々の無くてはならない良き足だと分かる。
歌に出てくる渡良瀬川を渡って、JR桐生駅前を回って、昔歩いた市内を通るが、50年前の面影はない。
変わって当たり前、時間経過は昔を偲ばせない。

バスは、学校の門前に着いた。
帰りのバスを確かめて、母校の門を入る。
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5.群馬大学工学部構内散策

期待に胸膨らませて正門を入る。
左側が移し替えられた建物、右側が現在の校舎と一番下が現在の寮
左側写真1番上が、母校の現在の門。写真2番目が、現在の門を入って直ぐ右に移し替えられた以前の門、と講堂。


昔の建物を移し替えずにそのままに何故しておかなかったのだろう。
今はない池のあった面影の大きな部分が、「国登録有形文化財」として、隅っこに追いやられている感じで、50年近く経て全てが変わったと現在の門を入って直ぐに感じた。

サッカー部に入っていつも練習をしていたグランドも駐車場に変わっていた。
古い木造の学生寮の建家もなくなり、校舎が建てられ、離れたところに立て替えられていた。

思い出に耽る場所は、先の講堂ぐらいだろう。
全てが、新しい場所になり、長居をせずにこの場を後にした。

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6.おりひめバスでJR桐生駅へ、わたらせ鉄道に乗り相老駅へ
同窓会は、東武鉄道の相老駅から徒歩5分、JR岩宿駅から車で10分、相老駅、岩宿駅でバス出迎えと同窓会の案内状に書いてある。

桐生駅窓口で、両駅にどう行くか聞くと、わたらせ鉄道では相老駅、JR両毛線では岩宿駅へ行くとの答えだった。
桐生グランドホテルへはどちらが近いかと聞いたら、暫く調べていたが諦めて、交番で聞いてくれと言う。全く愛想がない。
駅から近く、時間的にも早い渡瀬渓谷を走る列車、わたらせ鉄道を選んだ。
 
左一番上が桐生駅構内、乗ってきた電車と迎えのリムジンバス

桐生駅構内は、列車を待つ高校生で一杯だった。長く待っていたからか今も思い出す。
ローカル線は、学生と車のないお年寄りには欠かせない大事な乗り物なのだ。

わたらせ鉄道は、元々、足尾銅山へ行く足尾鉄道であった。それが国有化されたが、昭和63年1月に、JRからわたらせ渓谷鐵道株式会社になった。トロッコ列車も走っている。

列車の出発前に電車内からホテルに電話をし、相老駅でのピックアップを頼んだ。
桐生から2つ目の相老駅に着いて、駅前で待っていると、写真のような大きなバスで迎えに来たのにはビックリした。
乗ったのは、私だけだった。

電話をしないでも迎えに来ると岩宿駅で思っていた仲間の1は、全く来ないので、タクシーで来たと言っていた。
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話は長く続きますが、皆様が興味を示されるかどうかどこまで書くか、今日はここまでとします。

2016年11月24日木曜日

私の英語スピーチ:NO.2・・・        「A memory of my student days.」  H.Yasuraoka

お知らせ:10月18日に「私の英語スピーチとトーストマスターズクラブの活動紹介」との表題でブログを掲載しましたが、英語スピーチの後に和訳を掲載しましたのでご覧ください。 




1.私の英語スピーチ:NO.2・・・「A memory of my student days.」( in praise of my teacher)hy Jun.18,2016 


このスピーチ原稿は、マニュアルの「誰かを讃える」といった趣旨に沿って、我々の恩師であった倉林先生の卒寿(90歳)のお祝いの会でのスピーチという設定です。
内容は実際とは異なる面もあるかと思いますし、聴衆には説明的に話す必要もあるということをご理解ください。


写真は、野尻様が作成提供


1-1.Prepd. Spch.( Proj. 2, Advd. Series ) Jun.18,2016
     Title: A memory of my student days.( in praise of my teacher)    (5 to 7 min.)



Happy birthday, Prof. Kurabayashi !. On your 90th birthday, please accept my sincere thanks for what you gave us while we studied at the college.
I majored in the mechanical engineering at the college. In the 4th year, I belonged to the laboratory of thermodynamics under your guidance, Professor.

In my 1st year at College, when I entered the Kiryu Campus, I strayed into whether I was oriented to the liberal arts field or the science and engineering field. That is to say: whether I should continue studying there or change the university.  I asked for help of the job placement office, recently called Hello Work. Happily a vocational advisor gave me a kind assistance to find my aptitude. The result was that I was just halfway between liberally oriented and scientifically oriented. I decided to continue to study at that campus considering the result. I became aware recently that there were several liberal arts-oriented students in our mechanical engineering class.  


In the course of education you had already had an eye for the variety of your students’ personalities. I am sure you thought highly of students’ character building, how to study, students’ campus life, etc. as well as teaching the technical field.


In summer, you carried out an off-campus study, the meeting to read an American technical book by turns. You headed a group of nine students. This event involved an overnight stay at a Buddhist temple in Umeda, a hillside suburban area of Kiryu city and added was a challenging long walk. This is one of the most unforgettable memories. It was very enjoyable, and besides we were able to learn a lot of not only engineering knowledge, but also many other matters such as friendship, cooperative spirits, patience, positiveness and so on. The next morning we left the temple. It was a little risky and adventurous for us, partly because we had to advance across the wild mountainside, heading for an Ashio-line station. Under such situation you demonstrated strong leadership. When I reached the destination, I felt something like a big accomplishment.  From another viewpoint I think this event was more than simply an off-campus study. I am really grateful for your overall insight into planning that event.


At that time I was working on the graduation study with a partner. He belonged to GK All Stars, one of the students’ clubs, playing trombone. So he was busy for that practice, eventually it made our study slow down. But you did not blame us hard for it. Instead you softly drew our attention to this point. Then we at last carried out overnight work several times and were able to finish the graduation study. I naturally recognized you had a good eye for better part of your students’ personalities.

Finally it is really kind of you to have kept exchanging New Year Cards with me for as many as 50 years.  I don’t know how to thank you enough. I do wish you good luck and longer life.



1-2.学生時代の思い出(わが恩師を讃えて) 5-7分 (和訳)


倉林先生、卒寿のお祝い誠におめでとうございます。この場をお借りして、工学部に学びし間にご指導いただいた様々なことに対して、心から感謝申し上げます。


私は工学部で機械工学を専攻しました。4年次に先生のご指導の下に、熱力学研究室に所属しました。
工学部の1年目は、桐生キャンパスに進むわけですが、私は文系なのか理工系なのかという問題に迷い込んでしまいました。それは即ちこのままそこで勉強を続けるべきか、あるいは大学を変えるべきかということにもなります。私は最近ではハローワークと言っている(当時の)職業安定所に助けを求めました。さいわいに係官(職業アドバイザー)のかたが親切にも私の適性発見のお手伝いをしてくれました。その結果、私は文系と理系のちょうど中間くらいということでした。その結果を踏まえて、私は桐生キャンパスで勉強を続けることに決めました。最近ですが、わが機械工学科の中にも幾人かの文系志向の人がいるのに気づきました。教育に携わる中で、先生はすでに、教え子の多様な人間性を見る目をもっておられました。先生は科学技術面のご指導はもちろん、きっと学生の人格形成、勉強法、キャンパスライフなどにも注目しておられたと思います。



夏が来て、先生は学外研修を実施されました、アメリカの技術書を輪読する会です。先生は9人の学生のグループを連れて行きました。この行事は、桐生の郊外、山すその梅田のお寺での一泊が含まれており、さらにそのあと、厳しく長い距離の山歩きが加わります。これは、忘れられない思い出の一つです。それは楽しくもあり、加えて工学的な知識はもちろん友情・協調の心・忍耐・積極性など多くのことを学ぶことができました。翌朝お寺を出発しました。私たちにとってそれはちょっと危険で、冒険的なものでした。理由の一つは荒々しい山腹を踏破して,足尾線の駅に行かねばならなかったからです。そのような状況下で、先生は強いリーダーシップを示しました。私は目的地に着いたとき、何か大きな達成感のようなものを感じました。別の観点から私はこの行事が単に学外研修以上のものであったと思いました。その行事を計画するにあたっての先生のあらゆるものに対する深い見識に、本当に感謝しております。


当時私は、相棒と共に卒業研究に取り組んでおりました。彼は学生自治会のクラブの一つであるGKオールスターズに所属していてトロンボーンを吹いておりました。したがってその練習に明け暮れており、当然我々の研究はスローダウンしました。しかし先生は、そのために我々を強く叱らず、そのかわり、穏やかに我々の関心を卒研の方に導きました。そのことがあってから、ついに我々は数日間徹夜で取り組み、卒業研究を仕上げることができました。先生が教え子の人間性の良き面を尊重していただいているということを、私は、そのことによって自然に理解しました。


最後に、先生が、50年もの間、年賀状のやりとりにお付き合い下さったことを心から感謝を申し上げます。先生にはどんなに感謝してもしきれません。先生のご幸福とご長寿を謹んでご祈申し上げます。


2.ミナヨシ会の皆様へ 


11月も後半に入り、寒さも厳しくなりそうです。
私の方も、七五三をはじめとして気忙しい行事ががなくなってきましたので、スピーチ原稿の和訳を付けたものを作成し掲載しました。
前に掲載の「バカになること」の和訳も作成掲載しましたのでご覧ください。
英文と和訳が完全に一致していないところもありますのであしからず。

私自身の投稿に関する勉強をしてゆきます。とりあえず、これで私の英語スピーチブログの完結です。
ブログに対する返信は、返信欄からチャレンジします。
西川君の訃報に接し、沈痛な思いです。
向寒のみぎり、風邪などにご注意いただき、ご自愛ください。
 
安楽岡弘久



足利トーストマスターズクラブの仲間です


2016年10月27日木曜日

工業会賞の受賞に関して

平成28年6月25日(土) トヨタ産業技術記念館で開催された群馬大学工業会定時社員総会に於いて、工業会賞及び社会貢献賞の表彰式が有り、38M野尻貞夫が工業会賞の表彰を受けました。同期の方々から「おめでとうございます」のメールを頂き、感謝して居ります。
 表彰の推薦理由は「衰退気味な支部の支部長に就任し、再生・活性化に貢献」とあります。
 私が「東京機械・建設支部」の支部長に就任したのは、平成16年の10月頃だったと思います。就任の経緯は、東京で38年卒業の仲間(38M:野村、狩野、38W:三上、狩野(文)その他)が集まって、懇親会を開いた折に、群大工業会東京機械・建設支部の支部長が高齢で、後任がなかなか見つからない、活動も停滞している、お前がやれと三上忠男氏(工業会常任理事)から催促され
野村、狩野両君も是非にと推されて、仕方なく当面のつなぎ役として引き受けたのが始まりです。
仕事も一線から退いた折でもあり、若い支部長候補が見つかるまでの間のつもりで引き受けた。
確かに工業会の活動は、年配の方々の参画が多く、若い人たちが少ないので、若返りを図るべく活動したが、若手がなかなか集まらず、苦戦した。7年余に及ぶ活動で、機械・建設支部単独での活動には自ずと限界が有り、三上氏や、他の支部とも相談しながら、東京連合支部(機械・建設、電気・電子・情報、繊維・生物化学、化学・材料の4支部合同)として纏まって活動して行こうと働きかけ、今はその形で活動している。
 今川さんから是非表彰についてブログに載せるよう要請が有りましたので、これまでのいくつかの活動の状況を写真で紹介し、私のわずかの貢献の一端を紹介させて頂きます。


この写真は  平成17年 東京湾クルージグの時のももの。三上、野村、37M根岸さん等が参加しています。屋形船の船上で総会及び懇親会を開催。



 下の写真:平成17年定時総会及び懇親会風景 野村氏、三上氏、関根範明氏(38C)などの顔が見える。

















下の写真:平成24年2月
JAL機体整備工場見学会 総勢34名が参加し、この後日立金属高輪和彊館で総会・懇親会を開催した。  








                                                                                   
平成21年3月 連合支部総会、講演会風景:21世紀のがん治療について

表彰状の額入り写真です。立派な額に入れて家に届きました

2016年10月18日火曜日

私の英語スピーチとトーストマスターズクラブ     の活動紹介          H.Yasuraoka



我々の所属しているToastmasters Clubの宣伝を兼ねて、私のスピーチ原稿と月例会のagendaと
言っている式次第の例を紹介いたします。


1.私のスピーチ:NO.1・・「Pretending to be foolish.」H.25.2.16
皆様、私がスピーチをしている姿を想像して聞いて下さい。 
                             
1-1.Pretending to be foolish.                                    
Some critics said common sense in Japan may be regarded as lack of common sense in the other countries. It may come from our history. Our country is what is called an island country and so it was geographically isolated from the other countries, and also politically, esp. in the Yedo era. That is why the peculiar culture to this country has grown.

Now almost all the world have internationalized, but pretending to be foolish is pretty acceptable in our society. We kept the agricultural society for a long time. In the agricultural society people had to be diligent,  hard-working, honest and so on, more than to be strong, competent, clever, eloquent and so on. But the society that needs a strong leadership against  the surrounding enemies  was just the opposite.


Steve Jobs of Apple Computer said, “Be foolish.” Probably he got this strange phrase from Japanese Zen books. I don’t know exactly what it means. But in Zen teaching “Be foolish.” may mean “Think nothing.” It may often be used to express the meaning of killing selfishness, too.


By the way, which do you like best among the following 4 categories? He or she looks wise and really wise in fact. Looks wise, but in fact foolish. Looks foolish, but in fact wise. Looks foolish and in fact foolish. / I simply repeat these. wise-wise wise-foolish foolish-wise foolish-foolish. In Kansai dialect these are:  かしこーかしこ/かしこーあほう/あほうーかしこ/あほうーあほう. Some business consultant said: 97% people are wise-foolish type and each ①③④of the rest is all 1%. How do you feel about this percentage? Some hotel manager said from his standpoint of business: wise-wise type people is too wise to understand the other people. wise-foolish type, pretending to be wise, cover almost all. foolish-wise type are genuine wise persons, but a few. foolish-foolish type are fools to the core.

After that this manager said it is best to pretend to be foolish hiding his or her wise or intelligent part. That is, is the best.  He said most people agreed to his explanation.

In addition we have another strange way of thinking. A Meiji-Taisho era statesman Shimada Saburo was a very eloquent speaker and had a nickname Shimada Shabero. People said how unfortunate that if not an excellent speaker like that, he should have been a prime minister. As you know  prime minister Masayoshi Ohhira was called Ah uh prime minister. He often paused during his speech saying ah or uh. An ah counter of a toastmasters club should have been busy ah-counting him.  When you think back, you are sure to recognize many poor speakers among the political leaders. In Japan we have a traditional way of thinking that sharp or intelligent persons are second-class.



1-2.バカになること(和訳)
評論家の中には、日本の常識は世界の非常識であるという人がいます。これはわが国の歴史に起因しているかもしれません。我が国はいわゆる島国で、地理的に他の国から孤立しており、特に江戸時代は鎖国をしていました。それ故にわが国特有の文化が発達しました。
今や世界中が国際化しましたが、バカになる(バカなふりをする)というのはわが国の社会では結構受け入れられております。我が国は長い間農業社会が続いていました。農業社会では、勤勉でよくはたらき正直である方が、強くて、有能で、賢く、雄弁であるより良かったのです。しかし、周囲の外敵に対し強いリーダーシップを必要とする社会はその反対でした。



アップルコンピューターのスティーブ・ジョブスは、「バカになれ」と言いました。おそらく彼は、この奇妙なフレーズを日本の禅の本からとったのでしょう。しかし、禅の教えでは 「バカになれ」は、無念無想を意味するかもしれません。これはしばしば自我を滅する、あるいはわがままを抑えるという意味でよく使います。


ところで、あなたは次の4択の中でどれが一番いいと思いますか。①賢そうに見えて、実際賢い ②賢そうに見えるが、実際はバカ ③バカそうに見えるが、実際は賢い ④バカそうに見えて、やっぱりバカ/ 単純に繰り返すと、①賢そうで、賢い ②賢そうで、バカ ③バカそうで、賢い ④バカそうで、バカ の4つです。これを関西弁にすると、かしこーかしこ、かしこーあほう、あほうーかしこ、あほうーあほう。あるビジネスコンサルタントの話では、97%の人が ②のかしこーあほうで、残りの①③④は、それぞれ1%だといいます。この割合を皆さんはどう思いますか。あるホテル支配人は、その仕事の立場上、次のように言いました。①かしこーかしこタイプは賢すぎて、他人の心が解らない。②のかしこーあほうタイプは、賢そうに装います。ほとんどの人はこれに入ります。③あほうーかしこタイプは、本物の賢人で、少数です。④あほうーあほうタイプは、根っからの阿呆です。最後にこの支配人が言うには、賢いところや頭のいいところを隠して、阿呆を装うのが最高だと。というわけで、③がベストです。彼の説明におおかたの人は、納得したということです。


さらに付け加えますと、もうひとつ、変わった考え方があります。明治大正期の政治家、島田三郎は、大変な雄弁家で、しまだシャベロウというニックネームがつくほどでした。あのように弁の立つ人でなかったら、総理大臣になっていたのに、なんて不幸せな人だろうなどと、人々はと言ったものです。ご存知でしょうが、大平正芳首相は、アーウー総理と言われました。彼は演説中よくアーとかウーとかいって一時停止しました。トーストマスターズクラブのアーカウンターが居たら、チェックするのにてんてこ舞いしたでしょう。考えれば、有力な政治家の中には、演説の下手な人が結構いたことにきっと思い当たるでしょう。日本では、頭の切れる人は二流であるという考え方が、昔からあります。  


2.トーストマスターズ活動


「トーストマスターズは話し方、パブリックスピーチ、リーダーシップを学ぶ国際的非営利団体です。126カ国で31万人が学んでいます。
全世界にある14650以上のクラブから、自分に合ったクラブを選び、会員同士が相互に学び、スピーチとリーダーシップスキルを向上させることが目的です。
高額なセミナーとは全く違い、仲間たちと楽しい雰囲気の中、お互いに触発されながら学び合う場を提供しています。」


上の文章は、トーストマスターズ日本統括(ディストリクト76と言います)の公式ページの宣伝文句です。
さらに付け加えますと、我々の「足利トーストマスターズクラブ」は2012年1月21に立ち上げられ、エリア12に所属しています。(他に、群馬・宇都宮・新潟の各トーストマスターズクラブが所属)。国内に172のクラブがあります。詳しくは、d76ト-ストマスターズで、ご検索ください。



写真・ト-ストマスターズのHP


3.クラブの運営


クラブの運営は、会員の会費によって行われます。
現年度は2016~2017年度(今年7月1日~来年6月31日)で半年ごとに会費が徴収されます。
これまで半年6,000円(内36ドル本部へ納入)でしたが、10月1日より7,500円(45ドル上納)になり、ばかにならない出費です。
クラブの役員は、会長(President)、教育担当副会長(Vice President Education)、会員担当副会長(Vice President Membership)、PR担当副会長(Vice President Public Relations)、書記(Secretary)、会計(Treasurer)、会場係(Sergeant at Arms) の7名ですが、直前会長(Immediate Past President)を入れる場合もあります。
この中で特に重要なのは、教育担当副会長(通称VPE)で、会員にとって必要なクラブ運営の具体的計画・編成・指示等を行い、また、エリア内で回り持ちで担当するコンテスト(国際コンテスト、評論コンテスト、など)に精通している必要があります。
当クラブでは、実力者が2名いて、交代でやっており、わたしは、やったことがありません。
名ばかり会長は2回やりました。



写真・足利クラブメンバー
今会員が20名ほどいますが、退会者・入会者が時々いてバランスが取れて現在の人数になっています。
英語の会話にしろ、スピーチにしろ日常ほとんど必要ないことをやっている我々にとって、英語とは因果なものだなという思いが時々します。
日本の英語教育は、様々な方法論がこれまでも取りざたされてきましたが、これだという決定打が出たという話を聞きません。要するに必要性があれば、やらざるを得ないのです。

トーストマスターズクラブは、冒頭にもありましたように、スピーチとリーダーシップのスキルを身に着けるという目標があるわけです。ですから、最近は、日本語のコンテストも並行して行うことが多くなってきました。英語はその手段と考えることができると思います。
そんなわけで英語をやるということは多くの矛盾を含んだ活動です。


4.Agenda(月例会次第)


私が6月末まで1年間会長をやっていた期間内で使用の(2月)の式次第(アジェンダ)です。


私の作成したAgenda
上記Agenda(月例会次第)に見られる用語につぃて説明します。
Toastmaster of the Dayは、このAgendaの作成と休憩前までの進行をやります。
Grammarianは、この会の中で自分の出番(または発言)の時できるだけ使ってほしい単語(形容詞や副詞が多い)を提示(A4の半分ほどの紙に印刷)します。
後の報告のとき誰が使ったかを言います。
Timerは、ストップウォッチで所要時間を図ります。通常5~7分のスピーチですが、5分で緑色カード、6分で黄色カード、7分で赤カードを掲げスピーチの進行状況を知らせます。
Ah Counterは、つなぎ言葉filler (er, well, you knowなど)を何回使ったチェックします。いずれもあとで報告します。
Topicsmasterは、Table Topics Session で、5名にそれぞれ別の質問を用意し指名発言させます。
簡単な質問で普段は答えられそうでも、いざとなると結構難しいものです。
Evaluatorは、Evaluation Session でスピーチの評価をします(2~3分)。
General Evaluator は、その日の会全般について評価、あるいは個々の指摘を行います。


注:「私のスピーチ:NO.2」は、後日掲載いたします。

2016年10月10日月曜日

「気功」を続けています

3年ほど前から、「気功」(体操)のレッスン(毎週火曜日、1時間)を続けています。気功は高齢者
には適度な運動であり、心身の健康維持の一つとして選びました。
仏教(般若心経)の「空(くう)」と同じように、気功の「気」は目に見えない世界です。いずれも懐が
深く難解で、時々、本やネットで調べていますが、少しわかった程度で、理解する(納得する)まで
には時間がかかりそうです。

さて、今回の投稿は、「気功ついて」と気功のレッスンが行われる「清水テルサ」からの風景写真を添えて記事にします。

1.「気功」について

(1)気功とは
『中国古来の健康法の一つ。深呼吸と体操とによって、体内の気と血のめぐりをよくし、病気の予防と治療をはかる。また、「気」とは、漢方で、血とともに体内の経絡(けいらく)を循行する生命の根源とされるもの、無形であるが有形の血と一体となって生理機能全般をつかさどる』(大辞林)
類似の「太極拳」がありますが、太極拳は武術・拳法と言われています。気功は太極拳より、軽い運動です。

(2)気功の健康効果
「期待される気功の5つの効果」は、次の通りです。(ネットより)
①免疫と治癒力を高める、 ②心身のストレスを取る、 ③内臓の働きをよくする、
④自律神経のバランスをよくする、 ⑤潜在能力の開発

(3)レッスン内容
気功レッスンは、「清水テルサ」(会議室、ホール、カルチャー教室、フィットネスクラブなど)
<写真1> で行われます。「清水テルサ」は、家から車で10分くらいのところで、10年くらい前は、自転車で水泳に通っていました。
レッスンは、毎週火曜日の10:30~11:30の一時間で、受講生は高齢者15名、女性が多く、長く続けている人が殆どです。
レッスン内容は、「気の流れを良くする一連の動作を続ける中で、血流の循環が良くなり、新陳代謝が高まり、病気の予防につながります」とあります。初めの30分は、ストレッチ体操、次の30分が気功です。
気功は、「舒心平血功」と「導引保健功」を3ヶ月ごとに一つづつ交互に行っています。各気功は、8つの動作で、先生の指導のもとに中国語の号令(CD)に従って行います。呼吸法も大切です。
毎朝行っているテレビ体操より、軽い運動ですが、レッスン後は、身体がぽかぽかして、すっきりした気分になり、また元気になります。週一回の心身のメンテナンスと思っています。
(気功の動画は、YouTubeで見られます、当初は動画で練習しました)

2.レッスン後のお楽しみ

気功レッスン後は間もなくお昼ですので、近くの食事処でランチをとっています。いくつかの行きつけの店があり、楽しみにしています。<写真1>~<写真4>は、清水テルサからの景色です。

<写真1> 「清水テルサ」、3~4階にフィットネスクラブがあり、プール、トレーニングマシン、スタジオがあります。気功レッスンは4階のスタジオで、空調完備で快適です。富士山も良く見えます。

<写真2> 清水テルサの8階にあるレストランから見た北方の景色です。正面に富士山、手前低い山のこちら側(写真の中央付近)を新幹線と東名高速が通っています。富士山は9月末に初冠雪がありましたが、すぐ消えてしまい見えません。やはり雪を頂いた冬の富士山が最高だと思っています。

<写真3> レストランから見たJR清水駅です。清水テルサから徒歩約3分。昔の面影はありません。

<写真4> 清水テルサから道路一つを挟んで海側の魚市場と食事処です。ここで時々「海鮮丼」を食べます。新鮮でおいしい。また、魚市場「河岸の市」も有名で、観光バスや県外No.の車も多く
見られます。この辺は、清水港エリアの一部です。魚市場のはるか前方は、伊豆の西海岸です。
清水港から伊豆の土肥まで、フェリーで65分、駿河湾を横断します。船上から雄大な富士山がよく
見えます。数年前に海水浴に行きました。


<写真1> 「清水テルサ」(8階建) 3~4階にフィットネスクラブがあり、プール、トレーニングマシン、
スタジオがあります。4階のスタジオで気功レッスンが行われます。
<写真2> 清水テルサ8階のレストランから、富士山をのぞむ。中央付近に新幹線や東名高速が
通っています。レッスン後、このレストランで時々ランチを食べるのが楽しみです。
<写真3> 清水てテルサから、JR清水駅をのぞむ。こちら側は海側です。
駅から清水テルサまで徒歩約3分。
<写真4> 清水テルサの東側(海側)の「河岸の市」と「まぐろ館」。この向こう側(遠方)は駿河湾、
その先は伊豆の西海岸です。ここの「まぐろ館」で時々「海鮮丼」を食べるのが楽しみ。